前回までに形体訓練の重要性を述べたが、形を真似て動けば成立するというものでなく、自分でも気が付いていない間違いを取り除いていかなければならない。
この点、私自身の動きも本当に正しいのかどうか、佐藤聖二先生の講習会に出席させていただく度に問題点をご指摘いただき、自分の主観を交えずに素直に修正していくしかないものと考えている。
ひとつは自身の身体の中で力の衝突があってはならず、これも、最初は微妙なので難しいかも知れないが、肩や股関節、首や背に何らかの感触がより無い方が好ましいと思われる。
ウェイトトレーニングなどで身体に負荷をかけて鍛練するのとは正反対に、自身の身体の中には、より手応えが無い方が力の衝突が少ないということの検証手段になると思われる。
空手やボクシング等の経験者にしてみれば、その手応えの無さに「本当にこんなことをやっていて強くなれるのか?」と感じてしまうくらいのものである。
佐藤先生のご指導の中に「動作中、歩くように自然に行うこと」というご指摘があり、これは、通常のスポーツ等における加速度運動ではなく、等速運動であることを要求しているものと思われる。
韓氏意拳でもこの点を強調している。
加速度運動では、筋肉をやや伸張して後の急激な収縮により、力を目的箇所に伝達していくものと思われるが、この場合、大きな筋肉の筋収縮が連鎖的に起動して出力を得ているので、一瞬にせよ、骨格は加速して連動する。
野球のピッチングやバッティングで、腕をいったん後方にテイクバックして、重心の移動とともに身体全体で、目標箇所に力積を投入していく。
行なっている人間の体内にも十分な手応えがある。
これに対して、等速運動は歩くように伸びやかに動くので、筋肉を必要以上に伸張させないという特徴がある。
筋肉の適度な伸展はあるが、過度な伸張は無い。
大筋肉の収縮による骨格の可動は行わず、ある形から形への正確な変化が要求される。
立禅によって、骨格構造に基づいた関節の有効可動範囲における均等な力があることが条件で、いわゆる点から点への移動が連続して行われる結果、それが動きとなる。
これは、骨格を動かす大きな筋肉よりも、骨格をある位置で安定させる深層部筋群などの稼働率が高まった状態ではなかろうか?
分かりやすく言ってしまえば、通常の動作は身体の中の皮膚表在に存在する大筋群(アウターマッスル)を主体に駆使するのに対して、武術の動きは体内の深層部筋(インナーマッスル)をより多く、主導的に活動させるということではないだろうか?
その最も有効な方法が、形体訓練や立禅なのであろう。
とかく、このような認識は口伝されなければ、個人の練習のみではなかなか発見され得ないと思われ、又、学ぶ立場の人間が真摯な態度を持って臨まなければ、何もわからず、それこそ猫に小判になってしまうかも知れない。
佐藤先生の講習会に参加させていただき、その見識の深さ、高さに触れることが私自身の武術をより高めるきっかけになっていることは間違いなく、改めて中国武術の奥深さ、素晴らしさを感じている今日この頃である。
太氣拳成道会
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