一人静かに時間を過ごす・・・そんなことはなかなか出来ない。さみしい生き物ですよ。男ってやつは・・・愛媛・松山から流れてたどり着いたのだ!

2013/2/28  5:21

完成オメデトウ♪T▽T  

長かった汗

あとは、焼酎をあおるだけ。

脱力感で風呂にも入れない。


アイデアは枯渇しないものだ。

仕事重ねるほど出せるようになるから不思議です。


何はともあれ、焼酎をあおるだけ。

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2013/2/28  5:09

野村克也氏はやはり本物だ  ラスト

急成長の裏に、“モノマネ”と“エアビデオ”

 プロ野球界で「凡才からトップに登り詰めた」選手の中で、最たる成功者といえば野村克也だろう。

 野村は長嶋茂雄や王貞治と並ぶ日本球界の“伝説”だ。現役として26年間プレーし、プロ野球史上最多の3017試合に出場して本塁打王を9回、打点王を7回獲得。現役引退後は南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務め、リーグ優勝5回、日本一3回、歴代5位の通算1565勝を飾った。

 成し遂げてきた栄光とは対照的に、1954年に南海(現ソフトバンク)と契約金ゼロのテスト生で入団した当時は、誰も注目しないような選手だった。楽天の監督を退任した翌年、筆者が行った野球雑誌『Baseball Times』のインタビューで、野村は入団したばかりの頃について独特の口調でぼやいている。

 「無視、まったくの無視。首脳陣には何も期待されず、無視されていた。その中から何とかはい上がって、監督やコーチの目をこっちに向けさせなければしょうがないと思っていた」

 鶴岡一人監督(当時の登録は山本一人)にブルペンキャッチャー的な役割を兼ねて拾われた野村は、プロ入り1年目の1954年、わずか9試合の出場に終わった。2年目は出場機会ゼロ。守備を鍛えて3年目から正捕手に定着すると、このシーズンオフの秋季キャンプで勝負に出た。

 「まずは練習で目立たなければしょうがない。いちばん目立つのはバッティング。スタンドばかり目がけてバッティング練習をやっていた」

 入団当初から打撃に苦しんできた野村だが、この頃になると、フリーバッティングで10球のうち7、8球をオーバーフェンスできるようになったと振り返る。急成長の裏にあったのは、“モノマネ”と“エアビデオ”だ。

 当時、球界を代表する長距離砲に中西太、山内一弘という2人の右打者がいた。前者は1953年から4年連続で本塁打王に、後者は1954年から2年連続で打点王に輝いている。野村は打撃フォームを摸索するうえで、2人を参考にした。

 「山内さんは3つ上で、中西さんは2つ上。田舎から出てきて、2人のバッティングを見てびっくりした。すごいなと思ったね。自分が2軍でコツコツやっているときに、イメージ法というのを聞いた。その人になりきる、というやり方です。まずはマネから入る。そのマネに自分流を付け加えて、自分の形を作っていく。そういう上達法は誰でも同じだと思う」

どちらの師匠をマネるべきか?

 茶道や武道の世界に、「守破離」という「師匠と弟子の関係」がある。野村の方法論はこの「守」と「破」の段階に似ている。「守」で師匠に言われた形を習得し、第2段階の「破」で、師匠直伝の形を自分に適したスタイルへ昇華させていくのだ。

 中西はマスコットバットほどに重いバットを使い、すり足のフォームで93kgの体をボールにぶつけるようにしてパワーを伝え、飛距離を出した。それを見た野村は「重いバットを使わなければ、ボールは飛ばない」と考え、中西流を試した。しかし、思うようにいかない。そこで山内流に切り替えた。山内は左足を上げるフォームで、広角に打ち分けるうまさがあった。野村には山内流が合っていた。

 練習で手応えを感じるようになった野村は、「寝るのが惜しかった」という。「寝ると、忘れるような気がした」のだ。その就寝前の段階に、野村の工夫があった。

 現在でこそ練習を動画やデジカメで撮影し、確認しながら自分のフォームを探るのは一般的になったが、野村の現役時はまだビデオカメラもない時代だった。そこで、野村は“エアビデオ”を開発する。宿舎で同部屋になった選手の前でバットを振り、グリップの位置、スタンスの広さ、バットの軌道を目に焼き付けるように頼んだ。自分で確認できないため、同僚にフォームのブレがないかどうか、寝る前にチェックしてもらっていたのだ。「選手は自分の感覚だけでやっていたような時代」に、野村は自身を客観視するすべを持っていた。

 そうして打撃フォームを固めた野村は4年目の1957年、打率3割2厘を記録する。30本塁打でホームラン王に輝いた。「プロでやっていける」と自信を手中にした。

 だが、1958、59年と成績が思うように伸びない。打率は2割5分3厘、2割6分3厘で、本塁打はいずれも21本。守備の負担の多いキャッチャーというポジションを考慮すれば、決して悪い成績ではないが、野村は納得できなかった。

