問いと問うという問い  

 血液型占いは、もともと「誰でも平等なんだよ」ということを言いたくて始まったのだと聞いたことがある。それがウケるのは現代日本社会であるからであって、階級社会や他民族社会なんかでは「なんでオレがあいつと同じなんだ」ということで相手にされないだろうということらしい。平等観ひとつにしても、そこには文化的な影響が入って、その問いが立つことそれ自体が問いになる。
 hard scienceとsoft scienceという言葉があるけれど、ふにゃふにゃなsocial scienceにおいて問いを立てるという行為そのものについて、考えることしきり。

 いよいよ明日は総選挙の投開票日。
 景気の底は打ったというけれど、物価の下落は続き、有効求人倍率は下がり、失業率は確実に上昇を続けている。緊急対策が切れるこの秋以降、二番底はあるんじゃなかろうか。自民党政権の負の遺産にどこまで民主党が対応できるのか。そして有権者はいつまで我慢できるのだろうか。
 事前調査では民主党が300を超える大勝の予想である。民主党政権になった場合、自民党が闘う集団として再編成されて健全な政党システムが確立されることを期待し、そして記者クラブを廃止するという公約が実現されることで日本の政治ジャーナリズムが健全化されることを期待しようと思う。
 さて、立命館宇治の杉浦先生が、授業でマニフェストを検討させて模擬投票をさせている記事が今朝の新聞に載っていた。先生とは社会科の授業研究会をしばらく一緒にやって、同じことを考えている人がいるなぁ、と楽しく会を続けてきたけれど、こっちがちまちまやっている間に、彼の授業は年々洗練されていくし、周囲を巻き込んで話題性も大きくなってきている。

 というわけで、明後日の授業は、出たとこ勝負であります。
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