ピアッツア「広場」は ジーロトンド「市民運動」
----------- 下駄履き民主主義 の発祥は -------------------
イタリアの町や村や都会の広場は夕食前、幼児、青年や老人達で埋め尽くされる。幼児達は曾祖父母から受け継がれた童歌「ジーロ、ジーロ、トンド、、、、」と唄ながら手を繋いで輪を作り広場を囲む遊戯に興じる。イタリア民主主義の土壌はピアッアにあり。その名もモ ジーロ ジーロ トンド メ を紹介しよう。設立は2002年6月当時のベルルスコーニ政府の横暴さに抗して誕生した。その運動が永遠の都ローマのピアッツア・ナボーナに復活した。春の総選挙で メイタリアン・ドリーム号モ の航行を負託されたベルルスコーニ政権は2ヶ月半程になる。この船長さん、実は7月から法廷で被告席に立たされる4つの裁判が待っている。贈賄事件で、首相は2002年自分の会社の不正資金を隠す為に弁護士を通じてもみ消し料60万米ドルを支払った容疑で起訴された。首相は「自分を落とす為の左翼検察官による陰謀で、私は政治的な犠牲者だ」と自己弁護。
法廷に出頭となれば安心して国政が執れないと、ベルルスコーニ政府は多数の力で上下両院の野党を押し切り、違憲の疑いがある高官免責法と社会秩序法の2法を成立させた。免責法は大統領、首相、上下両院議長はその任期中、刑事訴追されない。係争中の裁判は凍結される。一方、社会秩序法の内容は犯した犯罪が10年以内の懲役判決予定の裁判は1年間停止する。その暴挙(?) に「違憲の疑いあり、審理中の裁判が10万件ストップする。」と検察官連合会と法曹界が警告。世論はお手盛り2法をベルルスコーニ自身を刑罰から放免するための自己保身法だと、蒼然となった。野党のPD幹事長はそれまで進めていた対話を直ちに中止した。7月8日、ジーロトンドに集まった市民は「選挙公約には無いお手盛り2法だ」と抗議。しかし、人気者コミック役者は「ヴェルトローニ、ダレーマ、プローデイ(いずれも民主党)、そしてベルルスコーニ彼らは15年間同じムジナ穴、ナポリターノは無策無能」とコケ降し、もう一人の過激演説者は「ベネデクト16世法皇は30年後には地獄へ落ちて死ぬ。」と絶叫した。主催者側は「高揚した市民運動ジーロトンドを分裂さす市民への攻撃だ」と非難した。教会も抗議、民主党は傘下のデイ・ピエトロに「傘下に残るならコミック運動とは手を切れ」と迫った。ジーロトンドは総選挙敗戦後始めての左派勢力の力試しとして、期待が寄せられたが想わぬハプニング、大統領と法皇を誹謗する造反者を出す汚点を残した。尚、市民の信任は大統領に84%、法皇には73% と厚い。

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