
8月3日御幸町盆踊り大会現場。
所沢市重松流祭囃子保存会 名誉会長にインタビューしてみました。
動画での掲載を考えてましたが・・・。音声を文字変換!?
手動で。(汗)
Q: 名誉会長がお囃子をはじめるきっかけは?
A: 娯楽がなんにもなかったから・・・戦争が終わって何もね〜じゃね〜
だから、あっちこっちの祭りがはじまって・・・それがきっかけ。
Q: お囃子をはじめたのは何歳ぐらいですか?
A: 12〜3歳からかな?
Q: 練習場は相模屋さんの蔵でしたか?
A: いやいや先輩達が相模屋の蔵で練習していたってのを聞いただけで
俺たちは今の御幸町の山車小屋で練習してた。山車小屋の裏が少しあいて
るんだよ。そこで。
あとは、池田畳屋、今の寿町・・・そこでも練習してた。
だから、今の寿町の連中は昔は御幸町だった。
岡さんなんか御幸町だったんだから。
Q: お囃子は何から習いはじめましたか?
A: 人がいなかったから、踊りも太鼓も全部。
俺たちの師匠は安田さん。
Q: その後は南秋津(現在:秋津町祭ばやし保存会)ですか?
A: その頃は南秋津と交流してたから・・・。
お祭りの時は御幸町は手が足りないからず〜っと交流していたよ。
武内だとか一級下の弟弟子だった。
Q: 笛の師匠は?
A: 御幸町にはいなかったから、 肥沼○○が俺らの師匠・・・南秋津の。
だから、南秋津の手は御幸町と北秋津に流れてんだよな。
俺は教えなかったから、残った御幸町の連中は旭町の二上の手だ。
保存会の安田さんと髭の二上とまわって歩いたんでしょ。
屋台囃子の話に変わり。
山車が来たら「しずみ」とか「中の切」は本来叩かねえんだから・・・
山車が来たら逃る 手を昔から吹いてたもんだ。と苦言。
以上文字にしますと時間もかかるし、ちゃんと伝わらないかもしれませんね。
次回は動画アップにします。(汗)
名誉会長、御協力ありがとうございました。

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