ご覧の皆様お付き合いいただきありがとうございます。
自分でもなぜこうもこの件に執着するのかわかりませんが・・・。
ま〜こういったことが好きなんでしょうね!(笑)
続編です宜しく!
東大和市Hさんのメールより
金山町の久米に譲渡された山車についての情報です。
舞台より上の部分はあまり変わってないようですが、台車の部分は久米に移ってから、
かなり補修をして動かせるようにしたそうですが、
手違いで動かせなくなり、 現在は上物だけを使用して、トラックに載せています。
部材は、神楽殿を倉庫代わりにして、解体して保管してあります。
金山にあった頃から解体して保管していたようです。
東大和市Hさんのメールより
わたしの聞いた範囲は、現在金山町で使われている山車にかかわった、
石〇さんに聞いた話として、お伝えしたことですが、多少説明不足があったようです。
石〇さんに、沿革史の写真を見せたところ、これは野口の山車で、
古い山車は久米に来ているということでした。この山車の年代や製作者(大工など)
は聞いていません。
金山町の現在の山車を作ったのが、石〇さんの叔父さんと言われている方で、
名前もわかっている人だと思います。
石〇さんは、その手伝いに行っていたということで話を聞きました。
その話の中で、次のことを話されました。
この山車(現在金山町で使われている山車)をつくるにあたって、彫刻などが、保存してあったのでそれを磨いて使ったこと(一部)、その時に彫刻ごとに、どこに使えという
図面も引いてあったということでした。
その図面どうり使ったかどうか等、細かいことは聞いていません。
石〇さんは、久米の囃子の中心になっている人ですので、お祭りが終われば、詳しい話が聴けると思います。
二代目山車の構造などについては、私は全くの素人ですので、直接石〇さんに聞かれた方がいいとおもいます。その労はとります。
別件ですが、小平鈴木稲荷神社の手水石について、調査されているようですので、村囃子連中に書かれている村名を東村山市史資料編と小平市の石造物 (市の刊行した本)に載っている手水石の記録との比較を添付でおくります。 どちらが正しいとかは、現物にあたるしかないと思いますが、調査されているようでしたらお知らせいただければと思います。
以上でございます。
この後のお話。
先週は山車効果なのか中々寝つきが悪く・・・自分の体調の為にも、
もう一歩踏み込みたかった!(笑)
先週の4日木曜日夜、ポイントとなるであろうことを思い切って保存会N会長(金山支部)に電話でお聞きしました。
明快なお答えをいただき感謝感激。
ポイントである久米への譲渡は現在の山車(昭和55年)ができて以降のことで沿革史発刊(昭和53年)後ということになります。ですから、文章を見る限り旧の山車は久米へ譲渡した山車の前の山車・・・。ただ、N会長いわくそのような山車の話は聞いたことがないとのこと・・・。
その証言が得られないと断言しづらいところでございます。(汗)

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