1月の終わりに大統領チャンピから普通の印刷と一味違う招待状が送られてきた。表題は「日伊文化協定50周年記念コンサートに招待」服装に指定が有り黒服着用と書いて有った。その数日前に在日本大使館から電話で連絡が有った。
私はワイフが健康上優れないので26歳になる一人娘を伴いドレスアップしてアレッツオから南に240KM離れたローマにむけて太陽の高速道路を時速150KMのスピードで走り招待時間より20分前に件の大統領官邸クイリナーレ宮殿に到着。もちろんの事であるが一般人は入館したくても特別の許可がない限り門から先には入る事が出来ない。
クロークでコートを預けて先の進むと17世紀の当時法皇の居館はロココ式で全てが装飾され " アッ" と声を出して感嘆。まるで私たち親子はお上りさん其の者であった。会場に入ると日本人各界の紳士淑女で既に埋まっていた。しかし、ここでびっくり仰天、招待席が2団二組に分かれていたからだ。つまり、サッカー戦ではあるまいし セリア AとB に。
当日の私の肩書きは 「在トスカーナ日本人会会長」と言ういっぱしの名士? であったにも拘らず。一段高いA席に並んでいたのは松原大使を囲む
どう見ても紳士とは見えないいわゆる平服でがやがやとやかましい集団であった。我々のB席は全てが黒服と着物姿の女性たちであった。
このような設定をしたのは明らかに日本大使館の指示であったと推測する。なぜ招待客に A、B,の差別をしたのか、と後味の悪い思いをした。
やがて、「大統領ご夫妻のご入場」と胸にべたべたに貼り付けた勲章の護衛官が先導して大統領は着席。勿論全員が起立して拍手をした。官邸の司会者から一言のお言葉が有り、すぐに松原信子大使から挨拶が始まった「大統領閣下に敬意を表し、イタリア国民に感謝の意表し。。。」と「閣下」と言う外交用語を初めて耳にした。
大統領の返礼もなくすぐに
イタリア女性ピアニストと日本女性のヴァイオリンの共演演奏が始まった。バッハ、ショパン。。。と演奏は続いた。
演奏会は1時間30分程続いたが終了後も大統領の挨拶ないきわめて不規則な演奏会であった。私たちは松原大使に挨拶をしてクイリナーレ宮殿を後にして甘い生活で有名になったヴェネト通りを歩きながら、娘と後味の悪いコサートだったね。招待席にA.B.と付けられた差別、公式行事にも拘らずイタリア側から誰一人挨拶が無かった。

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