民主党のレゾンテール  政治のはなし

 民主党はこの1週間ばかり、自民党もおそらくしなかっただろう、重要法案を1日の審議で強行採決するというびっくりするような国会運営をして、さらに、選挙を前に党内から「鳩山おろし」の声を公然とあげるなどという、自民党政権よりもお粗末な醜態をさらしてきた。
 社民党のレゾンテールは護憲と安保問題なんだろうし、国民新党のレゾンテールは郵政民営化見直しなのだろうから、それを党の存亡をかけて民主党に要求するのはわかる。それでは民主党のレゾンテールはというと、自民党政権時代の統治システムを刷新することであったはずだ。
 今日、鳩山首相が辞意を表明した。
 これまで民主党が批判してきた自民党のお家芸「政権たらいまわし」を、やはり民主党も行うらしい。
 民主党は次の選挙まで絶対に鳩山首相を支えなければ、党としての存在価値はなくなると、ずっと考えてきたし口にもしてきたが、とうとう現実になってしまった。
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社民党のレゾンテール  政治のはなし

 社民党が連立を離脱した。
 普天間の県外移設問題は社民党のレゾンテールなのだから、鳩山連立政権にはそれ以外にもたくさん取り組むべき課題があったのに、どうしてこの問題に深入りしてしまったのだろう。
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雑感  政治のはなし

 鳩山内閣の支持率が下げ止まらない。事業仕分けも不発だったみたいだが、郵政事業を復活させて郵政一家を温存しておきながらでは説得力もなかろう。
 野党時代には、予算の組み換えで2兆円だとか、沖縄からの基地移転だとか、いろいろと言いたい放題だったが、ここまで準備不足だったとは、ちょっと予想もしていなかった。かといって今、自民党に政権を返すのもどうかと思うし、民主党のトップのクビを挿げ替えれば解決する問題でもないのに、「即刻辞任せよ」というのはどういう意味なんだろう。「辞任した後まで考えるのが政治家だろう」という丸投げが通用した時代は終わったのに。
 これだけ首相が簡単に交代する先進国はイタリアくらいだろう「たちあげれ日本」なんて政党のネーミングだって、かつてベルルスコーニが率いた「がんばれイタリア」みたいだし、財政赤字も大きさもそっくりだ。民主党はイギリスの政党政治をモデルとしているそうだが、皮肉なもので、当のイギリスでは3つの政党が横一線に並んでまもなく総選挙を迎えようとしており、二大政党の時代が終わるかもしれない。ただし、将来東アジア共同体ができたときには、日本はイギリスのようなポジションになるような気がするので、今からEUでの位置づけについて参考にさせてもらっておくのもよいのかもしれない。
 そんな鳩山首相が連休中に沖縄を訪問するそうだ。何度も書くが、沖縄の基地問題を解決するためには、「全国民が沖縄の負担について考える」という状況をつくりあげなければならず、首相が全国民に向かって訴えなければ無理だろう(いい加減なぶら下がり取材ではなく、アメリカ大統領のようにテレビから国民に向かって語りかけるくらいでなければ意味がない)。
 それ以外の唯一の解決策は、日本から一切の米軍基地をなくすことだ。そんなことできるのか?

関連:
http://sun.ap.teacup.com/kodamac/650.html
http://sun.ap.teacup.com/kodamac/663.html
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地元の合意?  政治のはなし

