2011年国民投票結果
16年ぶりに成立したイタリアの国民投票は6月12.13日に実施された。きわめて政治色が強い4件の国民投票は心配された投票率が57,04%とクリアされた。結果は政府与党が可決した4件すべての法律が95%以上の反対投票で覆され破棄された。5月の統一地方選、同決戦投票に次ぐベルルスコーニ政権の連敗であり、国民から完全に政権は否定された。特に、原発再開に付いては福島の原発事故後、ヨローパで初めての国民投票で94,7%が反対する審判が下り、原発を運転する各国に影響を与えることに成りそうだ。
国民投票第3番目 原発再開に約95%が反対福島第一原発事故の発生は、イタリアの原発再開について風向きを一挙に逆転し市民の反原発運動を活発化させた。東日本大震災と福島第一原発事故発生を伝えた3月11.12.13.14日、イタリア最大の日刊紙ラ レプッブリカ紙は 大見出しで“日本に津波、アポカリッセ=この世が終わるような大破局”、中見出しは「荒れ狂った地震、死者多数、消えた町や村々、福島原発から放射が漏れる、原発への恐怖は米国から欧州まで核の恐怖、津波は堤防を破壊し、4本の列車と船一隻を呑み込む、1万人以上が波に消え、松島が消える、大都会は公共交通機関とインターネットの無い闇の中、管首相は広島以来の大惨事と表明、警報は地震の8秒前だった」と、連日1面から13面までの紙面を埋め尽くして、東日本大震災を報じた。マスメデイアの報道トーンが日本とイタリアの間に激しい温度差と違和感があった。
しかし、イタリア政府は「3月22日、計画を変更することは無い」と、原発の再開を1年間延期する談話を発表。メデイアの続報は”福島の放射能雲はイタリアに達する“。日本の寿司用マグロは海水の放射能汚染で危険と報道される。これを受けて環境市民団体はローマ市内をデモ行進する。日本は海水の放射能汚染を伝える。イタリア大使館業務は大阪に移り、アリタリア航空は東京への直行便を当分の間、中止する。フィレンッエ市長は日本公演に行った歌劇団を本国に召還する。
3月29日福島からプルトニューム検出、日本の首相はクリーンなエネルギーの推進を表明した。その後、ドイツやスイスが原発廃止を決める。
6月1日イタリア最高裁は原発再開の是非を問う6月12/、13日の国民投票について、予定通り実施すべきだとの判断を下した。同日、首相は最高裁判所が「政治的選択をした。今、人々は怖がっている。政府は無期延長を決めたのだから国民投票は意味が無い。投票に行くな、棄権せよ」との談話を発表した。政府は福島原発事故が起きたときは再開を1年間延期、2回目は地方選で大敗を期してから5月24日に無期限延期した異常な事態だが政府与党にとって原発凍結法はベルルスコーニ首相の2重敗北を避けるために国民投票をやらない保身の思惑が強く働いていた。同日、各政党は選挙民に向けて党の立場を以下のように決めた。Italia del valore, P.D, Verdi, Sinistra ecologia l’iberta, Rifondazione comunista, Radicali 以上の左派諸政党は反対で投票は ”反対” 。 Pdl , Unione centrale, Fli以上の諸政党は自由投票。Lega nord北部同盟は棄権。フィーニ党の青年たちは原発再開に ”反対”の態度が強い。Pdlは自由投票を決めたが「国民投票の結果は政府に対する評価では無い。」と、予防線を張った。
最大野党PDのベルサーニ書記長は反対の勝利を受けて「政府は直ちに総辞職せよ」左翼の人気リーダーでプーリア州知事ヴェンドラは “この国民投票は人民裁判に匹敵する“。
今や圧倒的多数の国民からの信任厚いナポリターノ大統領は「法律破棄に署名する!」と首相との違いが際立っている。
教会系の有力なAcliは “反対”を表明し、法王も「エネルギーは人間を破壊してはならない」と暗に原発再開に反対する意思表示した。
有名なベネチアのサンマルコ寺院の正面には ”ノーモア フクシマ“ ”ノーモア チェルノービイル“ と書かれた横断幕が張られた。
国民投票第4番目 首相と閣僚の裁判不出廷特権法の否定首相と閣僚の裁判不出廷特権法に付いて反対が95,15%で少女買春裁判を抱える首相は、国民から改めてノーを突きつけられた、政治的な打撃は大きい。
