久しぶりに野老澤町造商店(ところざわまちづくりしょうてん)に立ち寄った。
資料やら本をボ〜ット見ていると・・・ん?どこの山車?

入間川町で行われた御大典奉祝行事 (狭山市・1928年 昭和3年11月)
狭山市、入間川町は本町二丁目の山車のようです。
入近様のHPを見るとこんな記述が↓
《 本町の囃子 》
囃子の流派は古流とされるが、入間市高倉より囃子を伝授された
ことから江戸囃子神田若狭流と思われる。以前は他所から囃子連を
呼んで金毘羅様で奉納囃子をしてもらっていたが、昭和24年に
地元有志で囃子をはじめた。その後入間市高倉から囃子を伝授されたが
現在は活動を休止している。屋台型の山車が現存するが、永く
仕舞われたまま、曳きだされていない。
本町二丁目は現在の入間川三丁目のようでこの辺りです。↓
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紀元2600年を祝う本町一丁目の人びと
(狭山市・昭和15年)神武天皇即位から2600年にあたるとして、
各地で大がかりな祝賀行事がおこなわれた。
入間川町では近村の山車が集まり、ところどころで出会う
「ヒッカワセ」も展開され、奉祝ムードにつつまれた。
写真の本町一丁目の人びとの後の山車は笹井の山車のようです。
(提燈にも笹井囃子の文字)
入近様情報では笹井山車は昭和2.3年製作ですから間違いございません。
戦前は狭山市でも「ヒッカワセ」が行われていたとは・・・復活願いたいところです。

念のため昨年撮影した笹井の山車です。
間違いなく入間川町本町まで曳いて行ったんですね。

市制祝賀の日(狭山市・昭和29年7月)下諏訪の底抜け屋台のようです。
飯能市の影響を受けてなのか飯能で見かける底抜け屋台に類似しています。
2002年発行の本であります。
既に御覧になられている方も多いかと思いますが、伝えておきたい事実なので
あえて掲載させていたたきました。
:関係各位様:写真掲載に問題ございましたらただちに削除いたします。

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