2006/10/31

哀悼  
 栗沢町長だった山田町長が昨日未明亡くなった。幌向での練習で集合場所の文化センターで聞かされた。夏に交通事故で入院していることは聞かされていた。驚いた。
 山田町長と太鼓との出会いは、23年前のSTVの編成局長時代となる。STVの夏祭りに出演を依頼されて私達は意気盛んに出かけていった。しかし、発足して間もない私達は持ち曲一曲、消化時間は7分である。栗沢出身の町長は30分枠を用意し唖然としたらしい。草野先生の独演を挟んで同じ曲『豊穣祝太鼓』を2回披露してその場を消化した。ちなみにその時の舞台の進行をしていたのは、新人アナウンサーの木村洋二だった。出演場所を用意してくれた山田局長に大変な恥をかかすこととなった。
 町長となったその後、太鼓の機関紙にアナウンサー局長の頃と間違ってそのいきさつを記したことがあった。『いやあれは編成局長だったよ○○さん。』と言われて覚えていてくれていた。
 新年の挨拶で町長室を訪ねた。『青少年の育成にどれほど貢献しているか解りませんが・・・』と町長に言うと、町長は『○○さん、ステージで出演させるだけで立派な青少年の育成ですよ。』とやさしくいってくれた。
 『農業祭』の『仮装盆踊り大会』を主管しはじめてその様子をうかがいながら、私の顔を見つけては握手を交わした。『キャンビー公演』を開催の頃は町財政も大変な時期になっていた。助成申請を町に衣頼したが、大義名分やらで即答してくれなかった。『道文化財団』の助成対象事業となり、町も助成対象となった。その年の総会に町長が出席してくれて「立場上一つの団体に特別なことができる状況ではなかった。私としては出来るならばはじめから助成したかった・・・。広報にすばらしい報告を町民にしてくれたことは暗いこの時期にうれしかった。」と挨拶してくれた。
 今年の6月、町長と町内の葬儀で会うことがあった。『元気ですか?』と訪ねると『太鼓を叩けるほどではないですが元気ですよ。』と和らげな笑顔を見せての会話だった。それは最後にあった町長であった。仮装盆踊りの審査員をお願いすることにして依頼状を事務局にお願いした。「入院しているから遠慮しては・・・。」と言うことであった。交通事故があったことはその後聞かされた・・・。
 『栗沢太鼓』を充分に理解してくれていた。そして応援していてくれた。そして合併して、その後も心配してくれていた。
 理解者がまた一人失った。彼が言ってくれた言葉を忘れずに、ステージに一人でも多くの子供達を上げて太鼓を打ってもらいたいと思う。
 山田町長に『心からの哀悼の意をささげて・・・・。』
 
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2006/10/28

道具の扱い  
 新庄選手のグローブはプロ生活17年を愛用した。スピードスケートの清水選手は同じスケート靴を何年も履き続けて長野オリンピックで金メダルを取った。いいプレーヤーは道具を本当に大切に扱う。
 太鼓プレーヤーにとっては太鼓が一番の道具である。うちの太鼓チームは宮太鼓は練習は裏面、小締太鼓のバチは指定の細いバチ意外は使用禁止である。雨が一滴でも降り出せばビニールで覆う。台が高ければ台を低く作り直した。その考え方は太鼓を打つ子供達に徹底させている。
 この厳しいい財政の中、次に太鼓の皮を張り替えるのは何時になるかは皆目予定が立たないでいる。練習面はひどい状況だ。しかし、この決まりを怠れば両面ともすぐさまだめになってしまうだろう。本番でいい太鼓など望めない。海外公演など持っていけるような太鼓になどならない。それが理解できると子供達はしっかりとその決まりを守ってくれる。太鼓の価格や皮張替えの費用など子供達に認識してもらう必要もあるだろう。そんな所から道具の大切さを理解してもらおうと思う。
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2006/10/27

