2010/5/26

ずっと守りたいもの  柳瀬正夢

昨日5月25日は祖父の命日でした。
大正から昭和にかけてねじ釘の画家として激動の人生を生きた人です。
名前は 柳瀬正夢←去年の命日の投稿です。

祖父は一貫して戦争には反対してきたのに、
終戦まであとわずかという時に5月25日の新宿空襲で命を落としてしまいました。

その頃まだ女学生だった母が
新宿に出かけたまま音信のとれない自分の父を案じて
義理の母と共に焼け野原になった新宿へ行き、
積み重なる死体の中から見慣れた青いコートの端を見つけ出したそうです。

その場でドラム缶で遺体を焼いてお骨を
リヤカーで引きずってこの家に持ち帰ったと母から聞きました。
その遺骨はしばらく家の奥の部屋の押し入れの中に安置してあったそう

もちろん会ったことはありませんが
私は今もこの祖父が自分を守ってくれていると感じています
この家にいる限り祖父の魂が私を守ってくれる。

姫の事もね
祖父も猫が大好きだったそうですから…。
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きっと姫には姿が見えるんだね…

今でもある当時からあると思える扇風機
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今でも十分使えるんですよ…凄い音と風ですけど。

私の家は今でもほとんど戦中に祖父の建ててくれた時のまんまです。
家族4人で貧しくても楽しく暮らしていたのに、
いつの間にか父も母もいなくなり
そして今年、長く家を出ていたとはいえ思い出を共有している兄までも
父と母の元に逝ってしまって
ついに私とこの家だけが残ってしまいました
あ、姫と二人…。
寂しい限りですが、
でも家の隅々まで家族で暮らした思い出が詰まっているので
いつもまだ皆と一緒に暮らしているような気がします。
姿は見えなくなっちゃったけど心の中ではいつも一緒☆彡

亡くなった人って不思議とすぽ〜んと心の中にはいってきて
より身近に感じるものなのですよね。

自分では不動産は何ももっていない私ですが、
今、こんな風に暮らしていられるのはこの家を建ててくれて、
ず〜と見守ってきてくれた祖父のお陰。
この家を守って私を育ててくれた両親のおかげ。
本当に心からありがたいと思います。

だから、これからもこの家をず〜と大事に守っていきたい。
姫と一緒に。

それが今の私にできるたった一つの親孝行だから

ひぃおじぃちゃんは画家だったそうな
姫にいちぽちいれたってえな
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おまけにこっちもたのんまっせ
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2009/5/25

ねじ釘の画家・柳瀬正夢  柳瀬正夢

今日5月25日は、画家だった母方の祖父、柳瀬正夢の命日です。
柳瀬正夢は大正から昭和戦前までに、
日本での前衛美術、プロレタリア美術運動の旗手として活躍した人でしたが、
1945の新宿空襲で45歳の生涯を閉じました。

そう、今は菜々と二人きりになってしまったこの家を
建ててくれた人ですね。

もちろん祖父とは会ったことはありませんが、
私の誇りの祖父です。
この家に生まれ育ち、両親とともに人生のほとんどをこの家で暮らしてきた中で、
なぜか子供の頃から祖父の存在を自然に体に感じてきました。
守られているっていうんでしょうか…
今もこの家にいると祖父やそして今では両親もが、
いつもそばにいて守ってくれているように思えます。
不思議ですね。

とはいえ、私は母が亡くなるまで祖父の事はほとんど知りませんでした。
画家だった事は知っていましたが、
会ったことがないし…
それ以上には興味がなかったのですね。
父親が大好きだった母がよく祖父の話をしてくれましたが、
その頃は年寄りの昔語りとして聞き流してしまっただけでした。
もっと真剣に母の話を聞いて、たくさん祖父の事を教えてもらっておけばよかったと
今では本当に残念なことをしたと思います。

そんな私の意識を祖父に惹きつけたきっかけは、
母の突然の旅立でした。
亡くしてしまって初めて母の生い立ちや子供の頃の事を何も知らない事に慌て、
そして母を知りたいと思う気持ちが祖父の存在に繋がりました。

その翌年(9年前ですね)に愛媛、福岡、宮城で
柳瀬正夢生誕100年の大規模な展覧会の開催が開催されたのですが、ちょうどその頃に展覧会準備が本格的にスタートしていました。

