今日はクワ・カマ・スコップをもってサンゴ山に集合、重機バックホーも登場である。

スキー場で削られた斜面はやせ地となって、ススキも伸びられない。わずかな潅木の間にふっつい(
自然に生えた芽生え)の
松が目立っている。
ホウの木が一本、これも貴重な植生なので、伐らないで残した。
栗の木もこんなに小さなまま花をつけている。
ウツギだけはやせ地にも強く、まだ咲いていた。

同じスキー場跡でも山肌を削らないで、樹木を伐採しただけのところは木が茂っている。

その茂りの周辺には
ミツバアケビの木の芽もはえている、
ウドもある。
タラノ木もあって、やはり山菜の宝庫。
大きな
桐の木は、四・五十年前まであった
山畑の跡である。当時は畑のクロ(
周辺)に桐を植えていた。いま藪をかきわけて、その根元をのぞくと
茗荷が生えていた。これも山畑のときの名残であろう。
さらに覗き込むと、藪の暗がりの中にユリが見つかった。
山百合に違いない。私が子どものころは、山の随処に山百合を見ていたのだが、いつの間にか絶えていた。目についての乱獲だったのであろうか。これもソットしいおきたい植生である。
葉の大きな、あまり見慣れない樹木がある。
橡の木か、こしあぶらの木か、それとも?。私にはわからない、すこし様子をみよう。どんな花がいつ咲いて、どんな実をつけるのか確かめながらと・・・・・。
頂上までの道切り刈り払いもすすんで、小休憩となり、話がはずむ、夢をかたる。
目の前の指呼の間にひろがる風景は
ふるさと中山である。その先に魚野川を隔てて
西川口の台地がひろがっている。ここに立つと、過ぎ去ったふるさとの姿を偲び、今のふるさとを眼下におさめられる。そしてふるさとの未来を語る場である。
私が生い立ちのときからの脳裏のなかの
ふるさとの景観を、にここに開示しておこう。秘かにいだいてきた
ふるさと中山への原点がここにある。
今日の景観がなぜ中山なのか、その意味も問わねばならない。

(
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この次は、切りひらいた斜面に
花の種を播くことになっている。
さんご山はゆたかな植生がある。
さんご山の、過去・現在・未来をどう調和させればよいのか、
花の種の意味も問わねばならない。

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