「しちょうめ」重松流祭囃子沿革史には
「師調目」と表記されているので
とりあえず、所沢市内に限っては
「師調目」が正式名称となっているのかもしれません。
わたくし実はarahataさんのブログに触発されて再度、師調目を調べてみたくなったわけでございます。
とはいえ、ネット情報と重松流祭囃子沿革史の本から判断して行くしかないですが・・・。(汗)
そ〜皆様の生情報も頼りでございます!
では、まず重松流祭囃子沿革史から再度読み直してみると、見逃している
箇所が沢山ありました。
「知ってるつもり」が全く知らない自分が恥ずかしいです。(涙)
本の重要部分を抜粋して引用します。以下↓
曲の解説から入ると、師匠古谷吉之助の口述を次に載せる。
一、屋台囃子
二、宮昇殿
三、四方殿(国固め)
四、かまくら
五、師調目
六、三番叟
七、にんば
「かまくら」と
「師調目」であるが、「鎌倉」は唐楽と呼ばれ、
比較的長い序奏部を持っている。
速さは中位である。変化部はない。
笛の導きによって「師調目」に入る。
この曲は、特徴あるもので、変化部に特別なものを持っているのである。
この変化部は、笛のリードはなく、大太鼓の導きで打たれる。
この部分を
「大間」と言う。
神田囃子では玉と言う。
大間は長いものと短い大間とがある。
大太鼓は長い大間を打ち終わると、締太鼓のAが短い大間を打つ。
この間、締太鼓のBはそのまま地を打ち続ける。
二つの締太鼓は、互いに異ったリズムを奏しながらも調和しなければ
ならない。
相手の打つ手にまどわされやすいので、むずかしいところである。
締太鼓の大間は、AB交互に、大太鼓のリードによって奏される。
そして切りの手によって終止する。
以上が沿革史に記載されている。師調目とその中の「大間」=「玉入れ」
の解説文でございます。
一方、ネット情報では
各地域の祭囃子の源流となったと言われる葛西囃子のレコードには
葛西囃子:
仕丁舞、玉入れ
が録音されていることから当初から玉入れがあったと判断して
良いかとも思いますがいかがでしょうか?
玉入れは枝分かれしてきても、かろうじて所沢の重松流にも流れてきたようで
ございます。

御覧の皆様には各地の「しちょうめ」「仕丁舞」「四丁目」「師調目」「師丁目」「仕丁目」
∞・・・の「玉入れ」事情をお聞かせ願いたいですね。

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