その時に、その展覧会をとても楽しみにしていた
母の無念さへの深い思いと、
自分の心に広がるどうしようもない喪失感と…
そして母の死を通して急に身近に感じるようになった祖父という
画家をもっと知りたいと思う気持ちから…
展覧会の準備に無理やりに加えさせてもらうことになりました。
そして、
まずは自分の家の中を何か祖父のものがまだ残っていないか探すことからスタートし、
いろいろな発見をしたり…
美術館や研究者の方からいろいろと祖父の事を教えてもらったり、
ゆかりの地を訪ねたりして、
その残された作品を目にするほどに・・・
祖父の才能の凄さとその生きた時代と生きざまの凄さに圧倒されました。
その頃、母という一番身近な存在を失って暗闇の中であがいていた私を
きっと祖父が絶望から救ってくれたのですね…。

これがその時の展覧会のポスターの一つ。
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そして図録
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その後、柳瀬正夢とはまた遠ざかったしまった私ですが…
祖父の事はとてもとても誇りに思っています。

とはいえ、恥ずかしながら私には祖父を語る事はほんの少しもできないので、
興味を持って下さった方はぜひ広辞苑やブリタニカやネットを見て下さいね。

私がたったひとつ自慢できることは・・・
祖父がたててくれた家に今でも住んでいるということ…それだけ。

築67年になりますが、一部を40年前に改造した以外は全くオリジナルなままです。
木造で今ではかなりボロっちくなりましたが…
当時は洋館っていう感じだったのでしょうか?
外見は洋館っぽくないけれど、作りも変わっていて
建築当時からトイレは洋式でした。

とても工夫が凝らされた家で、収納や当時としては斬新だったろうキッチンから壁越しに隣のダイニングに直接食事を出せるカウンターや、トイレの汚物をタンクにためて発生したメタンガスを生活エネルギーとして再利用するというとてもエコな家だったようです。

今でも玄関を開けると目に飛び込んでくるのは
ブリューゲルの作品の印刷の額…
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当時の印刷技術としてはかなりすぐれたものだったのでは?

そして同じ玄関にはこんなすかし窓…
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居間にも壁に作り込まれた人形棚があって・・・
こんな人形が飾ってあったり…
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祖父が満州で集めてきたのだろう中国の人形がぎっしり…

家にはもう全く祖父の作品はありませんが…
たったひとつ残された私の部屋に子供頃からあった
水彩画
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そして母がとても大切にしていた祖父の楽焼…
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何もかも子供の時のまんまで…
玄関を開けたとたんに子供の頃にタイムスリップします。

なんかこの家に生かさせてもらっているって感じかなぁ。

祖父の事を書くと、かさねがさねも自分に絵の才能がないのが残念です
それこそ「なんでやねん」と言いたくなりますね

で、この私は子供の頃から猫と暮らしているので…
猫はこの家の風景の一部です。

いったい何匹の猫たちがこの家で暮らしてきたのかは忘れましたが、
○○代目あたる現在の家守はこの方…
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菜々姫様… ははっぁ〜土下座

姫…留守をよろしく頼んます
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かわいい家守さんの姿にきっと正夢さんも笑っていることでしょう
祖父の筆にかかったら菜々姫はいったいどんな風に描かれるのかなぁ

今日はそんな祖父の命日ですが…
不義理な私は仕事でお墓参りに行かれませんでした
本当にごめんなさい。

そしていつも私と菜々を守ってくれてありがとうございます。
あなたの分そして母の分まで長生きして、
私がこの家を守っていきますね。

あ、そうそうこの家は建てられた当時は敷地が300坪あって(借地ですが)、
母屋に隣接してアトリエがありました。
が、ちょうど35年前の祖父の命日の今日に、
不審火で全焼してしましました。
で、その時ちょうど母は、当時、青山墓地の無名戦士の墓に
眠っていた祖父のお墓参りに出かけていたそうですが、
帰ってくるとアトリエが焼失。
でも、栗の木1本を挟んで隣接してたこの家は全く焼けなかったのです。
栗の木が守ってくれたのか…
いいえ…やはり柳瀬正夢さんが守ってくれたのですね。
私はそう信じています。
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