くじの日  

 200992日、午前922分発の、のぞみ222号に乗って、来週の学会発表の打ち合わせと、ボスの東大退官前のごあいさつのために、上京する。

 もっともっと、がんばらなくては。
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1993.6.18→2009.8.30  

 あの日、野党が提出した宮澤内閣不信任決議案が、自民党からの造反によって可決された。
 そして、政治改革を求める若手グループが離党し、政界浄化を掲げて新党さきがけを結成した。その中に鳩山由紀夫がいた。また、派閥抗争に敗れて非主流派となっていた羽田派も離党し、自民党への対抗勢力の集結をめざして新生党を結成した。その仕掛人が小沢一郎であった。
 ぼくが選挙権を得て最初に投じた1票は、続く細川連立内閣の誕生につながった。
 その秋から始まった政治学のゼミでは、当然この政界再編がテーマとなった。班に分かれて各政党を担当し、ぼくたちは社会党と新党さきがけを調査した。三宅坂の党本部にインタビューに行ったり、兵庫や島根の地方支部にも調査(という名のドライブ)に出かけた。マスコミ報道をもとにしてディスカッションする中で、選挙制度改革の委員会に各紙の幹部が関わることによって、途中から各紙の政治改革への論調が変化したことを発見したりもした。
 このときのキーパーソンは小沢一郎であった。彼がめざす「普通の国」、すなわち成熟した個人を基盤とし、健全な二大政党が政権交代を繰り返しながら、迅速な政治決定を積み重ねていく統治システム像がその背景にあり、小選挙区制の導入はそのための手段であった。
 しかし、この小沢構想は、社会党の離反と村山自社さ連立政権樹立によって頓挫し、新進党は空中分解する。次に小沢は自由党を率いて自民党に接近し、トップダウン型の官邸主導の意思決定を定着させようとするが、自民党は次第にうるさくない公明党の方に軸足を移し、ついに小沢は連立を離れた。
 皮肉なことに、小沢がめざした「党主導の選挙」「トップダウン型意思決定」「官邸主導の政治運営」「小選挙区制による地すべり的勝利を受けた強気の国会運営」という国家像を最初に実現させたのは、宿敵・小泉純一郎であった。彼は、小沢の主張してきた「新自由主義」政策を推し進め、「普通の国」としての自衛隊の海外派遣にも積極的であった。小沢は、さきがけの流れを汲む民主党に合流し、反自民統一戦線がここに完成する。一方で、自民党は小泉以後、混迷を極めることになり、もはやいかなる延命措置も効かない状態に陥った。
 そしてとうとう、自民党は結党以来守ってきた衆議院第一党の地位を追われることになった。
 16年間の長い長い物語である。
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問いと問うという問い  

 血液型占いは、もともと「誰でも平等なんだよ」ということを言いたくて始まったのだと聞いたことがある。それがウケるのは現代日本社会であるからであって、階級社会や他民族社会なんかでは「なんでオレがあいつと同じなんだ」ということで相手にされないだろうということらしい。平等観ひとつにしても、そこには文化的な影響が入って、その問いが立つことそれ自体が問いになる。
 hard scienceとsoft scienceという言葉があるけれど、ふにゃふにゃなsocial scienceにおいて問いを立てるという行為そのものについて、考えることしきり。

 いよいよ明日は総選挙の投開票日。
 景気の底は打ったというけれど、物価の下落は続き、有効求人倍率は下がり、失業率は確実に上昇を続けている。緊急対策が切れるこの秋以降、二番底はあるんじゃなかろうか。自民党政権の負の遺産にどこまで民主党が対応できるのか。そして有権者はいつまで我慢できるのだろうか。
 事前調査では民主党が300を超える大勝の予想である。民主党政権になった場合、自民党が闘う集団として再編成されて健全な政党システムが確立されることを期待し、そして記者クラブを廃止するという公約が実現されることで日本の政治ジャーナリズムが健全化されることを期待しようと思う。
 さて、立命館宇治の杉浦先生が、授業でマニフェストを検討させて模擬投票をさせている記事が今朝の新聞に載っていた。先生とは社会科の授業研究会をしばらく一緒にやって、同じことを考えている人がいるなぁ、と楽しく会を続けてきたけれど、こっちがちまちまやっている間に、彼の授業は年々洗練されていくし、周囲を巻き込んで話題性も大きくなってきている。

