まんま東は自民党が将来もずっと政権与党であると考えたようだ。少なくとも、自分が加わって一大イベントを引き起こせば自民党は勝てると考えたのだろう。その功労者として国政の中枢に入り込むことができる。自民党がまんまとまんま東の策略に乗るか、そしてまんま東のパフォーマンスに国民がまんまと騙されるか。(ここにマスゴミが入っていないのは、マスゴミはまんま東だろうが、誰だろうが、話題を提供してくれるならば大喜びでこれに乗ることは間違いないからだ。)
まんまと同時に常に注目を浴びている橋下知事のまんま東との違いは、実際に取り組める範囲のことは積極的に取り組んでいることだろう。もちろん、私は大阪府民であるから、橋下知事の仕事しか目にすることはないせいもあるから、これは適正な評価とはいえない。しかしながら少なくとも衆議院選挙への取り組みについては歴然とした違いがある。あれを取るかこれを取るか、つまり取捨選択の分岐点において決定する根拠は最初から明確なのは橋下知事である。地方分権を可能とする政党か否か。その一点に尽きる。
まんま東は、そんなことに関心はないのだろう。条件には掲げているものの、狙いは自分を高く売ることによって、いきなり国政の中枢に参画しようとするところにある。
ともかく国政に参加をしたい。それも政府の中枢に食い入りたい。発信力を武器に国会をかき回し、いずれ総理大臣になりたい、という思いが歴然だと考えるがどうだろう。
政治家になろうとする者が、総理を目指すのはそれはそれでよい。むしろそうでなければなるまい。そうした権力欲あるいは名誉欲がなければ政治家になろうと考える人はいまい。(仕事として政治屋を選択する世襲議員はこの点において問題が残る。)
しかし、総理になろうという意欲だけを評価して、総理にふさわしいか否かを判断するわけにはいかない。そこには納得できる政策が提示される必要がある。
まんま東の政策は、地方分権、宮崎産品を売るパフォーマンスだけなのである。そのために「総裁候補として自分を立てる環境を作れ」と言う。地方分権の手段として国政中枢への参画を約束しろという訳である。
もちろん、それはひとつの選択肢であるかもしれない。しかし、地方分権の必要性を論じ、地方分権が納得できる形で行われるよう努力し、更には地方分権が汚れることなく理想に近い形で遂行し監督するのが首長たる知事の重要な役割なのである。
知事は地方分権に極めて大きな役割を持つ。だとすれば、まだ一期を務めあげていない段階で、国政に転進するのは時期尚早と思えてならない。
自民党はジリ貧であって、がけっぷちに草の根一本でぶら下がっているに等しい。このままでは民主党が勝つ。
そうした状況の中で、自民党の息のかかったカルト集団が民主党攻撃のための泡沫政党を立てた。この泡沫政党のちらしがポストに入っていたが、民主党を攻撃する文言しかなかった。さながら現体制を側面から維持する別働部隊である。そして今回のまんま東騒動と続く。自民党は必死なのだろう。
そこに付け込んで己を高く売ろうとするまんま東の戦略は当然と言えば当然なのだが、あまりにあからさまである。まんまにとっては、国政の中枢に食い入るチャンスは今だという判断があり、国政参加が先で知事の役職はその後に来る。つまり地方分権は彼の野望のつけたしに過ぎないように見えてならない。
まんまが国政選挙に立てば、マスコミは今以上にまんま東を追いかけることだろう。それを思っただけでも慄然としてしまう。ただでさえ、ソウカソウカの電話攻勢や訪問に辟易しているのに、テレビをつけるとあの禿げ頭を見なくてはならないと考えるとぞっとしてしまう。少女買春=禿げ頭というイメージは、同じく頭の毛の薄い私にはひどいダメージなのだ(笑)。
冗談はともかくとして、古賀選挙対策委員長のまんま訪問は自民党にとっての生き残りをかけたマスゴミ対策なのであろう。先の泡沫カルト集団は流石にマスゴミはスルーしたが、マスゴミにとって、まんま東はスルーではなくブレイクする素材だからである。
そして、まんま東の雄たけびがもう聞こえるようだ。・・・地方分権をうたうマニフェスト、まんまを総理候補とするという信じられないようなハードル、この二つを自民党は越えたのだ、自民党は変わったのだ、いや私が変えるのだ・・・。
