1950年の「学校五日制」  教育のはなし

 『山形県高等学校十年誌』(1959)という資料に、3ページほど、おもしろい記述があるので、紹介する。

 山形県では、1948年、いくつかの小・中・高校を実験校として選び、学校五日制の導入について検討した。
 その結果、1949年3月の教育委員会において、「県下の状勢は全面的実施の機運に向いつつある」として、4月以降は届出制によって五日制授業実施を可能とすることとなった。
 届け出に当たっては、@実施までの準備(職員の研究調査、父兄の世論調査、父兄・社会の啓蒙等)、A実施計画:(1)開始時期、(2)教科課程の編成、(3)年間月別授業日数及行事予定、(4)土曜日の使い方(教師・父兄・児童生徒)、(5)家庭・社会との連絡、の提出が求められている。
 1949年度の実施校においては、次のような状況であったと、1950年2月の教育委員会で報告されている。
 1、実施上の難点は多いが、趣旨として賛成である。
 2、上級学校に進むに従い賛成である。
 3、農山漁村は都市に対して賛成が多い。
 4、完全授業は確保されている。
 5、本制度実施上の学校設備、社会設備が不十分であり社会の協力が欠如している。
 6、季節によって考慮することが必要である。
 7、研究指定校の意見
   1、教師生徒共に学習に計画性をもち、自主的学習の態度が養われる。
   2、PTAその他の教化団体の参加協力が漸次積極的になっている。
   3、家庭の理解協力、社会の協力は今後の研究課題である。
 この報告に基づき、1950年から山形県では学校五日制が本格実施される。その目的は、「教育の社会化促進、授業の完全実施、教育能率の向上、土曜日の活用による教師の資質の向上」とされ、全県下の学校に対して週五日制授業実施校に協力するために、諸会合は土曜日に集約することが推奨された。ただし、五日制実施はあくまで原則レベルに留まり、その地域の実情と季節に応じて、適宜六日制を勘案することが望ましいとされた。
 その結果、学校五日制は導入されたものの、年を経るに従って六日制に戻っていったという。
 (山形県教育委員会『山形県高等学校十年誌』1959、298〜301ページ)

 1980年代の「内需拡大」論から派生した「時短」議論に「ゆとり」教育論とが結びついた結果、今につながる学校五日制が月1回導入されたのは1992年、隔週五日制を経て、完全実施は2002年からであった。
 実はその40年前に、学校五日制についての議論が行われ、一部で実施されていたことは、どれほどわかっていたのだろう。そして、なぜ五日制は定着せず、六日制に戻ったのか、どれだけ検証されたのだろうか。
 もしもそのとき、慎重な議論が行われていれば、公務員の労働時間短縮は、学校五日制によってではなく別の方法によって行われていたのではないだろうか。
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