美しい5月、イタリアでは「マッジョ」と呼ばれる1年で一番美しい新緑とアカシアの白く甘い香りの季節です。
注目のイタリア大統領選挙で旧共産党のジョルジョ・ナポリターノが11代目イタリア共和国大統領に選ばれた。
先月の上下両院議員総選挙で中道左派が接戦の末、勝利を納めた後、チャンピ大統領の後任を選ぶ大統領選挙が5月8日から始まったが、2006年5月10日に行なわれ第4回目の投票で中道左派聯合が推薦する今年81歳に成る
ジョルジョ ナポリターノ(上院終身議員)が 第11代目イタリア大統領として誕生した。
大統領選の投票資格を持つ選挙人は上下院議員と州代表の計1009人(左派540,右派460+上院終身議員7+無所属2人)。
ベルルスコーニ前首相が率いる中道右派連合は旧共産党出身であることを理由に、ナポリターノ支持を拒否。
3分の2以上の得票が必要な初めの3回の投票では決まらず、条件が過半数に下げられた4回目で505票を38票を上積みして543票を得て決まった。
右派聯合はおおむね白票を投じたが少なくとも数名の著名なリーダーたちはナポリターノに投票した。
任期7年の大統領には政治的な実権は無いが、議会の解散権や法律の施行に必要な署名、恩赦など一定の権限も持つ。
ナポリターノは左派連合内の最大政党であるDS左翼民主党のメンバーで、イタリア初の旧共産党出身の大統領となる。
1925年生まれのナポリターノは17歳の時、社会党に入党その後パルチザン闘争に参加1945年イタリア共産党に入党し南イタリアの党責任者を歴任して1953年下院議員に当選、故ベルリングエル書記長の時代には党経済政策責任者・幹部会員、この時代1976年の初夏、私はイタリア労働総同盟全国大会に来伊した総評代表団の通訳としてナポリターノと故ラーマ書記長と会って親しく声を掛けて頂いた記憶が有る。イタリア共産党を解散してPDS社会民主党に再生した時オケットと書記長職を選挙で争い敗れる。92-94年までプローデイ内閣で内務大臣、下院議長や欧州議会議員として活躍した。昨年上院終身議員にチャンピ大統領から指名される。
政治的にはイタリア国民は半々に二分されている。新しく選ばれたナポリターノ大統領の第一声は「すべてのイタリア人の保証人と成る。」と二分したイタリア人を憲法に基ずいて統一に努力する事を就任式で誓った。
旧共産党から始めて大統領が出現した事はイタリア戦後史の新たなる展開であり、イタリア社会の民主主義が成熟期に有る事を示している。10日付のラ・レプブリカ紙は「Ds議長ダレーマについて社民党の涙」と見出しを付けて与党第一党社民党の大きな譲歩と政治的責任を評価した。上下両院議会の議長は通常与党第一党から選ばれて不思議でない。DSは上院又は下院議長を要求して当然であるが、分家の再建共産党に下院議長を譲り上院議長には第二党のキリスト教系のマルゲリータ党に譲った。プローデイはDS の寛大さと政治的責任政党の自覚に対してDS党幹部に2回も謝意を表した。いずれにしても議会運営上仲間争いは許されない。
中道左派の8会派は結束して政権を運営しなければ成らない。
DSが再建共産党党首に下院議長を譲って政権内に然り留め置く事は極めて重要である。10年前のプローデイ内閣でたった一票の差で再建共産党の反対票で倒閣させられた苦い経験が有るからだ。

0