太気拳の散手は素面素手で行われ、ルール等の取り決めごともこれといってないと書いた。
実際その通りで、私が岩間先生の元でやっていた頃は「顔面を手で攻撃するのは掌底まで」となっていたが、むきになって拳で打ち合うような場面になっても特におとがめナシで散手は続行された。
岩間先生の話によると、澤井先生の頃の明治神宮時代の散手は故意に目を攻撃したりする等の極端な危険行為は、お互いが暗黙の了解の上で自粛されていたようであるが、それでも顔が腫れたり、青タンなどは当たり前といった感じで、ある先生は日曜日に神宮で散手をやった翌日の月曜日は顔を晴らして仕事をやることもしばしばあったようで、得意先の人から「あんた又喧嘩したの?だめだよー」等とよく言われていたらしい。
澤井先生が王向斎先生に中国で学ばれた頃は、散手となるとこのような形で行われるのが当たり前だったのだろう。
当時は戦時中で澤井先生自身が戦場の修羅場を何回もかいくぐって来られたような人なので、このような散手くらいはやって当たり前といった感じだったのではなかろうか?
岩間先生は、「ピラニアを水槽の中に入れて何日もえさを与えずにいるとやがて共食いが始まる。その中で最後に生き残った一匹が一番強い奴で、神宮時代の組み手はまさにピラニアの共食いみたいなもんだ」と言われていた。
太気拳で通常行われてきた散手はとても一般向けなどと云えるものではない。興行等を行うといった目的も無論なく実戦の模擬体験であり実技の検証手段である。
成道会ではこのような太気拳本来の散手を希求しながらも、少しでも多くの人材がこの中から育ってくれるように私の経験に基づいて、組み手に於いては段階的にルールを取り決めてこれに取り組んでいる。
まず、マスレベルの組み手を繰り返し、その中で適切と判断される者のみを対象にフルパワーで攻防する組み手に移行するが、この段階ではスーパーセーフを着用して行う。
私の大道塾時代の経験上、この方式も一長一短があるのだろうが初期段階で攻防の実感を体得して行くにはやはり大変有効であると認めざるを得ない。特に攻撃力が主体に養成される。現に大道塾はアマチュアでありながらもプロと互角以上に闘える選手が数多く出てきているし、全国的にも海外にも普及している。
又、マスクをかぶって打ち合うからといって組み手が楽になるわけではなく、やはりハードであることに変わりはない。
只、攻防の形態は素面のそれとは大きく異なる場面が数多く現れるのも事実であるが、組み手をやり終えた後で顔面の外傷はほとんど無く社会人にとってはより取り組みやすいと言える。
この段階をクリアしたら次にスーパーセーフをヘッドギアに変え、手には拳と掌の両方を使えるようにシュートグローブを着用して組み手を行う。
ここでは、これまでに養成された攻撃力に加えてより防御力も必要となってくる。素面素手ではないが、極力それに近づけた状態で攻防のレベルを引き上げることを目的とする。
この様に、最低限の安全対策を施行して段階的にステップアップすることでより多くの人材を輩出して行こうというのが現在、成道会で行っている組み手に対する試みである。
最終的に身内同士で太気拳本来の散手は行わないつもりでいる。これで太気拳の散手と言えるのか?と諸先生、先輩方からお叱りを頂きそうでもあるが成道会の組み手はこれで行こうと考えている。
無論、他の太気拳修行者の方と組み手で交流する機会が仮にあって素面素手の組み手を要求されたらそれには応じるつもりでいる。
現代社会の中で、実戦をキャッチフレーズとして実際に散手訓練を採用している太気拳のような武術に社会人が取り組んでいける体制とはどのような形が最善であるかは、まだ私自身確たる答えを出しているわけではない。
しかし、現在の方法であれば100人中1人のところがもっと多く残っていけまいか?成道会では今後も試行錯誤を繰り返し、この課題を追求して行きたい。
空手拳法成道会
http://www.joudou.jp/

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