先日、お邪魔した「工房紀秋」です。
器用にもほどがある器用さですね。
獅子の修理にも定評があるようです!
工房は満員の為、立見席での見学となりました。
篠笛はもとより、招木、木札も評判よろしいですよ。

工房紀秋宅を24時過ぎに出て周りの風景を見た時ふと北秋津物語を思い出した。
つい最近掲載しましたがもう一度!(笑)
北秋津物語
今からおよそ130年ほど前の明治の頃のことです。重松流(じゅうまりゅう)祭りばやしを編み出した古谷重松(ふるやしげまつ)さんが、供(とも)の者をひとり連れ、ある秋の月の明るい晩、
南秋津村の下(しも)秋津に出稽古(でげいこ)に行った帰りのことです。
注釈:赤字に注目!南秋津と言ったら現在の秋津町でございます。
たしか、鈴木流から重松流に変えたとのお話は聞いてましたが・・・
この文献が正しければ重松流から鈴木流、そして重松流に戻ったと考えても
良いのではないかと思いますが・・・。(汗)
他の文献にも、そのようなことが書かれていました。
紀秋様に「ど〜でもいいんじゃないですか!(笑)」と言われそうです!(笑)
この文章の続きは
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柳瀬橋に渡した一本橋から下新井道をのぼって、北秋津小学校の東あたりまで来ました。
注釈:地図で見ると北秋津小学校の東と柳瀬橋の先には氷川神社がございます。
秋津町の線が濃厚な気がいたしますが・・・。
この文章の続きは
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ここから茨原(ばらはら)までは一面が草原で見通しもよく月明かりで道も良く見えます。重松さんが家のある所沢の植宿(うえのしゅく)までいそごうとしたときです。
1m50cmか60cmもあるような白狐(しろぎつね)が、月の光をあびて浮かれています。
そこで、重松さんは、狐をおどろかすつもりで、小石を拾うと狐をめがけて投げつけました。
すると、不意をつかれた狐は、びっくりして2mつかくも飛び上がったかと思うと、どことへもなく姿を消してしまいました。
重松さんは、そっと狐のいたあたりに行ってみると、まりのようなフワフワしたものが落ちています。さっき、狐がびっくりして飛びあがった拍子に丸くなっているしっぽの先が切れてしまったもののようです。
重松さんは、この狐のしっぽを拾う人は縁起(えんぎ)がいいと聞いていましたので、さっそく拾ってふところにいれるとうやうやしく持って帰りました。そして家の神棚(かみだな)におまつりをして、油揚げをあげたりしておまいりをつづけました。
すると、それからというもの、重松さんの家の染め物やこんにゃくの商売がとても繁昌(はんじょう)したそうです。
ただ、残念なことに、昭和34年に、火災にあって、狐の玉も焼いてしまいました。(齋藤修治氏講演記録より)
(『北秋津物語』p.120)
もしかしたら、工房紀秋宅あたりで重松がきつねに出会った可能性もありますね!(笑)

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