2008/6/8

20年前の写真  真藍ちゃん

 昨日、地元ボランティアのちゅうさんが、真藍ちゃんのためにお花をもってきて
くださいました。 人前では涙をみせないつもりでしたが、お花をみて思わず
涙があふれてしまい、ちゅうさんまで泣かせてしまいました☆  
 おそらく、生まれてから、母猫やきょうだいとふれあった短い時間以外は、
いいことがなかったであろう真藍ちゃんのことがかわいそうでなりませんでした。
そんな真藍ちゃんのためにお花をいただいて、嬉しかったです。
仏壇に飾らせていただきました。

 昨日、2年半ぶりくらいに、あるポラロイド写真をひっぱりだしてながめました。
もう20年以上前に、父と父の知り合いのかたと一緒に、横浜の外人墓地にいったとき
父が「これ、写真にとってよ」と頼み、知り合いのかたがとった石碑の写真ですが、
そのなかに

 … 現世のはかなさを嘆く魂も 今は安らかにここに憩う 

 と書かれてあります。

  20年以上もまえにとった写真
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 当時、私は石碑をみても特に何も感じなかったと思います。
 この写真はどこかにしまいこんで、ずっと目にすることがなかったのでした。

 2年半前に父がなくなったあとは、しばらくの間、毎日泣き暮らしていました。
 ある日、父の写真を整理しようとして、この写真を見つけ出しました。
 写真をみて涙があふれましたが、何か気持が軽くなったような気がしました。
 父はもう苦しむことなく、安らかに眠っているのだ、と思えたので。

 その後、あるかたと、なにかのきっかけで、
(人間が死ぬと)土にかえる、とよくいわれることについて話をしあったときに
 塵(ちり)の話がでたのですが、後日そのかたがくれた聖書の解説に
 塵を指す最も一般的な言葉は、ヘブライ語のアーファールで、
 「乾いた土」や「粘土モルタル」を意味するということを知りました。
 
 塵は、生命あるものの必然性を象徴しています。
 人間は死ぬと、「その塵に戻って行く」から、だそうです。
 人間だけでなく、犬や猫、植物などもそうであるといえます。
 (以下、引用文)
 一般的に、無機質な塵を生じさせるのは、火山の噴火、火事、農業活動など
 植物質は、花粉、カビ、植物繊維、種子 など
 動物も乾燥した糞、細かい毛、バクテリアなどによって間接的な塵を生じさせます。

 塵は生物の生存と慰安に不可欠な、神様からの備えで、
 塵は大気中の水分が凝縮して、植物の生長に欠くことのできない、雨、霧、あるいは
 もやになるための重要な要素となっています。
 それだけでなく、大気中の塵が光を散乱させてくれなければ、地球上の生き物は
 目に耐えられないほどのまぶしい直射日光にさらされますし、たそがれや美しい
 夕焼けという見慣れた現象は生じなくなります。

  … これらのことを考えていると、土にかえるということは、何か目にみえない
   大きいエネルギーとなり、生命体が永続していく源であると思えます。

 なんでこんなことを考えているのか、自分でもよくわかりませんが、
 真藍ちゃんの遺灰を土にかえしたことで、真藍ちゃんの命はめぐりめぐって
 生命体(一部でも)として生まれ変わってくるような気がします。
 自分にとっての 慰め、といえば慰めなのかもしれませんが。

 
 真藍ちゃんのように、お外で風邪をひき、苦しむ猫ちゃんが
 いなくなってほしいと思います。
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 最後にこの場をかりて、真藍ちゃんの冥福を祈ってくださった皆様に
 厚くお礼申し上げます。 ありがとうございました。   猫の樹



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