memo  

 思いつくままに。

 民主党政権が次々と「元官僚」を実力本位として政治任用しているのは結果オーライとして別にいいと思うけれど、自民党政権時代に日銀総裁人事をはじめ、さんざん「元官僚だから」という理由で反対し続けたのは、ただ反対する口実が欲しかっただけだったんだな、ということがはっきりした次第。君子豹変と言うにもちょっと苦しい。

 JALが経営再建のために不採算路線を廃止し、神戸空港から撤退するそうで、神戸市は猛反発しているそうだ。そもそも、あれだけ「要らない!」と言われまくった空港を手前勝手な需要予測と収益見通しを立てて強引に建設したのは当時の市長や市議会多数派だったわけで、「ほら、案の定・・・」と言いたいところだが、誰に向かって物申せばいいのやら。

 昨日の朝日新聞に、韓国の受験事情が載っていた(「世界発 減らせ塾代 韓国手探り」)。韓国では、受験戦争の過熱ぶりが以前からずっと問題となっているのは知ってはいたが、「学校間格差をなくす」という理由で一般高校には入試がないらしく、そのために入試による選抜を行う「外国語高校」に優秀な生徒が集まり、名門大学への近道として人気を集めているのだとか。80年代には塾や家庭教師を法律で規制したが効果なく、元に戻ったとか。教育費支出はうなぎのぼりで、負担軽減のために中学校で課外授業をするようになったというのは、韓国版「夜スペ」である。大学を出ても正規職に就けるのは4割という厳しい雇用情勢にあって、生き残りをかけた学歴(学校歴)獲得競争は激しさを増しているのは、日本と同じこと。

 夜の繁華街で、塾の職員さんを先頭に、小学生がぞろぞろと駅まで行進する姿を見かけた。塾の前にお迎えの車が並ぶ光景も異様だなぁと思ったが、こちらも同じく違和感を覚える。

 何においてもそうだが、需要量よりも供給量が不足する場合、その分配をめぐって何らかの調整方法が必要で、くじ引きだとか配給だとかいろいろ手段はあるが、もっとも効率的なのは、いちばんお金を払った人から分配していくという市場メカニズムによる分配である。
 どんな方法を講じたところで、入学志願者よりも入学定員が少なかったり、正社員の採用人数が就職志望者よりも少なかったら、必ず競争は発生する。

 同僚のお通夜に参列して思う。祭壇の向こうからは、手を広げたイエスが自らの復活によって永遠の命を約束して死者の魂を天に迎え入れ、こちらではみんなで歌と祈りによって死者の門出を見送る。お焼香だけで済ませるよりも、ずっと死を受け入れられる気がする。
 自分が死んだとき、お経をあげてもらうお坊さんを指名することは、はたしてできるのだろうか。浄土真宗の僧籍を持つ仲のいい先生や、かつて担任をした浄土宗のお寺の跡継ぎ息子に、四十九日の道案内をしてもらう方が、よっぽど心強い。
 「墓を守る」ということを考えたとき、檀家制度という徳川幕府の遺構がいまだに幅を利かせる日本仏教界では難しいのだろうか。

 今年も図書委員を連れて大谷中高の図書館にお邪魔しに行ってきて、百人一首やしおり作りなどで交流して気分よく解散する。「外の空気に触れる」というのはお互いにとっていいことだ。
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