ばかばかしい。自民党のマニフェストなど誰も信じない。マニフェストの最初に、『国民との約束を反故はしません。』と最初に書くべきである。
過去の失政を問うと、必ず「これから」の事を論じるべきだとソウカも田原も言う。政権を取る器があるかと民主党に問う。しかし、政権を担う能力があるかないかということが、国民に分かるわけもない。行政の内部情報すら把握できない民主党に具体的な政策を立てることも不可能なのである。国民としては信頼できると考える、感じるものに投票するほかはないのだろう。結果、人気投票的なものになってしまう。テレビで表面上信頼できるような人格を演ずるタレント議員は強力な武器になる。はあ・・・
そこまで日本の政治が衆愚政治になっているとしたら、それはそれで大衆の選択なのであるから、仕方あるまい。新党日本の田中代表流に言えば、小泉・竹中なんちゃーってへなちょこ内閣で散々な目にあった国民は、またしても判断を誤るだけのことである。判断の誤りはいずれ少しずつでも是正されるものだ。それが民主政治の唯一の利点なのだから。
まんま東が自民党の公認として、あるいは衆議院議員立候補者であり同時に総裁候補であるならば、一大イベントが起こる。それを狙ったまんまの戦略に国民はまんまと騙されるかも知れない。その可能性は高い。
とすれば、真に地方分権を目指そうとする民主党と、真に地方自治体の首長として務め上げようという意志のある橋下知事と共働することが、まんま効果に対抗する選択肢として十分出てくる。
私は大阪府知事選挙においては橋下知事に反対していた。たかじんのそこまで言って委員会における彼のパフォーマンスに騙されてはいけないと考えた。
現実に、その後登場している弁護士連中を見ていると、橋下の空けた穴に入り込もうと必死であるが、実力が備わっていないのが歴然としている。賛否は別として、政治的な問題に対する筋の通った意見を持ち合わせていない連中では、橋下弁護士の後釜になることは難しいからだろう。
「右翼」と呼ばれる橋下知事だが、その内実は「普通」なのだと私は思う。政治的な知識も見識もちょっと「普通」を越えているに過ぎない。
橋下知事のよいところは、「普通」の立場でずけずけと物を言う事にはない。それは公の場所ではパフォーマンスに過ぎない。彼のよいところは、間違いを認めることを恐れないことだろう。ひとつの考えを表明するには、それを支える知識と経験が必要だが、知識の不足ないし過誤が歴然としている場合には、橋下氏は率直にそれを認め方針転換する。
彼はひょっとしたら本当に「君子」なのかも知れない。
以前、私は政治の右傾化を恐れ、「橋下を監視せよ」という記事を書いた。しかし、知事になってからの橋下氏は、民衆に媚びることもなく、身内に甘いわけでもなく、すべきこと、理想と考えることを推進しようと誠心誠意努力しているように見える。これほどきちんとやろうとする知事は大阪には今までいなかった。
今回のまんま騒動の以前から、知事会の支持政党表明運動を橋下知事は主導してきた。そこには自民党だけではなく民主党支持への選択の可能性への言及が見られる。それは立候補の段階においてもはっきりとしていたように思う。地方自治を請け負うのであれば、国政に影響力を持つことのできる政党の支持を受けるほかはないと橋下弁護士は言っていた。彼の考え方は、法律家であれば簡単に了解できる。目的に向かってどれだけ合理的であるかどうかを判断基準に置いているのである。
今回の民主党に対する言及にも戦略的な意味・・「擦り寄って来い。擦り寄ってきたら、たたききる。」と言うような意図はないと私は考える。本当に地方自治のために必要であるのであれば、自分の支持母体であるはずの自民党を切り、民主党を支持する可能性は十分にあるのではないだろうか。
君子は豹変する。
政治を本当に変えて、地方分権を実現するのはどの政党なのか。橋下知事には、法律家の目で冷静に判断して欲しいと願っている。府議会を考えれば難しいかな?

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