いきなり右旋回のベルルスコーニ・ドリーム号
2008年4月13/14日の上下両院繰り上げ総選挙結果は選挙前の予想と大差なくPDL が大勝した。
選挙民はベルルスコーニ・ドリームを選びイタリア政界の地図を大きく塗り替えた。
2008年総選挙結果、主要政党の得票内訳は以下の通り。
下院
得 票 数 得票割合 議席数 2006年得票%
PDL 自由な人民 約 11719千 36,9 % 284席 36,0 %
Lega N. 北部同盟 約 2845 8,6 47 4,6
MPA 約 317 1,0 9 2,3
PDL 連合・ 合計 約 14881 46,5 340 42,9
PD 民主党 約 10683 33,4 210 31,3
IDV価値あるイタリア 約 1385 4,3 31 2,3
PD 連合・合計 約 12068 37,7 241 33,6
UDC キリスト系 約 1773 5,5 34 6,8
S.A. 虹の左派連合 約 987 3,1 0 10,2
Destra 右翼 約 772 2,4 0 0,6
PS 社会党 約 309 0,9 0 2,6
上院
得 票 数 得票割合 議席数 2006年得票%
PDL 自由な人民 約 11957 38,0 141 36,4
Lega N. 北部同盟 約 2580 8,2 23 4,5
MPA 約 332 1,0 3 2,2
PDL 自由な人民連合 約 14867 47.2 167 43,1
PD 民主党 約 10638 33,8 122 28,2
IDV価値あるイタリア 約 1359 4,3 15 2,9
PD 民主党連合 約 11997 38,1 137 31,1
UDC キリスト系 約 1791 5,7 2 6,8
S.A. 虹の左派連合 約 1012 3,2 0 11,6
Destra 右翼 約 660 2,1 0 0,6
PS 社会党 約 273 0,9 0 2,5
SVP 南チロル 約 247 0,8 2 0,9
ベルルスコーニのコメント
心からイタリア市民の愛情を感じ選挙結果に興奮してる。
私が公約したやるべき事は山ほど有り眠れない夜も有る事だろう。
1994年来の二院制の再出発だ。
まず、司法、学校、医療そして官僚機構等の諸改革から始める。
ヴェルトローニのコメント
責任ある野党として諸改革を与党と一緒に進める用意がある。
結党して6ヶ月しか経ってないが前回総選挙2006年より上院で6-7%の増票を得た。
プローデイ首相のコメント
シルビオに2回負けて2回放逐された。
を残して政界を引退した。
社会党党首のコメント
1948年から今日、最大の敗北だ。
辞任する。
ヴェネチア市長コメント
虹の左派連合を国会から院外に追いやった事は危険だ。
虹の左派連合(R.C+Verdi+Pdci)
得票推移を見ると11.1% (1996), 8,9%(2001), 10,2%(2006)
そして今回が 3.3% で最大勢力時に対して29.7%に落ち込んで正に完敗。
下院議長のベルテイノッテイは「この投票は最悪な結果だ!」と言って引退。
再建共産党党首のジョルダーノは辞職した。
「三派の統一連合は間違えだった」と Pdci
Verdi は PDとの再交渉を模索開始。
L.N. 北部同盟の党首ボッシー
「国庫の連邦制度(38%を州税に)の導入とPD無しでも改革をすぐに実行しよう」と怪気炎を挙げた。
北部同盟の得票推移を見ると10.1% (1996), 3,9%(2001), 4.6,%(2006)
そして今回が 6,5% で最大勢力時の64.35%に過ぎない。
Unione di Centro 中道連合
かってベルルスコーニの僚友だった党首カシーニは
「ベルルスコーニは我々を消す事が出来なかった。我々は生き残った」
中道連合の得票推移を見ると5.8% (1996), 3,2%(2001), 6.8,%(2006)
そして今回が 5.5% で激しいFIの誹謗にも拘らず1.3% の減少に留まった。
教会(Cei)
PDLの政権再奪取を高く評価しながらも教会のミッションスクールと妊娠中絶法の見直しを掲げ「第二共和国制度の終焉」と評した。
財界・労働界
次期会長に始めて選ばれた女性エンマ・マルチェガリアは
