学校図書館について思っていることのメモ。  学校図書館

 先日、お世話になっている先生から、「図書館がなくてもいいと思っているようだが、それならどういうビジョンを持っているのか?」という問いかけを受けた。
 「図書館が必要条件だとは思わないが、図書館がしっかりしていないと困る」という答え方をしてみたものの、自分でもしっくりいかない。

 学校図書館を類型化してみようというアイディアは、同志社大学で開かれた一昨年の図書館情報学会のときの雑談に由来する。これをまとめてみることはできないか、というのが、今やっていることに直接つながる話である。
 これがうまくいっていない。論文にしようとしても、まとまらない。

 そもそもの問題意識は、図書館長時代、そして私学図書館協議会の副会長時代のさまざまな経験に由来する。

 たとえば北部のある先生は「うちの図書館なんて、見てもらうもの、何もないですわ」というのが、口癖のようになっていた。また、別の用事で、北部の学校を何校か回ったりして、「北部の学校が協議会に出てこない」のではなく、「出てこられない」あるいは「出てきても何も得られないのかもしれない」と思うようになった。
 その一端が、図書館の研修会で「すごい学校」ばかりが紹介されることにあるのではないか、と思った。
 そのような思いは、別に北部の小さな学校に限らず、たとえば関東の進学校での実践を聞いても「それはあの学校だから」と思ったり、図書館立て替えに関わったことを機に図書館に関わり続けることになった先生の話を聞いても「それはその先生の置かれた環境が特別だから」と思ったりする自分がいて、他校の実践を聞いても、うちとは事情が違うから、となってしまうのである。
(もっともそれは、図書館だけに限らず、社会科の授業実践報告を聞いてもそういう傾向がある。)

 また、学校経営が困難になったとき、図書館の予算と人手を守ることが、どれだけ学校全体にとってプラスになるのだろう。
 ある学校では、急激に生徒数が減少し、これに端を発する諸々の「改革」が進められ、早期退職者が相次いだ。労働条件は悪化し、さまざまな悪循環の中で、図書館においても専任司書を嘱託職員に置き換え、司書さんは事務に回った。この問題をどう評するべきなのだろう。
 財政が危機的状況にある大阪府では、橋下前知事のもと、オーケストラ、博物館なども、リストラの対象となった。「文化事業」といえども聖域とはならないのである。同じように、学校が経営難になれば、人件費にも図書館予算にも手がつけられる。

 大逆転を狙って、悪質な学校コンサルタントに騙されて、何億円もかけて「情報教室」を導入して学校改革の目玉としたものの、その後も生徒募集状況は芳しくならず、経営がさらに悪化した学校の話を、組合を通してしばしば耳にした。図書館を発展的に「情報センター」化すること、あるいは学校全体の取り組みとして図書館を学校教育の中心に据える改革は、よほどの確信や資金的ゆとりがなければ、なかなか踏み込める代物ではない。

 以前、東京であった私学の全国研修会に出ていたときのことだが、関東近郊からは司書さんが参加し、遠方からは図書館長が参加しており、その「温度差」あるいは問題意識のズレが露わとなっていた。
 ある県から来ていた図書館長さんは、「ここには校長が来ないといけないのにね。結局、予算と権限をどうするかという話なんだから。身内で話しても仕方ない」とおっしゃっていた。

 図書館に人や予算を割けない学校があることは事実。そういう学校に目を向けたとき、どういう可能性があるのだろうか。
 図書館を離れて、保健室で応急処置や発達障害のことを勉強しながら、ぼんやり考え続けた2年間であった。

 このことを、どうやってまとめたらいいのだろう?
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