 というわけで、明後日の授業は、出たとこ勝負であります。
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センセイと会議  

 組合の会議に出ても思うことだし、うちの学校の会議もそうだし、たぶん学校での会議というのは全体的にこんなものなのだろうと思うことがあって、学校での「会議」というものは、ビジネス書なんかで「会議が変われば会社が変わる」とか言われるときの「会議」とは似て非なるものである、ということである。
 おそらくは、会議の目的が、ある目標を達成するために最も有効である手段を選択する、という意思決定の場ということに限らず、みんなで決定の場に居合わせることが大事である、という手続き的な側面を、教員集団が選好する傾向があるからだろう。これは、戦後すぐの国語教科書に載っていた「民主的な学級会の進め方」を読んでもわかる。
 そして、迅速かつ効率的な組織としての意思決定を行うことのみが会議を開く目的ではないのだから、「今日は何も決まらなかった」だとかいうことも許されることがある。そういう決着の方がよかったことも経験上少なくないが、忙しいのに2時間参加して、このプリント読んだらわかったことやん、という会議に出くわしたことも同様に少なくない。
 おそらく、民間人校長さんが最初に面食らうのは、こういう教員文化ではあるまいか。これを変える必要性があるかないかはともかくとして、かといって階層的な職制の構造と命令系統の確立も教育現場には必ずしもそぐわないわけで、いいとこどりをした会議のやり方がこれから模索されて行くべきなのだろう。
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始業  

一気に校内の人口密度が高まって、テンションも急上昇。
さて、これから、swine fluとの心理戦と消耗戦である。
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大阪校外選定  

 ジュンク堂大阪本店で校外図書選定。あっという間の2時間半。まだまだ買えるぞう。

 そろそろ職員室に人が戻ってきた。この夏の免許更新講習に出た人たちが、さんざんぼやいていた。あの制度、一刻も早くやめた方がいい。
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準優勝  

 高校私学大会で準優勝。表彰台は15年ぶりくらいじゃないかな?
 私立高校が進学シフトをかけてハンドボール特待生を減らしたことと、公立高校が反対に運動部を強化してきたことで、京都の私学ハンドの地盤沈下は進んできたんだろうな。大阪兵庫の私学はまだ強いけど・・・。
 というわけで、8年ぶりの近畿私学出場。
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(無題)  

 7月29日以来3週間ぶりに、仕事しに職場に出勤しました。なんだかテンションがヘンなのがわかりました。さてさて、次の休み(30日)に向けて、まずはあと10日間がんばるのであります。
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日本の世代交代  

 今年も各紙各局が「あの戦争を振り返る」特集をいろいろと組んでいる。64年経つと、軍国主義・敗戦・廃墟からの再出発という「戦後」そのものを体験した人が、目立って公の場から退いていくようになる。
 今回の総選挙の意味というのは、政権交代もさることながら、戦後を生きた最後の「昭和人」たちが永田町から引退するということではないか、と考えるようになってきた。古賀誠元自民党幹事長は日本遺族会の会長でもあるが、すさまじい逆風にさらされている。保守系リベラルということでは、河野洋平衆議院議長が引退する。ネオリベラルとは一線を画す、湿っぽい共同体主義が保守の屋台骨であったのだとすれば、小泉改革はこういう意味でも自民党をぶっ壊したのだといえようか。
 「世代感覚」という言葉を使うならば、「自分はあの戦争を生き残った」という自覚をもって、亡くなった仲間たちのためにもこの国を守らなければ、という思いは、政治や経済の世界に向き合った人たちの中で共有されていた感覚であったのではなかろうか。そして「55年体制」の根底にあったのはそうした「お約束」であったのではないだろうか。靖国問題も、昨今の単純で声高なナショナリズムではなく、そういった思いの発露であったのだろうと、今なら思える。
 戦争ですべてを失いながらも、父方の祖母は自民党を一生懸命支援し、母方の祖父は社会党を応援し続けた。どちらも思いは反戦であり、恥ずかしくない国を子孫に残すことであった。こうした素朴な反戦ナショナリズム感情の受け皿が、自民党にも民主党にも感じられない。かまびすしい論争もいいが、声なき声に静かに耳を傾ける政治がなくなってしまうのではないかと、ちょっとした不安を抱いてしまう。ベスト・アンド・ブライテストが国策を誤ったのは、実は昭和初期がそうだったし、ベトナム戦争だってそうだったではないか。
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社民党のマニフェスト?  