やったね!  
 日本ハムが日本一に。すばらしいね。春のWBCも感動したし、高校野球も興奮した。春から秋まで北海道は野球が盛り上がったな。
 印象に残ったのは、WBCはイチローの張り切りよう。高校野球は決勝の再試合。日本シリーズは札幌ドームの盛り上がりかな。日ハムは若いいいピッチャーがいるからこれからもきっといい成績を残してくれるんじゃないだろうか。
 我が『朋友』チームもあやかりたいね。
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2006/10/26

リタイア!  
 『朋友』チームの春奈が手首を捻挫してリタイアした。本人も残念だろうがチームとしても痛い。何とかメンバー変更を了承してもらってサブメンバーの小学生を変わりに入れたいと思っている。人の数は多いが高校生は僅かに3人。中学生6人、小学生6人である。春奈は中学1年だ。その中学生の一人がリタイアである。小学生と中学生では体力や力強さの面では大きく差がある。しかし、サブメンバーの小学生達は元気がいいし積極性がすこぶるある。その元気とやる気で春奈の分をおぎなってほしいものだ。
 目標は、優勝・全国大会出場だ。練習も厳しくなってきた。今は私は静観だ。曲を完全にマスターした時点からまた私の出番となるだろう。太鼓のメンテナンスや衣装の準備に力を入れたいが、何せ金が無い。無い中でメンバー達の実力を披露できるように力添えしたいものだ。
 一人一人の実力は最近やっと目に見え出した。曲もいい曲だ。メンバー達はまだ曲を完全にマスターし自分のものにしてはいない。これからが熟成の領域だろう。何とかびっくりするようなチームになってほしいものだ。みんなのチームワークと大きな夢を描いてビックな挑戦者になってほしい。
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2006/10/16

楽しい太鼓を・・・!  
 子供達と楽しい太鼓を叩きたいのが私の考えだ。そして見てくれる人からはいい太鼓ですねといってほしいと思う。
 人の能力は、人それぞれである。物覚えが早い遅い、太鼓のセンスや運動能力、或いは気の強さなどの感情や独特の表現力やキャラクター。子供達を見ると一人一人がこうも違うのかというように個性を出している。これが楽しい。太鼓にこの個性を盛り込みたいと思う。太鼓はこうでなくてはならないということは無い。その子の個性を太鼓で表現してほしいしそしてその子が満足ややりがいをもって取り組んでくれれば良いと思う。わたしは子供達の今の太鼓技術を評価しようとは思わない。子供達はいや人は、やろうと意欲があれば永遠に進化すると思う。現在がへたくそでもその気持ちがあれば必ず進化するはずだ。少しでもその進化が見えた時、大いに誉めてそして認めてやりたいと思うのだ。その時の子供達の笑顔は格別なのだ。自分もその変化を必ず自覚しているからだ。
 人は認めてもらいたいものだ。認められ誉められることはうれしいものだ。私がそうなのだから子供は絶対にそうだと思う。でもやたらめったに誉めるのもよしあしだ。その子が自信を持って変わった時に思いっきり誉めてやるのだ。その子は目の色を変えてうれしさを表現する。その顔は、本当にいい顔をしている。
 能力を過大評価して過大にその子に期待をかけそして急いでもその子は伸びることは無い。むしろその子のやる気を失うことがある。むしろ急がずもどかしさを感じながら進めるほうがその子にとっては良いときもある。しかし時には、思い切った変化をあたへ刺激を与えることも必要になる。そのメリハリは大切だ。安心感と不安感の両方を得ることは人を大きくさせるのである。そして、太鼓の魅力を倍加させていく。
 楽に覚え楽に技術を上げるのが、楽しい太鼓とはいえない。苦労して習得しそしてそれを評価されたとき太鼓は楽しくなるのだ。
 