 そこにこそ、一流と二流の差がある。 

 「一流選手の共通として、自己満足をしない。妥協、限定、満足は禁句。『俺はこれくらいやれればいい』と思ったら、それで終わり。下降線をたどっていく。一流の人は成績を残せば給料に跳ね返ってくるから、年俸に対する意欲もあって、現状に満足しない。そういうものを共通して持っている」

 野村は、「バッティングには限界がある」と言う。野球は相手のあるスポーツで、打者は打率3割を打てば一流と評価される世界だ。打撃とは、それほどに難しい。だからこそ、野村は「プロで生き残っていこうと思ったら、限界から先のことをやらなければならない」と言う。

「殴られたほうが忘れてないぞ」

 投手のクイック投法、ストライクゾーンを9分割する配球表など、日本球界に独自の方法論を定着させてきた野村だが、彼の代名詞のように語られる言葉がある。「ID野球」だ。日本野球にデータという概念を定着させたのは、野村だった。

 プロ入り6年目の野村が打率2割9分1厘、29本塁打と過去2年の壁を打ち破った裏には、ある先輩の一言があった。思うような結果を出せずに悩む姿を見て、田中一朗という選手が声をかけた。

 「ぶん殴ったほうは忘れていても、殴られたほうは忘れていないぞ」

 ヒットを打った打者はその打席について忘れても、打たれた投手は「次こそはやり返してやる」と苦い記憶を脳裏に刻み込む――野村は先輩の言葉をヒントに、相手投手の視点に立った。

 当時の南海では、毎日新聞の記者だった尾張久次が球界初のスコアラーを務めていた。野村は自身に対する相手投手の球種、コースをすべての試合で出すように頼み、12種類別のストライクカウントに当てはめた。初球はどんな球で入り、1ボール2ストライクの場面では何をどこに投げてくるのか。1957年と58、59年の2年間を比較すると、相手の攻め方が変わっていた。

 4番打者の野村に対し、57年までは外角中心の配球をする相手が多かったものの、58年以降は内角を突くボールが増えていた。実際、野村は「強気に攻めてくるな」と感じていた。それを数値に置き換えることで客観視でき、あらためて事実に気づくことができた。そうして生まれたのが「データ」という概念だ。当時は「データ」という言葉はなく、「傾向」と呼ばれていたという。

 「このカウントでは、インコースに投げてくることは100%ないという状況がある。野球は相対関係でできているから。外角に対しての内角。高めと低め。速い、遅い。そういう組み合わせでできている。たとえば、内角を意識させれば、外角を広く使える。今では当たり前になっているけど、当時は誰もそんなことは言っていなかった。精神野球の時代で、気合いだ、根性だ、ばかりだった。でも、データで考えられるようになってから、急に野球が面白くなった」

 長嶋茂雄や王貞治のように圧倒的な力を持つ者なら、自分を中心に考えることが好パフォーマンスへの最短距離になるだろう。しかし、野村のように持てる才能が限られている者は、相手との力関係で上回る創意工夫が必要だ。

技術力だけでは限界がある

 現役引退後、野村が率いたチームはいわゆる“弱小球団”ばかりだった。相手より戦力が劣る中、どうすれば打ち負かすことができるか。野村は現役時代同様、頭をフル回転させた。

 「バッティングでもピッチングでも、技術力には限界がある。わかりやすく言えば、80年の歴史があるプロ野球では4割を打った人が1人もいない。よく打っても3割。7割は凡打。そういう中で少しでも確率を上げていくためには、技術力だけでは難しい。プラスアルファをどう出していくか。技術力プラス、何かを出していく。これが僕の基本的な取り組み方です。ましてや南海を皮切りにヤクルト、阪神、楽天と最下位のチームばかりやらされてきましたから。そうすると選手も同じで、弱者が勝者になろうと思ったら、強者と同じことをやっていたら絶対に勝てない。当たり前のところから発想していくわけです」

 押してダメなら、引いてみる。きっかけをつかめなければ、たどり着きたい結論を見据えて逆算する。商品が売れなければ、消費者の立場に立ち返る。

 そうやって頭を使えば、凡才だって本当の頂点に到達できる。野村の野球人生はそう教えている。

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2013/2/1  3:43

必殺技、ローカロ鍋力こぶ  

昨日の反省で、オフクロの介護に松山に行ってくれているカミサンのためにも、一層、自戒の念も込め、大根。こんにゃく、シメジ、太刀魚のつくねで2日分の鍋力こぶ


3時間経理やりながら煮込んだ。

昼ご飯に沁みていること間違いない!

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2013/2/1  3:32

すげーボリューム汗  

日本橋で新たに契約担当顧問を置こうとご紹介いただいた方と面談の後、

副社長と、滅多に来ない日本橋でランチ。


すげーボリューム汗


素朴な味わい!


激しいカロリー。



ヤバいです!


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