 今年度は私立高校について考えることに資源を集中しようと思うのだが、ずいぶんと昔のことだが、沖縄の米軍基地・石垣島の白保沖新空港建設・六ヶ所村の核燃料サイクル施設建設とフィールドワークをし、若狭・大飯原発の立地手続きの政治過程を修士論文のテーマとし、久美浜原発についても小論を寄せたことのある者としては、普天間基地移設問題がどう決着するかについては、どうしても気になってしまう。
 前にも書いたけれど、この問題は「NIMBY politics」というやつで(
http://sun.ap.teacup.com/kodamac/763.html)、そうやすやすと合意形成ができるとは思えない。
 さらにこの問題では、「地元の合意」とはどのレベルのことを意味するのかについて定義されていないため、たとえば地元となる市町村の町長や議会が合意しても、その市町村の住民の一定数が反対の声を上げてリコール運動を起こせば「地元合意ができていない」という判断が下される可能性は高い。
 たとえば、原発立地手続きでは、専門家による安全性の審査を踏まえ、立地市町村の市長・議会が受け入れを表明した上で、最終的には都道府県知事が決定することで「地元合意がとれた」と判断される。これを逆手に取れば、知事に「拒否権」があると考えられるわけで、原発受け入れと引き換えに国から地域振興計画を引っ張ってくるのが、知事の政治的手腕の見せ所でもある。このように、知事は手続き上の拒否権をバーゲニング・リソースとして、政治家ルート・行政ルートを通して、国との交渉を有利に進めようとするのである。
 この過程で、地元住民全員の合意がとれず、一部住民による反対運動が沈静化しなくとも、周辺の地区はことごとく賛成して立地市町村全体としては賛成派が多数を占めることで、首長や議会が「合意」に踏み切ることはありえる話で、これを受けて知事が建設への許可を出せば、これは見方によっては「知事が住民の意向を無視して、手続きを進めている」ともとれる。
 だから、「地元の合意」とは何か、「地元の声」とは誰のことか、「地元住民」の範囲はどこまでか、これをあらかじめ明らかにしておかなければ、どう転んでも禍根を残す。
 もっともこれを明らかにしたところで、禍根は残るのだけれども。当たり前だが、この問題の解決は容易ではない。

 なお、鳩山首相の「私は愚か者」発言の全体像は、次のようなものらしい。森元首相が「神の国」発言で波紋を呼んだが、たとえ本筋とは関係のないワンフレーズでも、テレビというものは容赦ない。
「確かに、ワシントンポストのいわれるように、私は愚かな総理かもしれません。それを、昨年の12月において、もし、『エイヤ』と、辺野古という場所に新たな普天間の移設先を決めていれば、どんなに楽であったか、はかりしりません。そしてそのことでオバマ大統領との間で、日米関係が一見、良くなったようにみえたかもしれません。しかし果たしてそうでしょうか。私はそうは思わなかった。決して、愚かだったから、愚直だったから、あるいはそうかもしれません。しかし、結果として辺野古の海、果たして工事が進んだでしょうか。私は結果としてあと数年間、何も動かなくなる。結果として日米関係が一見よくなったにもかかわらず、結局は日米安保、おかしくなったね。あの結論、間違いだったじゃないか、そのようにいわれたかもしれない」
 「私はだからこそ、沖縄の県民の負担をできるだけもっと少なくしていかなきゃいけない。今日までの沖縄の皆様方の大変なご負担を考えたときに、少しでもそれを和らげることができた、愚直にそう思ったのは間違いでしょうか。私は決して間違いだとは思っていない。私はその思いの下で、オバマ大統領に核セキュリティーサミットの時に、むしろ、私は日米安保を大事にしたい、日米同盟というものを大事にしたい、日米同盟というものをさらに維持発展していきたい。そのためにも、沖縄のみなさんの負担をもっと軽減させる道はないか。今、その思いで努力をしているところである。そのことが結果として、日米安保の将来にとってもいいことになるはずだ。だから、5月末までに必ず私として責任を持ちますから、だからぜひオバマ大統領にも協力を願いしたい。そのことを10分間、わざわざオバマ大統領が核セキュリティーサミットワーキングディナー、冒頭の時間を鳩山に与えていただいて、そのことを申し上げたところでございます」

(msn産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100421/plc1004211659013-n1.htm
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タグ: NIMBY

