一人静かに時間を過ごす・・・そんなことはなかなか出来ない。さみしい生き物ですよ。男ってやつは・・・愛媛・松山から流れてたどり着いたのだ!

2012/3/19  1:17



 今日の松山は雨が降ったり、曇ったりのあいにくの天気だ。

 しかしながら、彼岸の入り、母方の墓、父方の墓、戦死したおじさんの墓、夭折した友人の墓を巡った。

 さまざまな悩みを抱えるこの時期、手を合わせるという行為は、なんとなく気持ちの穏やかになる。
 先祖崇拝教の私は特に、無心になれることや、やはり先人あってのわが身、いいことをした気持ちになれる当時に、「忘れていないよ」という思いがあっての墓参り。

 きれいにすることや、思いをはせることは自問自答よりも健康的な気がする。

 人生は、生きている時間がもちろん一番大事で、亡くなってからいくらお金かけようが、派手に葬儀をしようが、共有できる時間ではない。

 やはり一番大事なのは、「生きて出会い、共修することのできた時間」に他ならない。

 震災で昨年も多数の命が奪われた中で、一瞬にして人生を奪われまた、大切な人を無くされた方々には悔やみきれない出来事であったと思う。

 後悔がつのるものだ。

 夭折した友人に悪いが、頑張って生きていくぞと思った。

 

 私の座右の銘に「人生は一度」がある。

 一回しかないのだ。やり直しがあったら人生ではない。

 銀河鉄道999の星野哲郎ではないが、機械の体で永遠のいのちに人はあこがれるのかもしれないし、私もどこかでそう思うことがある。

 死はこの世から消えるという意味で、これほどの恐怖はない。

 言い換えれば、人生、体験することはすべてそれ以下のことである。

 何も恐れることはない。精一杯生きて人生を全うしようと繰り返し思った。

 一度しかない人生、戦わなくて、守らなくて、苦しまなくて、楽しまなくてどうする!

 先立った友よ、先人よ、生きていることに感謝させていただいた。

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 しかしながら、こんな看板を目にした。
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 15年以上もむかし、「無縁墓」という番組を金沢の野田山墓地をテーマにかかわったことがある。

 お参りに来る人がいなくなったお墓を整理するという番組だが、松山もついにきたかと思った。

 少子高齢化、核家族化が進む中でまさに先人たちは置いて行かれようとしている。

 
 人は2度死ぬという。

 一度目は本当に生物的に亡くなること。


 二度目は・・・・・



   「忘れ去られる」ということである。忘却の墓である。


 そして、終の棲家でもなくなってゆくのがこの一枚の看板である。


 
 忘れない気持ち、それはとても大切なことではないだろうか。

 苦楽を共に、同じ時間を生きた人々、上司、友人、・・・・50億人のなかのどれだけと巡り合い、会話をし、けんかをし、酒を飲めることか!

 きわめて少ないのですよ。

 今悩んでいることなんて、実は極めて些細なことなんであろう。



 最近不幸が続いていて、多少センチメンタルではあるが、思う気持ちを大切にしたいものである。

 ほんとうに生きているとは、ありがたいことである。


 お墓参りには行きましょう。

 生きている我々だからいけるのですから。

 いつかはどんなに栄枯盛衰、波瀾万丈、人生を燃やしきっても、無縁になって忘れ去られる私でしょうが、しばらくは覚えておいていただいて、やはり顔を出してほしいと思うのは、身勝手な話でしょうか?

 

 
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タグ: 無縁  彼岸



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