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2006/10/3

姉妹都市公演で得たもの3  
 キャンビーでお世話になった人がいる。私達の受け入れの時だけでなく毎年中学生の姉妹都市研修のお世話をしているナンシーと旦那さんのデイビットである。
 キャンビーを訪ねたのは僅か4日間の話である。到着した日は時差ぼけや旅の疲れを癒すために札幌市の姉妹都市ポートランドに宿泊した。実際にキャンビーには2泊しかしていないのである。そして最終日はバス観光をしているのでキャンビーには僅かに2日しかいないことになる。その2日間で3回の公演をしているのである。その僅か2日間のキャンビーでの出来事だったが、今思うと一週間ぐらい滞在したようなそんな錯覚を覚える。それぐらい私達には内容のあった思い出深いことだった。その印象と感情は日がたつ今でも忘れ去られていない。本当はつらいぐらいに疲れていたのである。気の張りと心意気でその4日間を全力で過した様な気がする。
 ナンシーは気をきかしすぎるぐらいに私達の日程を調整してくれた。ただ彼女は太鼓を打つことがどれだけの体力を消耗することかは理解していなかったようだ。滞在3日目の夜。公演を全て消化した日である。子供達はギブアップした。その夜のプログラムをキャンセルせざるを得なかった。それぐらい子供達は疲れ果てていた。ナンシーは気持ちよくそれを了解してくれた。
 最終日はチャーターしたバスで観光となったが、実際には疲れを癒すバスの中となった。ナンシーも疲れていたのだろう大きな身体をゆすりながらうたた寝をしていた。マナーに対してはとてもうるさい人だった。タバコは日本とは違いどこかしこで吸えれない。油断しているとついついタバコを手にしてしまう。とたんにナンシーから注意である。そんな彼女だったが気持ちは言葉を越えるものだとよくわかった。まるでTVの「ウルルン滞在記」を経験したようなことのようだった。
 最終日のポートランドのホテルで、ナンシーとデイビットがお別れ会を催してくれた。その夜の出来事はキャンビー公演の成功を物語っていた。デイビットとは2日目の夜に会うこととなった。ひげ面の彼と最初に会ったときは「何しに来た!」そんな感じに私は受け止めていた。しかし、彼は仕事を終えてから太鼓の運搬や交流会に勢力的に付き合ってくれていた。(この時点でいやいやなのか積極的なのかは解らなかった。)
 私は子供達の身体を気にして肩や腕をマッサージしてやっていた。ナンシーがそれを見ていて私にもというような顔をした。昼食のレストランであの大きな肩をマッサージすることになる。気持ちが良いという。デイビットにもやってくれという。きっとよろこぶからと。その夜の交流会で私はさりげなく彼の肩や腕をマッサージしていた。彼は笑顔で感謝を行ってくれたと思う・・?。(英語なのです。)
 最後の夜、自分が作ったワインだと美味しい赤ワインをついでくれた。そして新鮮な蟹を買い込んできてみんなに振る舞ってくれた。最後のその夜は時間を惜しみながら、そしてホテルからの苦情(大騒ぎ)を気にしながらのすばらしい最後の夜となった。
 私達が帰郷するかしないかの頃に、町役場にナンシーからのすばらしいメールが届いていた。昨年、町からの功労者表彰に來町した彼女から、挨拶もそこそこに太鼓の最訪問を促す言葉があった。金がかかるなら私の家に泊まれという。・・行かざるをえまい。
 ナンシーは、情を大切にしてくれた。金銭や見栄や或いは独りよがりが増えた日本の今の世の中で子供達は何を信じて何を求めて良いの解らなくなってはいまいか。キャンビーを訪ねて、ナンシー・デイビットと知り合うことで私は大きな財産を得た。人が人と付き合うことは見栄や外聞ではなく気持ちなのだと。人を思う気持ちが大切なのである。思った気持ちは必ず思われるのだと。私は太鼓にくる子供達との付き合い方を改めて考えることとなった。それは姉妹都市公演を経験した一番大きなそしてすばらしい得たものであった。
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