美しいムラの里山に、観光の人たちが訪れてくる。
ムラの賑わいはうれしいことです。でも 山の自由 ≠享受するには、ムラのきまり を分かってもらいたいのです。
もう夏が過ぎようとしています。お盆を前後した暑い日、緑の美しい山の温泉と、爽快な水しぶきの魚野川やな場、
自然の美しい川口町に大勢のかたがたが訪れてくださいました。観光のお客さまです。

山の温泉は三郎次のムラ、中山地内ですので出かけてきました。そして目についたのがこの立て札です。
ムラの山は美しくありたいと、ごみなどの放棄はとても悲しいことに思っていました。
でも、あちこちの立て札は、三郎次の気持ちにそぐわなかったのです。
と云うのは、7月上旬、飛騨白川郷を訪れて、感じたことがあったからです。世界文化遺産の観光地です。
外から訪れる大勢の観光客と、それを迎い受ける地元の人たちの感覚は、どんな様子かと思ったのです。白川郷は、自然との深いかかわりの中に生活を引き継いできたとのこと。自然と共にある暮らしは今も大切であるから、観光客にマナーの大事を訴えています。地域の自然を壊さない、草木などの自生の植物を持ち出さない。また持ち込んだものをゴミにして、置いてゆかない。などと訴えていました。
それは自らのこととしても、
お爺とかお婆の生きる感覚を学ぶと、自然を大切にする共生の感覚だったと云うのでした。
三郎次のムラでも、自然とかかわる姿勢のなかで、ムラのきまりが受け継がれていたわけです。
ところが、この夏の、山地に入ると突然現れたのが 警告 ≠フ立札です。
不法投棄、絶対、
○○法、処罰。
これはムラのきまり ではない。何であろうかと、訝る気持ちがわきます。
もはや ムラのきまり ≠ナは、ムラの山が守れなくなったのであろうか。現代社会のきまり 法 ≠フ処罰にたよらねば、ムラは守れないことになったのかと、戸惑うのであった。
子どものとき、ムラの年寄りから聞かされた話がある。昔の話であったが、真理に適うと感じたのか、60年後の記憶に残っている。ムラで悪いことをすると、 赤ずきん ≠フ罰にされたとのこと。それが
野田のムラきめ としての前稿の古文書写真です。連記されたムラの百姓名は、何処そこの家と、三郎次の分かる名前です。
ムラで一番の悪事は、天の下の自在の中にあるもの、それを犯す盗みと聞かされた。家屋の中に取り入、囲うことのできない野山・自然の中に在るもの、盗ろうとすれば誰もが手を伸ばすことのできる野山のものに、勝手をするのが一番の悪事と聞かされたのです。ムラのきまりの外で、山の木を勝手に伐る。自分勝手な草刈にも、ムラの目が光っていました。
今日にあててみれば些細もないことが、ムラのきまりでは大事だったのです。その処罰が、ムラの寄り合いには、赤ずきんを冠らねばならなかったことと聞かされました。
こんなムラの処分がいつまで続いていたのか分からないが、おそらく三郎次に話を聞かせたムラのお年寄りにも、実際の立場ではなく、前々からの親世代から引き継いだ諭しの言葉の記憶を、語り聞かせたのであろう。そこには、ムラが引き継いで来て、近代法とは違う倫理価値観で、環境保全・自然との共生があったのです。
前述の白川郷訪問は、 北海道洞爺湖サミット と時期が重なっていた。エコとか環境問題が、世情のキーワードとなっていた時です。訪れた白川郷で聞いた婦人の話が印象に残っています。環境とか自然との共生は、白川郷では今日的課題ではなく、お爺とかお婆の暮らしのなかに普通にとらえられていたこと。だからいまさらの今日世情に不満げの口ぶりであった。考えてみると、今日のエコとか環境の問題は、近代文明が推し進めた自然破壊の反省から、にわかにとり上げた課題のように感じるのです。白川郷が、己の生き様の基本に据えてきた、環境問題・自然との共生とは別のように思えるです。
ところで三郎次のムラ、鎮守さまの思想が
「 霊威鎮豊土 」をかかげて、山の霊(
精霊)・木の霊(
精霊)を祀っていました。ムラの菩提寺・林興庵が掲げたのも、
「渓声長廣舌山色清浄身」の禅の教義であった。自然と一体の生活観を、ムラは引き継いでいたのであります。
野山を荒らさない、汚さないことに、現代法の規制はなじまない感覚と思えた。
引き継いできたムラのきまり、感覚、思想でムラの自然を保持することこそ本意と覚えるのであります。ムラの外から立入る観光の人たちにも、マナーを求め、それがムラのきまり、ムラの感覚の理解を求めることになるのは、白川郷に学んだあり方と、同じになると考えています。

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