近代格闘技の即効性に疑問を差し挟む余地はないだろう。太気拳はどうか?
ハッキリ言って即効性は皆無である。
立禅、這い、練り等を数ヶ月程度真面目に取り組んだところで、多少足腰がしっかりしてくる位で目に見えて大きな変化は表れない。
仮に、近代格闘技を1年間ガッチリ練習してきた人間と、太気拳の立禅、這い、練りのみを1年間真面目に取り組んできた人間が組み手でぶつかりあったとしよう。結果は前者の圧勝である。
以前、現太気拳天心会の竹田二男先生が「警察官や軍隊の強化を目的として教えるなら、太気拳よりもフルコン系の空手などの方が適しているだろう」と言われていたことがあるが、全くその通りだと思う。
さて即効性にすぐれた近代格闘技であるが、持続性はどうだろう?よく若いうちはよいが歳を取ると衰えるなどと言われているが、実際には40歳すぎ位まではその強さが続くと考えている。だがその後は下降線に入るか、動きの質に大きな変化が見られなくなる。社会人が現役時代ピークの実力を維持していくには相当な努力が要求されるだろう。
それでは、このような近代格闘技を修めた人間が太気拳を学んだらどうなるか?
一旦、それまでの動きや技術体系がバラバラに分解され急激な実力の低下が生じる。しかし、その後太気拳の根幹にこれまで蓄積されてきた諸々が再合成されるに従い、その人固有の新しい動きが現れてくる。それはある一定段階まで平行線であるが、ポンとステップアップするとそこから落ちなくなる。その繰り返しで衰えることがないと言われている。岩間先生を見る限り、これは事実である。
樹木を例にすると、太気拳は根っこや幹であり近代格闘技の技等は枝葉にあたるであろう。根は地面の中にあってその姿かたちは見ることは出来ない。枝ぶりや花の生い茂りは見る人の目を引き止めるが、根が細いとすぐに枯れる。
太気拳は中国4千年と言う歴史の中で育まれた武術のエッセンスでもあり凡夫には理解できない部分が多過ぎる。
しかし、競技を目的とした近代格闘技には無い、生死を前提とした古の時代の中でも生き抜かんとする武術の本質が隠されていると感じている。
このように、一見すると対極に位置している古伝武術と近代格闘技であるが、これらに相補性の余地は無いものだろうか?
年令や目的にもよるだろうが、段階的に習得しその比重を変えていくことでより確実かつ効果的に自分の変化を確認しつつ、武術に取り組んで行けないか。
それぞれの長所を引き出し短所を補うと言ったことが可能かどうかは分からないが、成道会ではそれに向かって取り組んでいる。
数人の門下生を見る限り、現段階では間違っていないと思う。
空手拳法成道会
http://www.joudou.jp/

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