イタリアに貿易会社を興して27年 (3)
84年12月、日本から緊急電話が有り、コンテナ貨物は着い
たが商品は安全規格外と判定され市場に出せないので返品
したい!!と、言ってきた。
出荷した商品はオートバイ用のヘルメットで輸出価格で1500
万円、私は蒼くなって急きょ東京に飛んだ。
通産省の外郭団体SG安全協会が当社の製品に対して検査
した結果、「シールド部を止めているビスが鉄製で長さが
1ミリ出っ張っているため規格外製品である」、と協会の検査
所長は言うのだった。
私は商品出荷の前にメーカーの技術責任者を日本に連れて行
き検査現場の長に現物を事前に見せていた。
そして「諾」の返事を貰っていたので此の旨を主張したがSG
協会側はそんな「承認を与えた覚えは無い」と否定した。
私は怒って本省の生活局貿易苦情課に怒鳴り込み課長補佐
に抗議した。課長補佐は関係者を呼ぶので其の席で説明を
して下さいと、言われ本省主催の説明会に単身乗り込んだ。
其処には局長代理を始め審議官、検査協会会長、等10数人
の関係幹部が揃っていた。
一同を前にして「私は日本語を話しているが、この会社は
伊国に在り日本の企業ではない。
貿易摩擦が問題に成っているのに今回の日本側の処置は明
らかに日本の業界が勝手に決めた国際的にも認知されない
規格であり、もし、当社の商品を没にするなら私は重大な
決意をもって在日イタリア大使館を通じて正式に抗議をし、
EC委員会に提訴する」と、一代の大見えを切った。
通産の幹部達は、「余り大袈裟にしないで下さい、趣旨は
諒解したので善処する」、と回答してその場で現場の責任
者に指示を出した。私は胸を撫で下ろして帰伊した。
それから正月明けの3日に検査会議が開かれ1500万円のヘ
ルメットは救済された。
件の規則は安全衛生委員会が作成した通達であり委員は
業界代表、役人、学識経験者の3者から構成されているが
実際は業界の意見と利益を擁護した役人の作文に過ぎない。
これが目に見えない貿易障害の実態であり許認可制の通産
行政であった。
もう一つ忘れられない出来事は90年の春、私はアレッオ
地方裁判所からの一通の起訴状を手にした。
読むに従って顔色が変り手がガタガタ震えだした。
起訴状には85年度のI.V.A.( 付加価値税)申告額に対して
1億2300万リラの申告漏れ、脱税容疑で当地の裁判所に告
訴した、とあった。それも5年前の申告だ。
身に覚えの無い私は顧問公認会計士に走った。
この国は輸出を奨励するために商品は免税扱いで出荷され
る。当時の I.V.A.税率は14% であった(今は20%)。
顧問の調査結果は前の当社の計理士が納品書に記入すべき
三角貿易事項にある1文字の記載もれを発見し、商品が輸
出されて居ないと、国は主張した。
私は税関の通関済印が押されている全証拠書類を裁判所に
提出した。一審の判決では当然無罪を勝ち取った。
国側は即、上告し、同時に1600万リラで上告を取り下げる和
解を提案してきた。正に国家暴力である。
弁護士は税金裁判は2審迄あり、結審まで10年も掛かり、
拘束される無駄な時間と経費を考えたら和解する方が得だ、
と説得されて不承不承和解に応じた。弁護士の謝礼を含め
ると2000万リラの損失、商取引金額
に換算すると4億リラであった。
イタリアは脱税天国と言われ一般の市民は企業家や自営
業者に対しては冷たく、国は強権発動による懲税行為を是
とする。
徴税事務費の内、申告書類と其の送料は納税者が負担する。
当時、税務に関する各書類の記入事項の間違えや、漏れは
許されず最低50万リラ以上の罰金であった。
其のためにほとんどの納税者は会計事務所に全てを委託す
る。会計士は私の例で判るように間違いを犯しても其の責
任を負わない。理由は申告書類の署名者は納税者本人だか
ら。又、払い過ぎ税金の還付請求後、最低5年以上待たな
いと還付されない。催促すると税務調査が有るので納税者
は黙って我慢する。民主主義が発達した此の国で、税務行
政は90年代前半までこのように納税者に対し高圧的だった。
(以下続く)

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