「月刊秘伝2015・1月号・生涯一武術家 岩間統正の拳 我らが師 岩間統正」原文D
私はその後、大道塾の九州本部の指導員として福岡に赴くことになり、1年間、先生の元を離れましたが、91、北斗旗空手道選手権大会・軽重量級で優勝し、指導員としての任期が終わった後、大道塾を離れて太氣拳に専念することを決意し、その時に高校時代の空手部の先輩の紹介で内定していた就職も断って、又、太氣拳に打ち込むことに決めました。
再度、岩間先生の元で稽古させていただくことになったのですが、当時の稽古仲間としては、木村さん、関君、和久井さん、中村君、ドイツのバウへさんらがいて、皆、熱心に稽古していました。
素面素手で行われる組み手は、毎回、緊張しましたが、岩間先生ご自身も参加され、実際の攻防の中でその動きを示されていました。
先生との稽古は、ご自宅近くの山まで徒歩で行って、樹木の中で立禅、立ち木打ちを行い、その後に体育館に移動して、這い、練りを行ない、時によって組み手、その内容を検証して課題点を先生が提示される、といったもので、シンプルでいて実践的なものでした。
その現実的で実際的な考え方は、現在の私にも大きく影響しています。
かつて、先生は「城君、太氣は広めるものではない、深めるものだ」と言われており、その言葉通りの指導内容であったと思います。
先生はご自身のことを「俺はどちらというと放蕩者で道を極めるなんていうタイプじゃない」と言われるのですが、あれだけの実力や技量を持ちながら、組織作りなどには全く興味を示さず、しかし、武術の研究には人1倍熱心で先生のご自宅にはあらゆる格闘技や武術のビデオや資料が保管されており、太氣拳のみならず、他の格闘技や武術も実によく対策や研究をされていました。勝負師であり、武術の職人であると思います。
私はその後、福岡に戻り、27歳の頃に五段練士の免状をいただきました。
その後、自然と太氣拳を知る有志が集まるようになって稽古を続けておりましたが、2001年に太氣拳成道会という名称にて正式に研究会を発足させました。
2008年、2009年には岩間先生を福岡に招いて太氣拳セミナーを開催して、その時、もうすでに還暦を過ぎている先生が、以前と全く変わらぬ動きを示されたことに大変感動すると同時に、私たちの今後にも大きな希望を見い出すことが出来ました。
岩間先生を福岡に招いて開催された太氣拳セミナーの模様
私は来年48歳になろうとしていますが、先生と始めてお会いしたくらいの年令になって尚、課題が山積みです。
しかし、岩間先生と出会ったことで太氣拳という特殊な武術に打ち込むことになったことは、興味の尽きることのない、生涯の課題を与えられているようなもので本当に幸せです。
年令と共に格闘技としての動きは頭打ちになり、武術としての動きを追求せざるを得なくなります。私にとっての岩間先生はその体現者であり、実践者です。
ここ数年は、北京で意拳を学ばれ、意拳と太氣拳、日中の架け橋となられた拳学研究会代表・佐藤聖二先生にご指導を仰いでおりますが、この様なご縁を得られたのも岩間先生のおかげです。
佐藤先生のご指導を受ける際、岩間先生にもその旨をお伝えして了解を得ようとしたところ、「同門同士だし、何も問題ない。聖二は人間性がいいからたくさん学ばせてもらえ」と言われました。
佐藤先生の実力も又、驚くべきもので、太氣拳には本当に凄い武術家、指導者がいるものだと感動しました。
現在、佐藤先生のご指導のおかげもあって、岩間先生の特異ともいえるその動きの秘密が私なりに解明されつつあると感じています。
佐藤聖二先生(右)のご指導を受ける私、成道会門下生
武術を続けていると苦しいことや辛いこともあるのですが、それ以上に得られるものが有形無形に多くあり、その人の人生を支える大きな柱になるものと考えます。
澤井先生が生涯、王薌斎先生の幻影を追い求めたのと同じように、太氣拳の諸先生方はいつまでも少年の心を持ち続け、止まることなく歩み続けるお手本のような方々だと思います。
現在、私も自身の稽古と研究を続けながら後進の育成を行う立場になりましたが、岩間先生との出会いが私の武術人生をここまで大きく変えてくれたことに感謝すると共に、先生の追い求めた武術を自分なりに追求していきたいと考えております。
(完)
月刊秘伝
http://webhiden.jp/magazine/2014/12/20151.php
太氣拳成道会
http://www.joudou.jp/

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