大予言?  政治のはなし

 自民党からまた離党者が出たが、そもそも自民党は政権党だからこそ意味があったのだから、当たり前のことだ。むしろこれまでの離党者が少なすぎるくらいだ。これも少数政党が割を食う小選挙区制のせいだろう。
 離党騒ぎが起きるのも支持率に一喜一憂するのも、それもこれも参議院議員選挙が近いためだ。選挙ではたぶん民主は負けて、ねじれ国会に逆戻りする。
 民主党は自民党からの離党組をパートナーに引き入れると同時に、社民党および党内の一部の勢力を切り離す。これは、小沢幹事長が新生党時代に細川内閣のもとでやろうとした前歴がある。
 自民党内には、旧保守と新保守が同居しているので、これをきっかけにすっきりとイデオロギー軸で別れる方が、将来的な再建のためにも好ましいだろう。一方で、袖にされる社民党も、共産党と大同団結するなりして、「社会民主主義勢力」を結集すればいい。
 こうして、「旧保守」「新保守」「社民」という3勢力の鼎立時代がやってくる。1990年代後半の政治状況と照らし合わせても、ない話ではないし、きっとこの方がイデオロギー的にも収まりがよい。

 しかしまずは、国政選挙の間隔をせめて2年にまで広げるとともに、参議院の選挙制度を大きく変えるべきだろう。これでは何のための昨年夏の総選挙だったのか、わからない。
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秘すれば花?  政治のはなし

 岡田外務大臣が、過去の「核密約」について明らかにした。歴代内閣は、米軍による核兵器の日本への持込みを知っていながら黙認し、国会などでは「そのような事実はない」との答弁を繰り返してきた。これが虚偽であったことが、調査の結果、国民に報告されたのである。まず最初にやることは、佐藤栄作元首相のノーベル平和賞の返上であろう。
 もっとも、フィリピンを出た時点で搭載されていた核兵器が、日本に着いたらなくなっている、というおかしな現象が起きていたわけだから、公然の秘密といえば公然の秘密みたいなものであった。ただ、社会科の教科書には「日本は核兵器を『つくらない・もたない・もちこませない』という非核三原則を国是としています」なんてことがしっかりと書かれていて、素直な子どもたちはこれを真に受けているわけで、少なくとも中学校の社会科教師は、知ってか知らずか30年以上、子どもたちにウソをついてきたことになる。
 これで胸のつっかえが取れたので、すっきりしていいのだろうか。実は岡田外相は、パンドラの箱を開けてしまったのではないか。
 自民党政権は、国民に対して説明責任は果たさずに結果責任を取るという、パターナリズム(父権主義)による統治を行ってきた。これを暴こうとした毎日新聞の西山記者は、別件逮捕と人格攻撃という強引な手法によって口封じされ抹殺された。
 しかし、国民が知ってしまった以上、核に関する限り、この方法は今後通用しない。
 今後もアメリカの「核の傘」に入り続けるのであれば、そのためには日米同盟や核政策についての再定義が必要である。核の傘から外れて核武装するという選択肢はあるが、東アジアの安定のためにも外交関係上も得策であるとはいえない。あるいは東アジアの非核化をめざすにしても、核保有国・中国をどうするのか、台湾海峡有事や朝鮮半島有事をどう考えるのか。日本としての結論が求められている。その結論は、政権が「父」ではなくなった以上、子どもから自立して大人となった有権者が出さなければらない。
 もはや、「核兵器はよくない」「戦争反対」だけでは済まされなくなった。このことは、日本の小中学校でこれまで行われたきたような、いわゆる「平和教育」の終焉をも意味しているように思えてならない。
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ほんとかなぁ  政治のはなし

 参議院の予算委員会に、3閣僚が5分ほど遅刻してきて(事務方が時間変更を伝えていなかったらしい)、自民党議員に怒られていた。
 さっそく、ヤンキー先生議員さんが、「高校入試では、遅刻したら受験できないのに、何てことだ!」とお説教されていた。
 ほんとかなぁ。
 5分の遅刻で受験させなかったら、それこそ大問題になると思うけど。北海道ではそうなんですか、ヤンキー先生?

