昨年秋に訪日したとき、能登在住の友人から譲り受けた一冊の書籍,
私が渡伊してからの空白部分70年代以後の労働界を知ることができた。
かって、日産プリンス闘争で差別された友人たちの記録です。
書名は「ニッポン丸はどこに行く」 朝日新聞社発行 1982年12月10日発行。
著者名 青木慧。
内容は官民・労使が一体の国、日本的経営の実態を描き、戦線統一ゆれる
労働運動内外の動きを深層からとらえています。
私が読み取ったところによると、官民・労使が一体の思想が生まれたのは第二次世界大戦を惹き起こす原因になった1930年代経済危機に溯り大日本産業報告会が発表した「産業報告会とは何ぞや」で「労資一体、産業報告の精神こそは、日本の労資関係を規制すべき根本の基調である」と成るのです。
更に、著者は<労資一体>産業報告会が戦後、政界、労働界、財界がトリオを組む社会経済国民会議・日本生産性本部を設立して官民・労使が一体の日本的経営を推進する日本丸に移行した。
つまり、俗に言う1940年体制です。
天皇制軍部指導の旧日本丸は社会、共産主義者だけでなく自由、平和主義者、宗教家も排撃され、白色テロが荒れ狂った。それが、今の日本丸も日本を代表する大企業で現代版の白色テロが組織されている。戦前は労組の存続すら禁止されたが、今日では、労働者の<主体>と<自主>性を抜き取り、偽装労組に変質させられている。かって旧日本丸は中国大陸などを侵略したが、今日ではその侵略も<進出>と改竄され、経済大国への世界進出がめざましいと書いている。
この本が出てから30年後の今日は周知のごとく、「ニッポン丸」は難破しかけています。
うまく行くはずった1940年体制が経済的、政治的、社会的にもそして官民・労使が一体の思想
が破綻したと言っては過言でしょうか?
私が1940年体制で想起したのはずばり書名も「1940年体制」さらば”戦時経済”
経済学者・野口悠紀夫著で東洋経済新報社か1995年5月に出版されています。
何故40年体制が戦後の民主化にもかかわらず生き残ったのか?
野口悠紀夫によれば
1.軍部、財閥の解体、特高警察と内務省の解体にもかかわらず官僚機構がそのまま生き残った。
なぜか?
2.明確でなかった占領軍の改革方針
3、冷戦による逆コースに方向転換
4、集中排除法を免れた金融機関
以上をあげている。
誰が歴史をどのように捉え、誰がどのような観点から歴史を認識して後世に伝える事が出来るかが近年の課題だと想います。何故なら歴史の当事者は順繰りに死に絶えてしまうからです。更に、自分に都合よい歴史解釈をする知識人が居るからです。
誰がとは私に言わせれば知識人、とりわけ学者と言われる歴史研究者です。
既に故人になった羽仁五郎が自伝的戦後史で「8月15日は誰も僕を監獄から出そうと迎えに来て呉れなかった。
僕を監獄から救い出してくれたのはカナダの外交官だった。
それから3日後に三木清が殺された。。。。。戦前、僕たち知識人はどのくらい戦争に反対したのか?庶民は毎日の生活に追われて新聞を読んだり考えたりする時間がない。
だから知識人がもっと、しっかりしなければならない」と言う様な意味の事を書いています。
私見によれば世論はマスメデイアと知識人が創るのです。
決して庶民が創るのではありません。
日本は?日本人は?日本社会は?と私はイタリア人から質問を受けます。
私がイタリア人に答える基準は日本の政治思想、社会文化を歴史的に観るといくつかの共通点<日本社会は天皇制、儒教的地縁主義が縦割りに貫かれているようです。
そして、歴史が大きく動いた時は外国からの外圧によります。
日本文化は一口に言えば接木文化です。
既存文化と時代ごとの外来文化との接木です。
古代は朝鮮、中国、中世から近世は南欧諸国とオランダ、そして近代は欧米諸国という具合です。>こうした外来によって受け入れた文化はいずれも同化して日本化に成功しています。
一方、歴史が大きく動いた外国からの外圧に対して日本古来から天皇制、儒教的地縁主義が強く残った現代の縦割社会では横の連帯社会・民主主義制度と西欧国家社会は地で日本人にはなじんでいないような気がします。
生活様式は西洋化し、社会における人間関係や政治関係では儒教的地縁主義が縦割社会が専攻するのです。
この儒教的地縁主義の縦割社会が日本の戦後史を貫いていると想います。
つまり、私の見るところ日本人の本質とは接木文化と儒教的地縁主義の縦割関係なのです。
その証拠に戦後改革と「受動的革命」概念にあるようにアメリカの都合(冷戦)で所謂一連の民主化が挫折させられた後、旧支配者が復活し、そのまま今日までズルズルと引きずられて、今では「格差社会」への暗転で生存権まで脅かされている市民、ストライキ1つ打てなくなるまで骨抜きされた日本人。
戦後の象徴天皇制と日米安保条約は日本国民をまったく蚊帳の外に置いて当時の昭和天皇とアメリカとの直取引だった事を私の友人関西大学院教授が岩波新書・「安保条約の成立」で暴露しています。
天皇家の三種の神器を護る為なら安保条約と引き換えで護身した。
それを見抜けなかった当時の知識人とマスメデイアの責任は計り知れないほど大きいと言えるのではないでしょうか?

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