国民投票第1・2番目は水資源・公営水道の民営化反対の勝利民営化反対は96%に達した。教会も地域ごとの大司教たちが水の民営化に強く反対した。ヴァチカンの枢機卿は ”市民は税金を払っている。国家はサービスを保証する義務がある“と国民投票で公的水道経営を維持することを訴えた。例に出されたのがパリー市であった。パリーは1984年から2009年の間に水道代は260%の値上げを招いた。原因は水道経営を民営化したためだ。
市民運動はインターネット・フェイスブッククラブから今回の国民投票啓蒙活動はかって無いほど政治的であった。イタリアのTVメデイアの全国ネットは国営が3局、民放のベルルスコーニ系TVが3局、更に民放2局である。近年ベルルスコー政権に成ってから国営RAI局が政府与党の強い影響を受けて首相に与する放送体制に取って代わった。事実、度々、放送監視委員会から放送時間の公平分配をするように勧告処分を受けている。民放に至ってはベルルスコーニの私設TV放送局と間違えるほど偏った放送で勧告と罰金まで課されている。これら、放送メデイアに対して近年大きく伸びている市民間のコムニケーションがインターネット組織である。その代表的ネットワークは世界的なフェイスブッククラブでイタリアにおいても会員組織全国170万を有して、左派組織を構成していてと言われる。それが、政党支持者やシンパ等の選挙民1300万人が今回政府与党の呼びかけ「棄権。無意味。政府に関係ない。」に従わずNOに投票した。国民投票後の記者会見で首相は「イタリア人は私に耳を貸さなくなった。しかし、私の政府は進む」と力なく記者団に答えた。
以下に、インターネット・フェイスブック組織がいくつかのイニシアチブを取った
国民投票 “4 SI(是)”啓蒙活動を追ってみる。*5月29日ローマのオリンピックサッカー競技場でのイタリアカップのインテル対パレルモ戦で「ミラノからパレルモまで核をやめさせよう」と書かれた横断幕が張られた。
* 6月5日<市民運動紫の人々>が全国の海辺ビーチで楽しむ海水浴客に原発再開反対のビラ配りをする。
同日、ベルルスコニーの居住地で環境市民団体が集会を開く。
*6月8日原発再開の反対を訴えナポリでWWFとグリーンピースが主催し、新市長も参加しての人の鎖輪で旧市内を取り巻く。
*ローマの地下鉄内はじめ小劇場等で反原発再開を訴える。
*6月9日ヴァチカン市国はじめローマの各広場で小規模のミッションが水の民営化反対を訴える。
*6月10日キャンペーン最後の日はローマ、ミラノ、ナポリ、ボローニャア、フィレンッエ、ベネチアの各都市には“イタリアの原子核はストップ、投票はSI”の横断幕が一斉に掲げられた。
近年イタリア社会の変革はかっての政党主導型から自然発生の市民運動体や労働運動体に移行していると言える。
ミラノで15年ぶりに左派市長誕生
今回の国民投票で政府を否定したら中道・左派諸政党が地方選挙で大勝した延長戦上にあったことを明記したい。2011統一地方選決戦投票は5月29.30日に行われた。決選投票戦でベルルスコーニ首相は「左派に投票する選挙人には“考えの無いバカな人”」呼ばわりした。TV放送監視委員会から警告と罰金を受けるほどの国営TVを独占する政治ショーを演じた。更に検察を誹謗する反共宣伝を繰り広げ、決戦選挙期間がたったの15日間にも関わらずミラノでは10%以上、ナポリでは30%以上それぞれ大差を付けられて中道左派に大勝をもたらした。
メモ1.国民投票の有効投票率が50%+1%の結果で成立する。
2.戦後、数々の国民投票が実施されたが国家体制やイタリア社会を大きく変え成立した国民投票を揚げてみる。
1, 王政から共和制への移行 1946年6月2日
2, 禁止されていた離婚法 1974年5月、同法を変える。
3, 禁止されていた堕胎法 1981年5月、堕胎法を改正させた。
4, 原子力発電所の建設廃止 1987年、前年に起きた旧ソ連のチェレノビル原発惨事を受けてイタリア全土内での原発廃止と計画中止を決めた。
5, EU連合に加盟 1989年
完

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