 自民党の迷走は止まらない。「自民党とは何か」というアイデンティティ・クライシスに陥っていることは明らかで、いい加減かつての社会党や新進党や民主党にやられたような抵抗はやめて、3年後の衆参ダブル選挙に向けて足元を固めたらどうだ。

 そんな中、下落する支持率の回復のために内閣改造なんて話が出ている。
 自民党がコロコロと閣僚の首を挿げ替えたことにより、大臣の地位が鴻毛より軽くなり、実質的な政策形成過程は、党内の族議員と官僚の手に委ねられていた。民主党はこの政治体制を批判したのであるから、不用意な内閣改造は絶対に行ってはいけない。
 そんなことをしたら、民主党は自民党以下になる。

 ところで、記者クラブの開放は、どうなっているのだろう?
 相変わらずの記者会見での質問の緊張感のなさからして、きっとほとんど実行されていないのだろう。
 もしかすると、その方が今の民主党にとっては都合がいいのかもしれない。
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受益圏/受苦圏  政治のはなし

 年始の抱負として、ブログへのエントリーは高校教育に関することに絞りこもうと思ったけれど、それだけではやはりネタが続かず、何日も更新されないのも気持ち悪いので、教育関係以外のこともやっぱり書いてしまう。ただ、少しずつ少なくしていこうとは思っている。
 今日も教育とは関係のない話。
 普天間基地の移転問題で、名護市長選で反対派が勝利した。移転先には下地島が浮上したり、徳之島も候補に上がったりしているが、地元がすんなりと合意するとは思えない。
 普天間基地問題といい、八ツ場ダム問題といい、この問題は政治社会学的には「NIMBY Politics」という。"NIMBY"とは"Not in my back yard"のことで、要するに「うちではお断り」という迷惑施設のことを指す。
 古い本だけれど、梶田孝道(1988)『テクノクラシーと社会運動 対抗的相補性の社会学』東京大学出版会、 で示された枠組みが理解の役に立つ。15年前に読んだ本なのでうろ覚えの部分も多いのだが、要約すると、一見「国家対地元住民」という構造に見える対立構造は、実は国家の背景に、薄く広く広がる「受益圏」が存在し、その支持を正統性の背景としてテクノクラートが政策を実施する。つまり、特定地域に負担が集中する問題を解消するためには、その負担を可視化し、広く負担を求め る構造をつくらないかぎり、負担を押し付けて自分たちが問題を生み出していることすら気づかないまま、いつまでたってもその地域の外の多数の人たちには他人事にしかすぎないのである。
 だから普天間問題について、橋下大阪府知事が「関空移転も議論してよい」と発言したことは、大いに利用するべきだったのだ。「普天間基地は必要なのか 不要なのか、もしも必要悪だとするならばその負担をどのようにすべきなのか」という議論を始めることは、政権交代した今だからこそできることだからである。
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小沢×検察、はワイドショーのネタではない。  政治のはなし