 イスラムの教えでは一夫多妻制が許されてるんだよ〜、なんて話すと、たいていの男子♂は「いいな〜♪」とため息をつく。そこには、その裏に一生女性に縁のない数多の男がいるということは考慮されない。もちろん自分がそっち側に入るかもしれないなどとは、夢にも思わない。
 この10年ばかりの間に日本の若者相手に伝えられ続けたメッセージも同じようなもので、「チャンスをつかめばミリオネアになれるのだ!」というものであり、起業で成功して六本木ヒルズに集う人たちが成功事例として取り上げられることが少なくなかった。これに対しては森永卓郎氏が当時から「収入が増えるのは3%の人たちだけで、残りの人たちはこれから収入は減るんですよ」と繰り返し警鐘を鳴らしてきたけれど、「一夫多妻制」への夢みたいなものの前ではかき消され続けてきた。
 この10年間の成長モデルに、所得の再分配構造を緩和することで経済が刺激される、というものがあった。一方の極には、がんばっている高額所得者への減税措置によってもっと稼いでくれるようになるのだから、そこから景気が刺激されるという発想(トリクルダウン理論=「おこぼれ経済」)があり、一方の極には、生活保護などの社会保障を厳しくすることで、政府の施策に甘えることなくもっと働くようになる、というものであった。
 実際には、トリクルダウンがあったのかどうかは疑わしいし、セーフティネットの崩壊は社会の維持そのものを危うくする。それならば、いちど白紙に戻す、つまりは税制を10年前に戻すべきである、というのは、金子勝氏の主張としてあるし、社民党の福島党首も言っていたことである。
 ただし、いちど減税を受けた人がやっぱり元に戻すよ、と言われてもそりゃ反対するだろうし、高額所得者を狙い撃ちする所得税率変更は、労働者階級に支えられた政党でもなければ正面切って言いにくいだろう。となると、高額所得者が主たる対象となるような新たな税の創設・・・つまりは、物品税の復活、あるいは消費税率アップ(ただし庶民の生活物資の税率は据え置き)ということになろうか。
 各党が発表したマニフェストには、いわゆる財源問題も含まれている。しかし、なぜすべての政党があらゆる政策領域に関する政権公約を示さないといけないのかは、理解に苦しむ。特に、社民党と国民新党は民主党と連立を組む予定なのだから、シングルイシューパーティとして譲れない政策を1つ2つ示すくらいにしないと、政策協議に踏み込めず、「ぶれた」と批判を受けるだけになりはしないか。国民新党には郵政民営化見直しというのがあるけれど、社民党についてはちょっと心配してしまう。
 マニフェストの本家イタリアの総選挙では「中道右派連合」と「中道左派連合」とが団体戦で政権を争うのだから、日本でも、各政党ごとにではなく「自民・公明共通マニフェスト」と「民主・社民・国民新共通マニフェスト」とを競わせなければ、「政権公約」としては意味がないようにも思うのだが。

 ・・・なんてことを、6党党首討論を見ながら考える。
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勝ち幅、負け幅  

 本屋に行ったついでに、週刊誌を片っ端から立ち読みして、先週の騒ぎについておさらいする。
 総選挙も近いこともあって、自民党がどれくらい惨敗するかと、民主党が勝ってもこんなに大変だ、という記事が少なくない。「300小選挙区完全当落予想!」なんて特集もちらほらあるけれど、だいたい「民主240×自民180」あたりが相場ってところだろうか。
 実は、ぼくは自民党は150を切るのではないかと思っている。理由は簡単で、前回の選挙で民主党が120を切る惨敗をしたからだ。
 2005年の郵政選挙では、「小泉旋風」が吹いて自民党が300議席近い圧勝を遂げたといわれている。しかしその内訳をよく見れば、小選挙区制度に特有の「地すべり的勝利」が起きたからだ、ということがわかる。
 自民296=小選挙区219、比例77
 民主113=小選挙区52、比例61

つまり、得票数には大きな差がなく、事実比例区では自民党は民主党に30%ほどしか差をつけていないにもかかわらず、小選挙区制によるバイアスによって選挙区では4倍以上の大差がついた。
 だから反対に、民主党が自民党よりも30%多く得票すれば、民主は300に迫り、自民は150を割り込む可能性が高い。ただそれだけの話である。
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(無題)  

