今日はサンゴ山の夢花畑にコスモスの花種を蒔く日、お天気もよくて参加者大勢である。
昨年のコスモスは、やや失敗なのだが、この人数この勢い、ことしは予め地ごしらえもしていたので大丈夫と、元気よい鍬つかいで種まきのペットつくりをする。
この鍬つかい、三郎次も若年の折の経験者で、近年はあまり握っていない。それでも昔取ったなんとやらで、それなりにしたつもりなのだが、参加者の中には手慣れていない人も見られた。
鍬の型も以前とはずいぶん違ってきて、これでは戸惑ってしまうわけだが、鍬の使い方も違ってしまったようである。耕うん機・トラクターが導入される前は、鍬で耕していたのである。今は機械で耕してしまうので、鍬はただ畝形をたてるだけの道具のようであり、出番と役割は後退しているのである。
面の長い鍬で、刃先が土の中に十分に入っていることが必要と、年長者に教えられてきたのであるが、そのような鍬使いをしている人は少なかった。でも、ただのコスモスのベットだから、今日はこれで十分なのであろうがと思いながらの畝たてであった。
1畝だけ、さつま芋も植える。さつま芋の畝は高畝がたてまえと憶えていたのだが、今日の畝は如何かな?。
こんなことを思っている三郎次は、仲間内では一番の年長者になっていた。実働仕事をしない年長者となってしまったのである。
今日も、イモ苗を一本も植えないでしまった。
なんでも、年寄りの気配のところに、地元新聞の記者が取材らしく話しかけてきたので、それに応じているうちに、イモ植えも、コスモスの種まきも終わっていた。写真もあまり撮っていない。
昨年のコスモスの立ち上がりは、この写真で、全くまばらであった。

ところが花の命は健気で、種を結んで、それが思いかけない様子で今年の立ち上がりになっていたのである。

ススキの藪の中のこんな1本を見つけて感激したのである。
気がつくと、たしか昨年は蒔いていないクロ周りにもこんな芽生えがあった。

昨年の実を結んだ種が、こんなところに飛んできていたのである。
昨年、小さな丈でも花をつけた辺りは、やはり群生した立ちあがりがみえた。

この野の花のたくましさに、私たちは何と学べば良いのだろうか。
作業を終えての帰りしな、誰かがこんな白い花の木を見つけた。

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何の木、何の花。うーん、分かるようなわからない様なで、思い出せない。
たしか子供の時分にあそびで覚えたことは、シャボンの木だったよな気がする。
このあと、小さな実をつけて、それを潰すとシャボンのように泡が立ったと、こんな記憶です。その記憶から、もう60年くらいもたってしまったのかと、自分でもエッと思うくらいの昔のことです。
ところで、三郎次を一番の年嵩とみたらしく、しきりと年齢やら生まれ年を確かめようとしての、記者の取材らしかった。このサンゴ山、どうしてサンゴ山なのかと聞いてきたのである。そんないわれは聞いていないのだ。だれも語ってくれなかった。このサンゴ山の物語は、100人いれば100様の語りになる。今日は100人に少し足りないようだが、この人数だけのサンゴ山物語があるはず、と三郎次の応えです。
100人の中の1人の三郎次のサンゴ山物語、そのうち折をみてここに書き込んでみたいです。
今日の面々、皆それぞれに自分のサンゴ山物語を気持ちに秘めている。だから こうして夢花畑に参加しているのに違いない。きっとそうならば、みんなの100様のサンゴ山物語を聞きたいものです。
あまり実働作業をしなくなった三郎次が、この仲間になっているのも、みんなの物語を聞きたいからです。

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