 小沢幹事長を取り巻く4億円のことについて、あまり小沢擁護論が見当たらないので、あえて今日はそっちから考えてみようと思う。
 そもそも、此度の事件は政治資金規正法の記載に関するものなのだが、お金の流れがあったことは明らかであって誰も否定はしていない。問題となっているのは、「このお金の流れは申告すべきものだったのか、あるいはその必要のないものだったのか」という点についてである、と事件を単純化してしまえば、「法律の解釈の違い」だともいえるわけだから、事後に適正な処理をすればいいといえばいい話であるともいえなくはない。実際、政治資金の記載漏れや所得税の申告漏れの多くがそのように処理されているのだし、死者が出たわけでも、回復不可能な損害を他者に与えるおそれがあるわけでもないのだから、話題性はあっても緊急性があるようには思われない。その点、元秘書であった現職国会議員が逮捕されたのが本会議直前であったことについても、恣意性を疑われても仕方ない。国会議員が警察権力による恣意的な逮捕によって発言の機会を奪われることを防ぐために、憲法によって不逮捕特権を与えられているという原則論に立てば、よほどのことがない限り現職議員を逮捕して国会に参加させないようにするべきではないはずであって(その議員を選出した有権者の参政権を剥奪するわけだから、きわめて慎重な手続きがなされなければならないはずである)、このことについての説明責任は、民主党にではなく、検察の方にあるはずだ。果たして、検察は国民に対してこの責任を十分に果たしたといえるだろうか。そして、この点について、この国のメディアは十分に報道し解説してきているだろうか。
 また、「小沢幹事長は説明責任を果たしてない」という世論調査結果を突きつけて「もっと説明せよ」とメディアが煽るのも考えもので、どうすれば説明責任を果たしたことになるのかは明らかではなく(罪を認めて国民に謝罪し辞任せよ、ということか?)、そもそも隠された真実を明らかにするのがジャーナリズムの役割なのだから、いちばんがんばらないといけないのは質問する記者自身のはずである。そもそも小沢幹事長が不都合なことを言う義務がないのと同じように(黙秘権は法治国家における当然の権利である)、警察や検察も都合の悪い捜査情報を記者に垂れ流すわけがない。
 IHTが1面トップ下で掲載した解説記事によれば、この事件には「官僚の中の官僚組織」である検察当局と、改革の親玉・小沢一郎との権力闘争である、という評価も下されている。「逮捕という手段によって国家権力が人身を拘束するのは、近代民主政治においてはもっとも慎重にならなければならないことがらであり、官僚組織が自己の権益を守るために国民の自由権的基本権を侵害することは、あってはならないことである」という解釈をするならば、「民主主義への挑戦だ」という小沢幹事長の言い分には原則論として一理ある。
 折りしも、足利冤罪事件の再審公判が開かれ、菅家さんの取調べ過程が明らかになっているところである。一貫して殺害を否認し続けた調書は証拠として提出せず、その後怖くなって言われるままに「自供」した部分だけを証拠として提出し、裁判を進めたことによって冤罪が生まれたという、そのプロセスが明らかにされつつある。紙面の片方で検察を権力の横暴に立ち向かう正義の味方と囃し立てつつ、片方で警察と検察の強引な捜査を批判するというのは、なんともおかしな話ではないか。
 今の民主党のやり方やあり方について、これでいいとは思わないけれど、頭の体操としてこんなことを考えてみた。ただし、この国の政治報道や事件報道がおかしいのはいつものことだということならば、それまでの話。
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悪いお手本  政治のはなし

 ニューヨークタイムズは、ハイチで死者10万人を超えるとんでもない地震が起きたことと、中国政府とグーグルの対決とを、連日トップで伝えているが、日本のメディアは相変わらず、政治家とカネの話と、それを取り巻く政局報道ばかりで、ほとほと悲しくなる。
 そんな中で、鳩山首相が、検察の捜査との対決姿勢を示した小沢幹事長を応援して、検察と闘ってくださいみたいなことを言ったそうだが、鳩山首相らしいといえばらしい話だ。
 1954年、吉田内閣の犬養法相が指揮権を発動して、吉田子飼いの佐藤栄作を逮捕させなかったという悪しき前例があるが、検察という行政機関の最高責任者、ひいては国家の最高権力者は鳩山首相自身であるという自覚が薄いということではなかろうか。彼には立憲君主の方がどうも似合ってそうだ。
 4億円がどうなったかは捜査を見守るとしても、いただけないのは、「なぜ小沢さんだけが?」という声があがっているということであって、教師としては「なんでぼくだけ怒られなあかんねん」と不満をこぼす子どもを相手に「他人はともかく、やったもんはやったんやから、お前が悪い」といって説教するのだから、悪いお手本を政治家のみなさんが子どもに見せないでいただきたい。たぶんそっちの方が、国益を損なう。
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政治報道の貧困は政権交代でも変わらない。  政治のはなし

