雇用・景気を問われたEU議会選挙2009は棄権が多数派
米国発の金融危機に端を発した不況の下、雇用や景気問題が問われた欧州連合(EU)加盟27カ国の欧州議会選挙(定数736議席)はイタリアでは6月6・7日に統一地方選挙と一緒に実施された。独仏スペインではいずれも社会党系が後退する一方、全体として各国で右派が軒並み優勢となった。環境政策を掲げる政党が票を伸した。
投票率EU27カ国は約43%で、過去最低を記録、棄権者が第一党だった。これら多数の各国の棄権者はEU連合政府政策が市民に身近な存在に成っておらず、その乖離は選挙毎に大きくなっている。イタリアでも投票率66,5%で史上最低、それでも、EU平均から比べるとはるかに高い投票率であった。
欧州市民にとって”欧州連合とは何か?“を引き続きEU連合政府の重大な課題であることを示した。
イタリアの欧州議会選挙得票結果(La Repubblica 2009年6月9日から作成・単位%)
**************EU 2009年 国政08年 差 EU 2004年
PDL 自由人民党 35.3 37.4 - 2,1 32,4(a)
LEGA 北部同盟 10,2 8,3 +1,9 5,0
P D 民主党 26,1 33,2 -7,1 31,0(b)
!DV 価値あるイタリア8,0 4,4 +3,6 2.1
UDCキリスト教中道民主 6,5 5,6 +0.9 5.9
PRC 共産主義再建党+PDCIイタリア共産主義者党
3,4 3,1虹の左翼+0,3 6,1
Sinistra左翼Liverta自由3,1 1,0 社会党 +2,1 2,5 緑党
RADICALI急進主義者 2,4 0(c) 0,0 2,3
DESTRA-MPA 右派自冶運動 2,2 3,5(d) -1,3
Fiamma Tricolori三色の炎0,8 - +0,8 0,7
SVP 南チロル人民党 0,5 0,4 -0,1 0,5
Forza Nuova 新勢力 0,5 0,3 +0,2
Altri 諸派 0,9
メモ
(a) FI + AN = 合計 この春、新たに結成される。
(b) DS + Margherita + SDI + Mre = 合計
(c) PDのリストに併合
(d) desra + Mpa = 合計 AN国民同盟から分裂、本体はFIとPDLを結党
今回解消した政党と政派は虹の左翼、社会党、みどりの党
一番がっかりしたのはPDL党首・首相ベルルスコーニ
PDL自由人民党 35.3% 前年国政選より - 2,1
PDL党首・ベルルスコーニは昨年の繰上げ総選挙で右派中道政党をまとめ上下両院で第1党に返り咲き、LEGAと連立中道右派連合政府を組閣し、上下両院の安定過半数を得て、第3次ベルルスコーニ政権を発足させた。首相は過去に刑事被告人の経験、2度の退陣劇を経て、3度目の首相就任。彼のカリスマ性と、そしてなんといってもメディアを握り、豊富な政治資金を使って欧州議会選挙には全国の全ての選挙区に立候補した。選挙の終盤戦、6月4日の記者会見で彼は「PDLは40−45%、私自身は74%、北部同盟も10%を超え安定した強力な政府で諸改革を進める」と各種の事前選挙世論調査を基にその自信を表明していた。
しかし、開票結果は上記表の通り PDLは 35.3%で対前年国政選より - 2.1%、290万票減らした。彼自身も 270万票で25%(最高は1999年37.7%)であった。
ベルルスコーニとPDLは何故、伸びなかったのか?
