合気道の達人、故塩田剛三師範は「
歩く姿そのものが武である」との言葉を残している。
澤井先生は王郷斎先生のことを「歩く姿はアヒルのようでとても風格があった」と言っておられる。
「歩く」という動物としての基本運動はそれそものが武術としての訓練である。
さて、歩行ひとつをとってみても
基本は姿勢であり、
姿勢から全ての行動は開始される。
つまり、開始時点での姿勢が如何なるものであるかによって、その次の動作の性質が自ずと決定されるものと考える。
太気拳の中核といえる立禅は、この姿勢を獲得するための訓練法であるとも言えるし、姿勢を支える骨格筋、それも上級者になると
大腰筋、腸腰筋といった深層部筋を鍛錬するための訓練法にもなる。
さて、私自身の経験では、ここ2〜3年で「歩き」が随分変わった。
まず最初に気が付いたのが3年ほど前、天神の歯医者に向かう途中、予約時間に遅れそうだったので少し急ぎ足で歩いていたところ、これまでと違い、まるで身体がどんどん前に押し流されるような、実に快適な感覚があった。
それは、その後も変化し、現在はより快適かつスムーズな歩行となっている。
これは、私自身の立禅の変化ともとれる。
立禅によって姿勢を支える筋肉の配分が変わり、歩行の際に機能する筋肉の配分も変わる。
姿勢を支える筋肉を仮に姿勢支持筋とでも称してみる。
この
姿勢支持筋を下半身の大筋群や身体表層の筋群から、股関節周辺の支持筋群、腰背の深層筋群へと移行していくのが、立禅の大きな役割であるとも言える。
その結果、脊柱を基盤とした動作が産み出され、ハムストリング等の伸張反射による繊細な動作の開発も自ずと可能ならしめるのではないか。
ただ、これには何年もの時間が必要となるし、ましてや王郷斎先生レベルとなると到達できる人もホンの一握りなのかも知れない。
対して身体にかかる抵抗力をより強力に養成するためのハードな鍛錬法は、それを克服できる人にとっては確実な効果をもたらすが、場合によっては健康を害することもあるし、年令による体力の衰えを遅らすことは出来ても上回ることは困難である。
立禅において姿勢の変化が始まると動きの性質にも変化が現れ、それはある日、ある段階で突然に気付かされることが多い。
それは、歩行、階段の昇り降り、物をとる際の何気ない動作にも現れ、それに本人が気が付く場合もあれば、気が付かない場合もある。
デスクワーク時も、外を歩く時も、日常生活全ての所作、動作が武術のトレーニングとなる。
難しいのは、ここをこうすればよいといったものはなく、本人が立禅の中からモノにしていくしかない、という点である。
この様にして歩く、こうすれば効果的、といったマニュアルは
自然なものをかえって不自然なものとしてしまうことが多く、修正するのにかえって大変な労力を必要とするので注意を要する。
教えることも出来ず、教わろうとして覚えられるものでもないが、ひとつ大切な点は岩間先生が「身体のなかで無理しているところを少なくする」といったフィーリングとも言えないフィーリングではないだろうか?
立禅を基盤として日常生活すべての動作が武術としての役割を持つ。
これこそが私流に言うところの生活即武術、すなわち
生活武術である。
空手拳法成道会
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