 鳩山首相の元秘書が起訴されたので、メディアがまた、相変わらずの乏しいボキャブラリーを駆使して空騒ぎを始めた。聖人君子はこの国にいないことはわかっている上で、消去法で民主党に期待しているわけだから、この問題で民主党を攻めても何も出てこない。むしろ、大臣がコロコロ変わる方が国家規模の損失につながるわけであり、そっちの方が罪深い。どうしようもない。
 挙句の果てに、石川遼くんという18歳の青年に「総理のボールはハザードですが」などというあきれた質問をし、「フェアウェイにあると思いますよ」とどっちが大人なのかわからないような返事をもらう始末。情けない。 
 ただし、政治記者たちが恐竜のようなスキームを温存することができたのは、記者クラブ開放を掲げておきながら実際には何もしなかった官邸の自業自得でもある。
 そんな中、相変わらず『SIGHT』が絶好調である。田中秀征×江田憲司、北岡伸一×飯尾潤、藤原帰一、上杉隆と対談と評論が続き、高橋源一郎×斎藤美奈子の文芸評論も楽しい。渋谷陽一編集長の巻頭言を、ちょっと長いが引用する。
 
・・・ようやく日本人は、政治はお上のものでなく、結局は自分達が選択し、自分達が動かしていくよりしかたないものなのだ、という成熟した世界観を持てるようになってきたのだ。その証拠に、誰も自民党に戻ってきてほしいとは思っていない。むしろ自民党に対しては、民主党以上に冷めた認識を持っているだろう。昔の日本人なら、新政権に失望すると、何でやってくれないんだ、という子供が親に何かを要求するような反応をした。しかし今の有権者の視線は、親が、駄目な子供を見るようなものに変わってきている。子供の出来が悪いのは親の責任なんだから、どうにかしないといけない、そんな感じだ。
 ところが政治もメディアもその大きな変化についていっていない。新聞各社は鳩山献金問題がどうして盛り上がらないのか戸惑っている。昔なら大スキャンダルになり、盛り上がるテーマなのに、そこそこの反応しかない。理由は簡単で、有権者はそこの政治倫理よりも、仕分けで浮かびあがる官僚と政治家の倫理のほうを問題にする目線に変わってきているからだ。政治家の金の問題は警察がしっかり処理すればいい。でも仕分けで浮かび上がる金の動きは、これまで誰も罰することなく保存されてきたものだ。仕分けは所詮、財務省の台本で民主党が踊ったもの、出てきた金も大したことはない、という議論もあるが、それはまた別の問題である。巻頭の対談で田中秀征氏、江田憲司氏のおふたりが言っているように、だから有権者の投票行動は非常に流動的でタフになってきている。・・・(SIGHT 2010WINTER, pp.14-15)
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消費者契約法  政治のはなし

 どうやったって読めないような字で契約書の隅っこに、わけのわからん表現を使って消費者にとって不利な契約内容を書いておいて、その契約書にサインさせる。しかし、サインしたからといってただちにその契約を履行する義務は発生せず、むしろその契約の無効を訴えることだって、場合によっては可能となる。消費者契約法というのは、そういうものだ。
 マニフェストにいろいろと詰め込んでおいて、有権者が民主党に投票したからといって、ただちにマニフェストの100%の履行を求めるものでもなければ、ましてやさしたる議論も抜きにして、ただマニフェストに書いてあることを根拠としてねじ込もうとすることまで期待して民主党に一票を投じたのではないだろう。消費者契約法に従えば、もしかすると契約解除と訴えられても仕方ないのではなかろうか。
 そんなことを考えていたら、マニフェストに掲げてあって、たしか鳩山首相と原口総務相の間でも合意ができていたはずの「暫定税率撤廃」が、小沢幹事長によって維持が決まったらしい。それじゃマニフェスト至上主義でやってきたこの3ヶ月は何だったのだろう?
 小泉元首相は「自民党をぶっ壊す」とかつて公言してはばからず、結局自民党はぶっ壊れたけれど、もしかすると小沢幹事長も「民主党をぶっ壊す」つもりなんじゃないかな。このままじゃ、もたないかも。
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教育予算を増やそう!  政治のはなし