最大の原因は政策以前のモラルの欠如とイタリアの品位を落としたことだろう。
モラル問題は二つあり一つ目は裁判・英国の弁護士ミルッスが贈賄罪で2年6ヶ月の実刑を受けた。ベルルスコーニも被告であったが、右派政権が制定した首相の免責特典法によって判決が停止している。“法は万民に平等である“ の憲法に反する。
首相は「現行司法界は左派が握り民主的でないので司法の改革をする」と例によって法曹界を政敵と決め付けている。
2つ目は次元の低いベルルスコーニ首相をめぐる女性関係の私生活問題。
事の起こりは“夫が自分の子どもたちの誕生日パーティーにさえ出ないのに、ナポリで取引先の娘の18歳の誕生日パーティーに出席し、金のネックレスをプレゼントした” とベロニカ夫人は夫の女癖に怒りを再燃させたのが発端。
首相は「ベロニカは公に謝罪すべきだ。わたしが17歳の小娘を追いかけまわしていたなどと言っていたが、そういう決めつけは断じて許されないことだ」と述べた上で、「わたしはその娘の父親と友人なのだ。それだけのことだ。」と強調した。
首相の個人的な私生活問題に介入すべきではないと寛大な世論であるイタリアではあるが、カトリックの総本山、問題は特別の意味を持つ。事実、宗教界や外国の新聞にも大きく連日の報道でイタリア国の品位を低下させたとしている。しかし、「外国の新聞はイタリア紙の影響を受けている。イタリア紙の大多数は左派の手に握られて居る」と新聞攻撃。更に、問題を大きくしたのはベロニカ夫人がメデイアに発表した公開書簡の中で、首相が率いる与党連合PDLが6月の欧州議会選挙に擁立した女性候補者について、女優や元ミス・イタリアなど「政治経験のない若くてかわいい女性」が含まれていると指摘した事だろう。
P D 民主党 26,1% 前年国政選より -7,1%
迷走が続く民主党は前回2008国政選挙から7.1%、410万票を失った。象徴的出来事はかってのイタリア共産党の貴公子であったヴェルトリーニがサルデニア州知事選挙の敗北に伴って書記長を辞任し急遽、旧キリ民党からPD副書記長に成ったフランチェスキーニの昇格だった。彼は前任者に倣ってイタリア中を鉄道で走り廻って、“ベルルスコーニはイタリア民主主義にとって威嚇的存在である。” とベルルスコーニの失政と弱点を選挙民に説いて廻った。ところで、この410万の失った票はどこに消えたのか?大半は投票に行かなかった棄権者と成り、残りはIDVとSINISTRA とLEGAに投票されたようだ。同党は来秋に大会を開くことで一致しているが、あとは全ての問題で党内で意見が分かれている。何故なのか?イタリア共産党の主流派とキリ民党の左派が中心勢力だが教会系と“ライコ”といわれる進歩的あるいは左派的世俗系では理念があまりにも違いがありすぎる。次の各州知事選までに再構築しなければならない。単独では勝てないのでどこの政党と協定出来るかに懸かっている。
UDCかIDV?のどちらかを選ばないと次の州知事選挙には勝てない。
LEGA 北部同盟 10, 3 % 前年国政選より +1,9%
150万票の増加は何だったのか?
下記の世論調査はDemos- Eurisko 2008年2月25日ラ・レップブリィカ紙発表
要求の多い順に列記した。
イタリア国民が今、政府に一番望んでいる対策?
1. 雇用・賃金と年金額の引き上げ 52.3% (+13.3)
2. 犯罪との戦い 33.8 (+ 3.3)
3 消費物価抑制 29,1 (+ 0,8)
4 減税 28,0 (+ 1,5)
5 移民入植者制限 7,3 (- 5,4)
6 行政、学校、医療の改善 14,5 (- 7,3)
7 環境保護 7,3 (- 3,0)
8 選挙法の改訂 6,1 (+ 1,6)
9 カトリック教、I D 防衛 2,9 (- 4,3)
10 家族防衛・妊娠中絶反対 2.6 (前回なし)
カッコ内は対2007年12月と比較して増減
上記の国民の要求と政策の不満は今でも基本的に変っていない。
LEGAは結党以来イタリア北部の独立と外国人排除を主張してきた。
上表のN.2とN5を占める外国人問題が今回の得票増につながった。
選挙前5月13日ベルルスコニー政権は下院で3回の信任投票を得て外国人の非正規入国を拒否する法案を賛成多数で可決させた。
要旨は
1. 非正規入国者は犯罪と認める。
2. 滞在許可書の無い外国人は5−1万ユーロの罰金
3. 非正規入国者は60日から6ヶ月以内に国外追放。
4. 国内における民法上に民事契約には滞在許可書が必要。
首相は「イタリアは少数民族国家である。国際犯罪組織が不法入国者を募ってイタリアに送り込んで来ている。その数は2008年には31000人に達し、対前年比+122%でほとんどアフリカ人で海上航路を通じ、彼らは政治亡命を希望している。政府は公海上でイタリアに向かう船舶を事前にキャッチして、リビアに送り返した。」
