はじめに、弊サイトの重松情報の方で再度掲載する予定ではありますが、
ブログの方が若干くだけた感じでもお伝えできるかと思いこちらで
先にコメントいたします。
世話人町内諸費簿とは?明治21年所沢神明社における祭禮費用が書かれた帳面であります。
なにしろ重松に関しての資料は少なく、特に所沢旧町内での活動記録は皆無であった。
市内でも明治15年「太鼓連名帳」が所沢の北野で見つかったぐらいと記憶している。
わたくしの重松の印象としては、地元よりも所沢以外での活動が目立っている
感じがしていましたが皆様はいかがですか?
この資料でその疑いがはれた気がします。
その前にまずこの資料からご紹介いたしましょう。

右側
「勝楽寺囃子連」昭和7年、現在の狭山湖の湖底に沈んだ村の囃子連である。
実は亡き祖母がこの村に住んでいたそうで興味深いところです。
以前取材した小平市鈴木神社の明治9年贈の「手水石」裏面の銘文には、所沢市では「山口村連中」「旧町谷村連中」「菩提木村連中」の3団体のみ刻まれておりましたが
、山口村連中と勝楽寺囃子連と同一団体かは・・・?
次回は重松の資料を!
追伸:諏訪神社例大祭まであと6日ですね。(笑)

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