センセイと会議  

 組合の会議に出ても思うことだし、うちの学校の会議もそうだし、たぶん学校での会議というのは全体的にこんなものなのだろうと思うことがあって、学校での「会議」というものは、ビジネス書なんかで「会議が変われば会社が変わる」とか言われるときの「会議」とは似て非なるものである、ということである。
 おそらくは、会議の目的が、ある目標を達成するために最も有効である手段を選択する、という意思決定の場ということに限らず、みんなで決定の場に居合わせることが大事である、という手続き的な側面を、教員集団が選好する傾向があるからだろう。これは、戦後すぐの国語教科書に載っていた「民主的な学級会の進め方」を読んでもわかる。
 そして、迅速かつ効率的な組織としての意思決定を行うことのみが会議を開く目的ではないのだから、「今日は何も決まらなかった」だとかいうことも許されることがある。そういう決着の方がよかったことも経験上少なくないが、忙しいのに2時間参加して、このプリント読んだらわかったことやん、という会議に出くわしたことも同様に少なくない。
 おそらく、民間人校長さんが最初に面食らうのは、こういう教員文化ではあるまいか。これを変える必要性があるかないかはともかくとして、かといって階層的な職制の構造と命令系統の確立も教育現場には必ずしもそぐわないわけで、いいとこどりをした会議のやり方がこれから模索されて行くべきなのだろう。
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