4.26庚申講 春季祭禮もあと6日にせまりました。
庚申講については旭町太鼓連のコーナーで御紹介していますので省略いたします。
本日は庚申堂境内入口付近にある笠付き型の庚申塔をご紹介します。

この庚申塔群はねぎしの交差点や下新井からに移されたそうです。
三基の庚申塔の内左側の庚申塔の上の部分には月、日が刻まれています。
これは月が沈み日が昇る意味で一晩中をお守りする意味だそうです。
宝永7年(1710年)
左から二番目の庚申塔は中央に「青面金剛」両側には二童子、
その下に肩をいからせた四夜叉がが二列に並び、その下に猿と鶏が刻まれている。
寛文3年(1663年)
346年前か!(笑)やはり記録は石に彫るべきですね。(笑)
左から三番目の庚申塔 元禄11年(1698年)
右端の石塔は六十六部供養塔で国内、六十六国を巡拝してきた記念碑です。
元文5年(1740年)
いずれも江戸時代初期から中期の庚申塔が並んでいます。
古谷重松が天保元年(1830年)生まれですからいかに古い物か
お分かりいただけると思います。
江戸時代の所沢(野老澤村)にもちょっと興味をもたれ方もいるかな?

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