 しばらく更新が滞っておりましたが、べつに、のりPと一緒に隠れていたとかではありません。
 福井で図書館協議会の大会があってそちらに行っていたりしておりました。
 それにしても、広島も長崎も、クリントンの訪朝も、総選挙も、お塩先生とのりPに見事にぶっ飛ばされてしまいましたね。芸能界は怖いなぁ、というのと、六本木ヒルズって恐ろしいなぁ、と思いました。
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2回戦  

 南から真夏の空気が一気に押し寄せて、ようやく関西も梅雨明けした。
 2日目とあって生徒の方も手馴れたもので、放っておいても大変スムーズに運営は進む。「何もやることがないけどずっといなけりゃいけない」というのは「忙しすぎてたまらない」ことよりも苦痛であった。ともあれ、会場の撤収も完了し、無事にお役目終了。
 ケイタイのカメラなもので、あまりきれいでないのはご勘弁。

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 お弁当。毎日中身は違った。

 それにしても、全国紙には、たかが地方予選に過ぎない高校野球の記事が8段組みで載せられ、高校総体というあらゆる高校スポーツの全国大会については、まとめて3段。
 そうそう、私立高校が強いのは、新体操とか特殊(?)な競技もそうである。 
 高校生に対してスポーツを通じて教育的効果を期待することはごもっともなことだしそうだと思うが、それがなぜ学校の課外活動としてなされなければならないか、その答えはたぶんないのではないだろうか。それでは「高校スポーツ」って何だ?


 今日、初めての裁判員裁判がスタートした。今月末には戦後初の「政権選択選挙」が行われる。事実上、行政の長を国民が投票で選出する選挙でもある。
 2009年8月は、日本の民主政治の歴史の中で、「三権への国民への参加」という点において、重要な転換点として刻まれる月になるのかもしれない。

 気になることを1つ。
 仮に民主党政権が発足したとしても、当初からうまくいくわけがない。連立を組めば、しばらくは政策面での不整合も出てくるだろう。
 このとき、メディアも野党自民党も、アメリカのように最初の100日間はじっと見守ることができるだろうか。
 細川政権が瓦解したのは、メディアが自民党の揚げ足取りに乗っかって騒いだことも一因だと思っている。同じことが起きないという保証はない。
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1回戦  

 今日から4会場に分かれて試合が始まり、田辺会場でも女子1回戦6試合が行われました。運営業務の合間にチラチラ見ていたけれど、さすがに最後は飽きてきた感があります。
 今日は白いシャツを着ていたのに、けっこう声を掛けられました。というわけで、昨日の仮説は棄却されました。


 ところで、ハンドボールの各都道府県からの48代表のうち、私立高校は、男子では17校、女子では11校。昨日全49代表がそろった高校野球では私立が39校もあったのに比べて、公私比率が学校数比率と大して変わらないのに驚いた。
 旧7帝代のうち、東大がぶっちぎって私立高校の占める割合が高いが、これと同じことで、この国においては「東大合格」と「甲子園出場」というのは別格なんだなぁ、と、トーナメント表を見ながら、しばし考える。
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リハーサル  

 今日は明日から始まるインターハイの開会式リハーサルで、朝から田辺の同志社女子大学へ。丘の上の広くて静かなキャンパスである。大学が動かす資金って桁が違うなぁ、とつくづく思う(入試1回分であれが1棟建つのかなぁ、と計算してみたり)。スポットライト係なので気楽なものだが、担当になった先生は平均睡眠時間3時間でふらふらになりながら走り回っている。たいへんだなぁ、とご理解して、少し会場準備作業にもご協力する。
 これは校務として認められるからまだいいとして、組合の全国大会なんて、勤務時間が終わってから手弁当で準備をやっているわけで、よっぽどのモチベーションがなければやってられないのだろうし、実際にやってられない。
 出場校の名前が次々と読み上げられる。きっと、ハンドボールをしたくてこの高校を選んだ生徒がほとんどなのだろう。課外活動であるはずのスポーツクラブが学校生活の中心になるなんて、改めておかしなシステムだと思う。
 こんな話を連れの先生としながら、スポーツの成績が優秀だと奨学金で大学に通えるなんて、たぶんアメリカと日本だけだろう、という話になった。日本の高校・大学におけるスポーツについては、アメリカのモデルでどこまで説明できるのか、そしてどこまでできないのだろうか。
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