「人材研究開発の為の人員に大きな投資をすべきだ。
すぐに企業活動を支援すべきだ」と政府に要求した。
一方の労働界は「受けて起つ」と応じた。
国政選挙結果の特徴
1. 投票率は約80.4%で前回より0.8%下回った。
2. 投票をしなかった選挙民、棄権党(?) は約836万人で第三党を占めた。
3. 虹の左派連合は議席数ゼロで国会から消え去った。
選挙制度が大選挙区比例代表制であるが得票4%以下は切り捨ての為とは言え誰もが予想していなかった出来事だった。
イタリアの政治地図を塗り替えた津波現象のように社会主義者、共産主義者、緑色は消え去り、変わって二大政党化の開花である。
これを評して暴力無き市民革命の成立とし、左派が消えた事は制憲政党の消滅によって
第三共和国の始まりと教会系の新聞はコメントした。
反移民・反EU色を濃くしたベルルスコーニ第四次新政権が誕生
ベルルスコーニ船長は5月7日第4次内閣の組閣名簿をナポリターノ大統領に提出し内閣は8日就任式を終えた。
組閣は電撃的な早さだったが21閣僚(内無任所閣僚9)と言う前言を覆す大所帯。
閣僚人事内訳を見ると政党別に FI 12, AN 4, LN 4 他1, 女性閣僚は4人、40歳以下の閣僚は6人となってる。
外相に欧州連合(EU)欧州委員会の副委員長(司法担当)だったFIのフラティニ。
経済・財務相にはFIのジュリオ・トレモンティが返り咲き、欧州連合(EU)の政策を疑問視する閣僚が多い。
内相には厳しい移民政策を訴えて躍進した地域主義政党「北部同盟」のマローニ、
官僚機構簡素化相には反イスラム教の言動で辞任させられた北部同盟の元閣僚カルデローニが復帰。
国防相にはファシスト政党の流れをくむ国民同盟のラ・ルッサが就任。
ベルルスコーニ・ドリーム右派政権当面の課題
* アリタリア航空の再建・EU と衝突
* ナポリのゴミ処理紛争の解決・EU と衝突
* 原子力発電所の再建・研究再開
* ヨーロッパ高速鉄道網の建設促進
* メッシーナ海峡の橋梁工事建設の再開・財政悪化の懸念でEU との衝突懸念
* 選挙公約の減税で租税負担率を40% に引き下げる。
市政の大きな財源に成っている土地家屋に掛かる固定資産税(ICE)の廃止は市政制限である。
イタリアン・ドリーム号の航海先はパラダイス?
それともやみくもの 悲観 ?
ベルルコーニイズムを選んだイタリアン・ドリーム号に先ず懐疑の警鐘が鳴った。
5月10日付けイタリアを代表する日刊紙コリエデラ・セーラの編集長はその社説の中で
「PDLが選挙公約を果たしたベルルコーニ政策を実践する閣僚の能力は
あまりにも未知数であり、経験者は財務・経済相のトレモンテイだけである。」と評す。
筆者も当を得た評価だと、思う。
教会に近い中道連合に投票した女性達女が言うには「TVのタレントで何の経験のない若い女がいきなり閣僚に任命されたが、彼女にその能力があるかどうか大変疑わしい。国政の一端を任せられない。」
PD民主党の将来性
不明である。と言うのが実情ではないか!
秋に大会を開いて綱領を決める事になっている。
結党の中枢はかっての共産党内の中道右派勢力であったDSとキリ民党左派のマルゲリータが合流して生まれたPD。
「ローマカットリックと共産党員のイデオロギーは水と油の関係で決して同化しない。」と多くのイタリア人は考えている。
今回の選挙結果を見るとDS+マルゲリータ=は過去より得票を伸ばした。
もし、それぞれ単独で戦っておれば結果はもっと酷い状態であった。
つまり、ベルルスコーニは3/2以上の得票を得ていたかもしれないと言う。
逆に前回みたいに"オリーブの樹" に中道左派が統一して戦っていれば "虹の左派連合" が壊滅する事は無かったと言う。
因にPDが勝利した州はかっての共産党のロッカ・ホルテと呼ばれた赤い三州(エミリア、トスカーナ、ウンブリア)に限定された。
地域別得票を見ると北西部 30,3% 北東部 27,1%, 中部45.4%, 中南部 35,4%, 南部・島部 29,9%となった。
また、今回左派を切ったのはPD単独の方が有利と判断した。
事実、2006年全左派が統一して戦った"オリーブの樹" より1.9% 増票してる。
虹の左派連合の票は何処に消えたのか?