 教育・科学技術予算を他の先進国並みにあと8兆円増やせ、ばかもの、と大先生が新聞のコラムで述べておられた(もちろん、ばかもの、とは言っていないけれど)。
 誰も、教育予算は必要ない、なんて一言も言っていないのに。
 これまでならともかく、「事業仕分け」に国民の視線が集まった後で、こうした議論は成立するのだろうか。旧態依然とした学者先生の物言いにしか聞こえないのではないか、と心配になる。
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君子は豹変す。過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。  政治のはなし

 6年ほど前の紅葉の季節、「ダムの底に沈む前に」と友達と連れ立って、群馬県の川原湯温泉に向かったことがある。途中にはコンクリートの巨大建設物が着々と造られつつありながらも、一向に進展しないダム本体工事の挟間で、その温泉街は中途半端に時代に取り残されている感じがした。
 もともとが「立地紛争」に興味があって大学での研究をスタートさせたもので、この八ツ場ダムの建設をめぐる立地紛争についても、10年以上前に本を読んで以来ずっと気にはなっていて(萩原好夫,1996,『八ッ場ダムの闘い』岩波書店)、やっと止まるのか、という思いである。
 さて、いざ八ツ場ダム建設を中止するという判断が出されたところで、今度は地元住民や自治体から反発があるらしい。ただし、ほんとうにダムが必要だと思っての反論ではなく、「せっかくここまでがんばってきたのに、突然・・・」という気持ちの上での反発のように聞こえる。
 何という本だったかすぐには出てこないのだけれど、純粋に「これはムダ!」という予算の使われ方は、せいぜい数千億円しかなくて、たいていのものは「見方によってはムダかもしれないが、当事者にとっては必要なもの」なのである。要するに、「ムダ遣い」を指摘するのは、面と向かって「お前のやっていることは意味がない!」ようなものなので、反発を食らうのも当然だ。
 しかし裏を返せば、政権交代したときにしか、そんな乱暴な物言いは通用しない。だからこそ、今のうちに徹底的に優先順位の付け替えを行わなければいけないのである。

 日本中にはこうした政治に翻弄された集落はいくつもある。九州一周ツーリングの途中に五木村に立ち寄り、川辺川ダムの建設現場をのぞいたこともあった。北海道の二風谷に立ち寄り、沙流川ダムの底に沈むアイヌ集落を訪ねたこともあった。新空港建設に揺れる石垣島の白保のさんご礁に泳ぎにいったこともあった。当時は、どうやったらこんな工事が止まるんだろう、と思って呆然としたものだが、長野でダムが止まり、滋賀で新幹線新駅が止まり、一歩ずつ「見直し」という環境は整いつつあった。

 今から考えて、いちばん見直せばよかったのが、成田空港建設のごり押しであった。70年代に成田に見切りをつけて羽田拡張に舵を切っていれば、現在のJALの迷走も、地方空港の低迷も、まったく状況が違っていたことだろう。
 こう考えれば、やはり、1980年代に政権交代があってしかるべきだったし、日本政治の「失われた30年」の代償はあまりにも大きかったということだ。
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政権交代、成る。  政治のはなし

 鳩山連立内閣成立。国土交通省にSL大好き撮り鉄さんが就任した。
 読売新聞だけが閣僚人事を朝刊ですっぱ抜いていたが、半日早く人事がわかったことで何が変わるというんだろう?
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