佐藤聖二先生の御指導を仰ぐようになってから、すでに3年以上が経過して成道会の稽古内容も随分と変わった。
岩間先生からご教授いただいた訓練法も、その中身がより精密なものとなり、打撃訓練も立禅によって獲得されるべき各種能力を導入することで、太氣拳特有の訓練法と特別に区別する必要もなくなった。
立禅による各種能力の構築と強化を念頭におくことで自身の稽古内容も大きく変化して、立つことが自主稽古の主たるものとなった。
それ以外にランニングやウェイトトレーニングも続けているが、あくまでも健康管理の一環としての補助的なトレーニングとしての認識になっており、必須ではない。
ランニングは左膝の手術から半年位の現在、やっと医師や理学療法士の許可が下りたので、ここ最近再開している。
ウェイトトレーニングは時間があれば週1回程度、仕事等で時間がなければナシで、以前にも書いたが、20代の頃のガンガンやっていた時の内容と比べれば、その負荷も時間もすでに5分の1以下かも知れない。
組み手、スパーリングは大会への参加希望者もいるので、まだ手技、パンチのみだが、昨年暮れ位から再開している。
私の場合、完全に稽古の基盤は立禅となっており、時々、動きの中でそれが反映されているかを点検しているが、その場その場の自己満足で終わらない様に注意して、着実に次のステップへつながっている実感がある。
2月で47歳になったが、正直、私の年齢ではこれから先、ランニングやウェイトトレーニングによる体力強化が武術としての内容を補強してくれる期待は薄い。
ただ、健康のためと組み手の際の怪我を防止する目的で続けている。
特にウェイトトレーニングは高重量で大筋肉をガンガン鍛えてしまうと、トレーニングをしている実感はあるけれど、年令的に筋肉の硬化を促してしまう点と、可動させる筋肉も支持する筋肉もいっせいに活動させてしまうので、武術的な動作獲得の妨げになるやもしれないと考えて、その内容には注意している。
自身のブログでも、よくインナーマッスルとかアウターマッスルという分類をしてきたが、正確には「 スタビリティ = 身体を安定させる役割 」と「 モビリティ = 関節を動かす役割 」という二通りの筋肉に分類する認識を持つ必要がある。
必ずしも全てのインナーマッスルがスタビリティに、全てのアウターマッスルがモビリティに働くというわけではない、深層にありながらモビリティが主な役割となる筋や、その逆も多く存在する。
そこで、立禅時の立位による骨格の支持状態を考察した上で、ウェイトトレーニングによる鍛錬部位や種目を選別し、負荷のかけ方も筋収縮の速度に影響するので気を付けなくてはならない。
その様にすればウェイトトレーニングがマイナスにならずに、太氣拳という武術の補強としての意味を果たしてくれるのではないか、と考える。
ウェイトトレーニングによるパワーアップの効果を否定しているわけではない。
経験上、ウェイトで鍛えこまれた筋力アップによる強さ、それを組み手を通じて味あわされている身としては、それを完全に否定することはできない。
しかし、武術的な動作獲得において、そこに精密かつ精妙さを求めるならば、かなり粗い方法であると捉えて、やるならばその方法を考慮して取り組むべきだと思う。
稽古の基盤は立禅にあり、そこから外れることはない。
もし、立禅を稽古の基盤に据えることができず、補助鍛錬としての認識しか持てない場合は、立禅によって獲得できるものが何なのかが、実感として薄いのかも知れない。
立禅による成果を報酬としてとらえるならば、いつ、その報酬を得られるのかという保証もないので、自身を強化してくれる実感の高い、数字や視覚、体感によって確認できるトレーニングを選択するのは当然なのかも知れない。
しかし、仕事等でまとまった時間を捻出するのも難しい状況下で、1日数分の立禅を継続して組み手の実力を維持している門下生もいる。
結果として立禅の効果なのではないか、と言っていたが、その様にして自分なりにその成果を確認できれば、立禅を手放せなくなるだろう。
王薌齋先生も郭雲深先生から半ば強制的に立禅をさせられていたらしいし、澤井先生も来る日来る日も立禅ばかりの毎日に疑問を持っても、しかし、止められない環境であったので続けざるを得なかったと言われている。
私のような凡夫ならともかく、この拳法の先駆者たる先師でさえも、そのような時代があったのだ。
ある意味、報酬が得られなくとも取り組み続ける真摯さと愚直さが要求されるのかもしれない。
しかし、それがやがて、大きな財産を得ることになるものと考える。
太氣拳成道会
http://www.joudou.jp

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