やはり、チベット問題が一番の関心事である。仕事上も体調の点でもブログの更新を行うことが難しいが、簡単に書いておく。
時事通信社より引用
2008/03/29-12:38 五輪の北京開催は「間違い」=チベット問題で中国批判−米下院議長
【ワシントン28日時事】ぺロシ米下院議長(民主)は28日、中国チベット自治区の暴動に関連し、中国政府がチベット市民に対する抑圧を続けていると批判した上で、「国際オリンピック委員会が今年の夏季五輪開催地を北京に決めたのは間違いだった」との声明を発表した。
同議長は21日にチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談するなど、チベット市民の人権状況改善に向けた支援を続けてきたが、北京五輪と絡めて中国政府に対する圧力を一層強めた形だ。同議長は五輪聖火が地元のサンフランシスコを通過する際に、中国政府に対する抗議行動を容認する考えを示した。
ただ、同議長は北京五輪のボイコット論については、「競技に備えて鍛錬を重ねてきた選手たちを不当に傷つけることになる」として、明確に反対した。
◆オリンピックを政治的に利用することは許されないとして、オリンピックボイコットに反対する意見がある。しかし、これはそもそも論理矛盾である。もともとオリンピックを開催すること自体が、国威発揚と国力を世界に示す政治ショーになっているからだ。
競技に備えて鍛錬を重ねてきた選手達を「不当に」傷つける?というのは納得いかない。スポーツはスポーツである。政治的に色に染まった舞台において競技すれば、それが人々を驚嘆させればさせるほど、「すばらしい中国」「自由な中国」「成熟した中国」を演出することとなる。
私は借りた金は返すべきで、借りたほうが悪いと基本的には考えるが、公共放送でサラ金の広告塔となっている役者やタレントの出ている番組や映画は観ないようにしている。簡単に借金できて容易に返せるようなイメージ作りにタレントは協力しているからである。
スポーツの祭典であるオリンピックは間違いなく平和で自由なイメージを形成する。実際にはそうではないのにも拘らず、平和で自由なイメージ作りに参加者は寄与することとなる。オリンピックに参加する選手達にはそんな政治的な話はどうでもよいのだろうが、間違いなく選手は中国のイメージアップに寄与する広告塔なのだ。
そんな広告塔になるのはまっぴらのはずだ。
<<<MSN産経ニュースより引用
北京五輪開催は「誤り」米下院議長が声明、ボイコットは反対
・・・ペロシ議長は今月21日にインド北部でチベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世と会談。会談後に「チベット情勢は世界の良心に対する挑戦」と話し、中国への強硬姿勢を表明していた。
また声明では、北京五輪を機に「これまで以上に(中国に対し)自由に物を言う場が与えられるべき」と指摘。聖火リレーが4月に自身の選挙区のサンフランシスコを通過する際は中国への抗議行動を支持するとした。
北京五輪に関しては、これまでにチベット弾圧を理由にドイツやポーランド、チェコなどの首脳が開会式への不参加を表明。仏のサルコジ大統領(53)も「開会式に出席するかどうかを決定する権利を留保する」と述べるなど、混乱状態が続いている。
<<<引用は以上
開会式は中国の威信をかけた最大の政治ショーとなる。世界各国の首脳が集まり、見事に演出されたセレモニーを手放しで拍手する。そうして主催者を手放しで称えるのである。
馬鹿馬鹿しい。
いっそオリンピックの放映をやめたらどうか。
私は右翼でも左翼でもない。戦争廃絶を願う一市民に過ぎない。その立場から、同時代に明白に行われているジェノサイドに対して反対の意思を表明しているに過ぎない。
他方で嘘に嘘を塗り固めた情報を垂れ流し、ジェノサイドを行っている中国。経国済民ではなく、たんなる金儲け至上主義の世の中はいずれ破綻する。
>>>ヤフーニュース 日刊ゲンダイより引用
日産 苦渋の選択“リチャード・ギアよりも中国が大事”
3月28日10時1分配信 日刊ゲンダイ
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この暴動がなぜ、日産を及び腰にさせたのか?
実はギアは以前からダライ・ラマを熱心に支援し、中国政府批判を繰り返してきた。93年のアカデミー賞授賞式では「中国政府がチベットを抑圧している」と発言。今回は北京五輪ボイコットを呼びかけている。
「そんなギアを起用したら中国政府の反感を買うのは必至。日産は2月末に中国での08年度の販売目標を50万台と発表した。中国政府を怒らせてしまったら目標達成どころか、中国市場から追い出されかねないと懸念し、18日に中止を決定したようです。正式契約の直前だからサインはしていませんが、実際は契約を結んだも同然。ギア側は“約束を破られた”と不快感を示し、法廷闘争の構えを見せているとか。仮に日産が160万ドルを払ったとしても、さらなる違約金を要求してくるかもしれません」(前出の関係者)<<<引用は以上
日産といえば、日産工場で起きた殺人事件の隠蔽事件を覚えている。経済が全ての判断ということだ。所詮は金が全ての企業であってみれば当然の行為なのだろう。
しかし、日産フェアレディーZでアメリカを席巻した日産のイメージは今の日産にはない。金儲けのためには自社の労働者も見捨てるし、売るためには相手の靴も舐めるのである。洗練されたイメージは地に落ちた。
中国市場を目指して多くの企業が凌ぎを削っている。中国が巨大市場となるためには、急成長による格差の極端な拡大が緩和されなければなるまい。しかし、格差は広がるばかりである。今回のチベット問題では少数民族への弾圧も露呈した。膨張する中国においてこの種の全国的な暴動が起きれば、歪んだ巨大国家はすぐに崩壊するのではないのか。中国に依存するのはもうやめるべきである。

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