日刊紙ラ・レプッブリカ調査結果によると
PDに投票した最多得票順に挙げると年金生活者 38,8%, ホワイトカラー 38%, 企業家30%, 工場労働者 29.4%, 主婦 27,9%, 商人・職人 19,4%
PDLに投票した最多得票順に挙げると商人・職人 51,9%, 主婦 47,9%, 企業家42,5%, 工場労働者 37%, 年金生活者 36.4%, ホワイトカラー 30.6%
工場労働者はPDに29.4%に投票し、大半はPDLに37%, 北部同盟に11.3% に投票して"虹の左派連合"には投票していない。
中央政府と地方政府の摩擦は拡大方向に??
2008年総選挙前の市政(長)勢力圏図
* 21州都・市長の内17中道左派、 4中道右派
* 118 県都・市長の内76中道左派、39中道右派、3その他
* 人口1万5千人以上の市政・668市長の内396中道左派、250中道右派、22その他
ローマ革新市政は右派AN に明け渡し
今回、国政選挙と一緒に実施された2008年の統一地方選で1970年以来
左派陣営が担っていた強力な左派砦の一角ローマ革新市政は市長選挙決戦で右派の
AN に明け渡してしまった。一方、ローマ県知事選では左派が護った。
また、米軍基地拡張に反対するヴィチェンツア市長選では左派が勝利した。
2008年総選挙直後の地方政界勢力図
* 14州は中道左派、中道右派は5州
* 79県は中道左派、中道右派は26県
第三共和国のはじまり?
戦後のイタリア史を見る時、確かに2大政党の時代はなかった。
時代の区分けとして第一共和制の崩壊とは戦後から1994年頃まで?
キリ民党、共産党、社会党、社民党、共和党、自由党、MSは消えてなくなった。
原因はキリ民党が30年以上支配しそれに乗っかった社会党が癒着した構造的タンジェントポリ大汚職の発生による崩壊。
更にソ連・東欧の崩壊で共産党が分解した。
しかしMSを除く5党は現憲法の制憲党であった。
第二共和制は1996年から昨日までとなろうか?
キリ民党と共産党、100年の伝統を誇った社会党、MSの左右分解による体制はいわゆる中道化の醸造推進
第二共和制の終焉は今回の選挙で急進左派の消滅。
以上が私が見た戦後のイタリア政治体制であった。
政治体制が変わっても変わらない各時代に共通した要因
* 外圧 アメリカとソ連、教会
* コネ、縁故社会から脱皮出来ない。マーフィアを撲滅出来ない最大の原因。
* 政治不信 政府、政党は誰がやっても同じという諦めを市民に植え付けた
* 市民への公務員が公共制を優先した業務体制管理の欠如、
* 経済政策に一貫性がない。
結果として、イタリア共和国とイタリア人は雇用、失業、物価、生活苦は70年代以後今日まで同じ問題を抱えている。
改善や進歩の姿が見えない。
第三共和国の始まり
本当に二大政党の2極化で良いのだろうか?
筆者の想いはアメリカや英国を見ていると大変危険なような気がして成らない。
そしてもし、ベルルスコーニ・ドリーム号が暗礁に乗り上げたり、
PD が深い霧の中で出口を見失ったら、、、、。
生活ベクトルを支える基幹的経済は一体どのような経済政策を持って6000万人を養うのか?
70年代には市民運動が活発であった。
今はそれがほとんどない。
あっても行動が暴力的、過激であったりして市民からそっぽを向かれる。
例えば反グロバール、社会センター、社会的有用等の運動は市民の共感を得られない活動であった。
再建共産党が得票を伸ばせなかった大きな原因は過激な市民運動をコントロール出来なかったと言えるだろう。
中央政府は右派政権だが地方政府は圧倒的に中道左派勢力がつづく。
従って、両者の綱引きはより強くなる。
市政に大きな比重を持つ財源である固定資産税の廃止(第一持ち家)は市政を大きく圧迫する事はほぼ間違いない。
右派は税収を圧縮する事で左派の自治体を締め上げようとしてる。
さらに解放記念日4月25日の形骸化を計り、メーデー祝日の廃止を企ててる。
完

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