この首相談話について野党をはじめ教会や国連から「人権違反だ」と国連高等弁務官はイタリア政府に抗議した。内相(LEGA)は「国連はリビア国内に行って規制せよ!」と応じた。更に首相は「国際条約人権条約とEU連合政府の方針に反しない」と付け加えた。
教会は首相声明に対して「もはやイタリアは多民族国家である」と反論、外国人非正規入国拒否法 制定に厳しく抗議している。
1970年外国人は14万4000人だった。2009年の現在は370万に膨れ上がった。 今では国内経済GDPの9.2%を占める。2007年には250億ユーロ、起業した企業数は24万2000社、イタリアの学校に通う外国人学生は60万4000人以上に達している。軍人1500人や北京オリンピックには25人の外国人がイタリア選手団員として参加した。このようにもはや、イタリア社会は排外主義の中にはとどまれないはずである。
IDV価値あるイタリア 8,0% 前年国政選より +3,6% 175万票の増加
実に対昨年比+53%と大躍進した。
党首のデイ ピエトロ(元清い手の鬼検事)は“ケンカはやめて、これからは民主党はわれわれを平等に付き合っうべきだ” と勝利声明を発した。この党は2004年EU議会選挙で2,1%、2006年の国政選で2.3%、昨年の国政選ではPDリストで4,4%、そして、今回は全ての予想を超えて8%の得票を得た。党は徹底して反ベルルスコーニのキャンペーンを張って選挙民に訴えた。結果としてPDに飽き足らない選挙民が反ファシッスト・反人種偏見スローガンを鮮明に打ち出したこの党に投票した。
PRC共産主義再建党+ PDCIイタリア共産主義者党+Sinistra左翼+ Liverta自由 =6,5% 前年国政選より+2,4%
昨年国政選で敗北した虹の左翼(PRC・PDCI・VERDI)3,1%、と社会党(1%)は合計で6,5%で善戦した。しかし、4%条項のハードを超えられず議席は0だった。
今回PRCとPDCIは統一リストで3,3%を獲得、SINISTRA E LIBERTA‘ はPRCから分かれたArea-Vendola(プーリア州知事)とVERDI,SOCIALISTAの3派で3.1%それぞれ獲得した。最左翼勢力間では既に仲間割れを起しているが、PDとRADICALIとの交渉にArea-Vendolaは期待している。マニフェストIL MANIFESTO紙を創刊したルチアーナ カステリーナは“イタリアにおける政治は小さく小さくなった。イタリア共産党の解散は間違いなく国は不幸に陥った。PDは体制内組織である。”
UDCキリスト教中道民主連合 6,5% 前年国政選より +0.9 %
カシニー党首は“われわれは6%のハードルを超えた。2大政党制は終わった”と宣言した。サヴォイア王家の長男エマヌエール フィーリベルトがUDCから初めて立候補したが落選した。
実際の左右の政治勢力は拮抗してる
2大政党化した初めての欧州議会選挙であったがイタリアにおいても中道右派の政権与党が優位を占める一方、PDの後退でIVDとLEGAが大躍進し、UDCが昨年来カトリック信者の票を集めて第三勢力を維持した。
筆者は観点を換えて総右派対総左派というイタリア政界を睥睨して以下の政治勢力表を作成した。この表から言える事は右派政権の安定した大勝利宣言はまやかしであろう。事実、対2008年国政選と比べると左右の勢力は拮抗してるように見える。
EU 2009年 国政選挙2008年 EU 2004年
総右派 48,5 % 49.5% 38.1%
(PDL・LEGA・MAP,・ FIAMMA TRICOLORI)
総左派 43.5 42,1 47.0
(PD・IDV__・PRC・ PDC・ Sinistra/Liverta ・Raricali ・SVP)
中道派 6,5 5,6 5.9
(UDC キリスト教中道民主連合)
諸派 1.4 0.3
国際政治社会におけるイタリアのイメージは間違いなく低下させた。
ベルルスコーニ首相が演出した数々の外交上のへま、憲法や三権分立をを否定するような数々の言動や護身の為の特権・特典法の制定だけでなく次元の低い私生活問題まで惹き起こしている。にも、拘らず彼が得た得票数は2.706.791(25%)の大衆性は秤しれなく重い。しかし、一国の宰相が欧州議会の議員を兼任する事態が無責任と言わざる得ない。欧州議会の議員活動と6000万にの命と生活を守るイタリア共和国首相職が勤まるはずないからだ。首相はもっと謙虚になって国民の50%は彼を支持していない事実を理解し野党の意見に耳を傾けるべきである。
事実、ナポリターノ大統領は再三にわたって首相に野党と話し合うように、独断専行について警告を発している。
完

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