私学教育という財  私立中学・高等学校について

 京都府は今年度、年収500万円未満の家計に対して、府下私立高校の平均授業料(年65万円)までを補助することで、実質的な授業料無償化を実現している(私立高等学校あんしん修学支援金)。この支援制度の利用は年々増加しており、制度の3年目となる2011年度はおよそ30億円に達し、さらに今後も増えていく可能性は高い。
 このように国や府の手厚い授業料助成(事実上の教育バウチャーである)によって、家計の所得に関係なく、自由に学校を選ぶことができるようになったと評することができる。しかし、私学経営者の中に、こうした授業料というハードルを下げることを歓迎しない声が一部にあるらしい。その理由は、「授業料をもらって、公立とは違う授業をするところに、私学の意味があるのだ」というもので、公立との差別化ができないから困る、というものらしい。

 うちの学校の生徒としゃべっていて、何がきっかけだったか忘れたが、授業料の話になった。高いよねぇ(だからちゃんとがんばろう)みたいは話ではあったが、彼らは授業料がタダになることには反対だったので、ちょっとびっくりした。「タダになったら、公立と一緒やん」というのがその理由である。
 自分たちは、小学校の時から塾に通ってこうして私立中学校に通っている。自分たちをちょっとした特別な存在として認識するにあたっては、授業料というのはわかりやすい指標なのだろう。あるいは親からそう言われているのかもしれない。
 夏休みのアメリカへのスタディツアーの企画があって、50万円ほどするのだが、募集人数をはるかに上回る応募があって、こちらがびっくりしてしまった。正直、数人程度かなぁ、と思っていたので、出せるご家庭がそれだけあるということだ。
 
 こういう財のことを、上級財というんだったろうか。嗜好財だったっけか。

 一方で、ある学校の校長先生に聞くと、多くの生徒が実質授業料無償化の対象となっているそうで、しかも、隣県から通学する生徒にはこの制度が適用されず、同じ授業を受けていても、家計の所得や、居住する府県の違いによって、納める授業料が変わってくる。担任が所得証明を持ってこさせて集めて、事務がチェックする。それはいかがなものだろう、という話であった。それもその通りだと思う。

 「私学に通う」ということには、単に教育を受けて学歴を手にする以上の付加価値がついていたり、あるいは逆に、公立ではサポートされない教育サービス(そういう教育には大抵手間暇がかかる)を手に入れるということであり、むしろ教育というよりも福祉的発想が必要な場合もあろう。

 私学の授業料が反映しているものは、いったい何なのか。そして、私学の授業料は、どうあるべきか。適正かどうかは、どうやって測ることが可能なのか。
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