
16日朝、7時に起床・・・朝食を済ませ今日帰るので、ファミリ−でご先祖様の墓参りをして仏壇にお参りし・・・9時長崎へ


で出発町道で僕の田舎の町境の俵石見晴台で国道57号線で雲仙へ
田舎から霧が立ちこむ森林で風が優しく温度もかなり低く気持ちがいい


、雲仙まで約20分
http://www.unzen.org/
・・・今回は見物無しですまだ早いので観光客はチラホラ地獄の硫黄の匂いが立ち込める処を通過して、国道57号線を森林浴を浴びながらヒタスラ小浜温泉へ約20分、
http://www.obama.or.jp/
此処でも余り観光客と会わない

15日を過ぎると、お帰りになって少ないのだろう
此処からも国道57号線で橘湾の島原街道の綺麗な千々石海岸を見ながら、此処から国道57号線〜国道251号線で長崎へ・・・・・諫早を通らない近道です

この辺はジャガイモや落花生の生産地です。

飯盛山の此処はかなりキツイ下り坂です

長崎へ行く途中の国道251号線
途中・・・・国道251号線が二つに分かれる分岐点を、矢上大橋方面へ此処から短い100円有料道路で
長崎ペンギン水族館(ペンギンの芸が有名)
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/penguin/
方面で其の近所が姉の家です・・・約1時間45分で到着>>>>今回の目的は姉の主人のお見舞と1泊です。

姉の家は道路が2階に車を車庫に少し小さい車庫(軽四用)で車の前が道路にはみ出します。

階段を下りると1階です。
荷物を車から全部降ろし(お土産が車の中は傷むので)て直ぐにみんなで叔父さんお見舞に・・・


で15分位らしいが途中で姉とお昼ご飯

を食べてから入院先の和仁会病院へ
http://www17.ocn.ne.jp/~wajinkai/
・・・・和仁会病院は山の上で細い道で車が行き交い出来ない上、何とビックリ急斜面40度以上で止まったが最後登れる事が出来ない位の直角に曲がった斜面でした・・・・



面会を僕は去年今回の初盆の伯母さんの葬式の時以来です・・・・・其の時車で姉を送迎の時、手袋をはめるのが中々出来にくくなっていたが、其れから3〜4日で身体が痺れ起てなくなり入院で・・・・手術をする為MR検査をしたら今度は肺ガンが見つかり、其のままでは余命1年と診断されました・・痺れと動けなくなった原因は首の頚椎の血管が細くなった上に血管が昔、交通事故の後遺症が今になって重なって動けなくなったみたいです


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でも先に肺ガンの治療を先にして癌が小さくなり大丈夫に成った時点で首の手術をしました病院を癌の専門と首の手術専門と変わり、今の病院はリハビリ専門の病院です。
病院で撮影姉夫婦と僕のファミリ−です危ないと言われていたので会えて嬉しいです
おじさんも子供達に会え本当に喜んでくれました


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今月中に退院ですが、まだ車椅子で移動で自分の足で動けないので姉も大変です
姉の家は不便です階段を下りないといけません・・・今手すりを付けたりトイレを改装して敷居の段を無くしたりの作業を済ませ退院の準備をしている頃でしょう〜〜〜
病院から帰り僕は疲れが出てお昼寝・・・・目が覚めると子供達はふくちゃん(♂14歳)と散歩

ふくちゃんは散歩コ−スが決まっています・・・しんどい時はたまに自分で近回りをするらしい。
ふくちゃんは14年前交通事故に会い、姉の家の前で瀕死の状態で居たのを、姉が病院に担ぎ込み一命を取り止めそれ以来、姉が飼っています・・・・足も骨折していたので歩くのも大変です


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特に今日みたいに暑い日は休憩が多くなりアッチコッチで一休み中

あまりの暑さで蟹もお腹出して頓死

この川が長崎の大洪水で岩や大きな石で上まで埋まり・・・其の当時は姉夫婦は中華料理店(チャンポンと皿うどん専門)で大洪水でお店の厨房と道具類を流され営業が出来ない事もあった・・・・


山の中腹に長崎総合科学大学(旧・長崎大学{商船大学」)が全寮制でお得意様は学生で何時も満員でした・・・生徒に慕われ>>>体調が悪い時や風で熱があるときなど無料で特製ス−プを作って上げていた

ふくちゃんの散歩から帰ってきてから晩御飯
でもまだ早い6時前・・・お腹もあまり空いていないが食べられる
姉がご馳走を振舞ってくれ僕は大好きなエビスビ−ルで次女はアサヒス−パ−ドライ・姉は焼酎の水割りで好き好きが違う・・・・他3人は呑まない
満腹になり食事すんで、お風呂へ一番乗りで疲れたからだが癒やされ気持ちがいい
其の後、家族が全員お風呂を済ませた頃・・・・姉も疲れてたようなので、まだ9時だがこんなに早く寝るのも初めてで寝付けないで居た頃・・・・・原口さんから携帯に電話・・・・立花さんのお母さんの亡くなられたので第三ブロックはどう致しましょうかと相談でした


原口さん有難う、お蔭でブロックが恥掻かなくて済みました。
僕は立花さん本人から病院でお見舞い中に電話を頂き、危ないとは聞いていましたが、お母さんが亡くなられた事を知りました・・・ご愁傷様です


都島支部は僕と連絡で

小島副支部長が生花や弔電と僕の代わりに連絡網で連絡をしていただきました・・・ご苦労様

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其の後、色々考え忘れている事がないか思い浮かべていると眠気が醒めうつらうつらしている



内に朝に
続きは福岡飯塚へ

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