先日、主に仏子囃子連でご活躍されている方からメールが届きました。
内容は仏子のこんな写真見たことありますか?って感じで、
写真とともに彼の見解もコメントされていました。
その全文と写真を公開。
勿論、本人から許可いただいてます。以下↓

これです!!
例の、大正時代の御幸町さんの写真の横にあるやつなんですが・・・
良く見ると、山車で踊っているのが、三番叟なんです!!
これは、あくまでも私の想像なんですけど、大正時代に御幸町さんを呼んでますよね。
その時に、御幸町さんが三番叟をやったんではないでしょうか!?
それを見た当時の仏子連中が「あれ良いなぁ、ウチでもやるか!!」ってなったんだと思います!!
現に、仏子の仁羽には『スミヨシサン』という特種な吹きかたがあり、どう聴いても三番叟のメロディに近いんです。
師匠である、新久にはこの『スミヨシサン』はありません。
この写真で、仏子が三番叟をやっていたと判明すると、飯能の双柳が三番叟をやるのが合点がいくんです!!
戦後は新久より習い直しましたが、戦前は仏子が師匠でした。
そして、今でもこの面が残ってまして、写真その面です。

あの説明というか、私の想像ですので間違っている点は多々あると思います。
もし読んでておかしな点がありましたら、重松Gさんの方で修整するなりかつあいするなりして下さい。
ちなみに、添付写真のお面ですが、一見すると馬鹿面の“べろだし”ですが、長唄の舞踊に『舌出し三番叟』という演目があって、三番叟役の演者が舞踊の途中で赤い舌を出すという演目があります。
なので、それにちなんので“べろだし”を使ったのか・・・・。
はたまた、「これで良いやっ」って、たまたまあの面だったのか・・・・。
ただ、偶然にしては、私は前者の『舌出し三番叟』にちなんでるような気がするんですが・・・・。
ちゃんとした写真は、7月の第二週目の『仏子八坂神社・天王様』で、御覧になれます!!
以上、3度のメールのやりとりを合成した形で掲載させていただきました。
本人もコメントしてましたが、彼の想像上のコメントですから御了承ください。
大変参考になる資料とコメントだと思いましたので掲載させていただきました。
情報提供ありがとうございました。
最初の写真は初めて見る写真かと思ってましたが、画像データを調べてみると
2010年に仏子天王祭を取材させていただいた時、撮影しておりました。

↑仏子の八坂神社拝殿内に飾られていた二枚の写真。(左奥の2枚)
その1枚がこちら↓

昭和12年7月15日の仏子天王祭での記念写真だと思われます。
こちらはある意味レア物かと思います。

↑ネット上では御馴染みの写真 1917年 大正6年7月15日 仏子天王祭
余談ですが、今年の所沢まつりで山車人形の「関羽と周蒼」を見ることが
できるか?!
5年前は中止でしたから10年ぶりにお披露目となるか・・・天気しだいですね

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