2007/1/30

暁の音  
 「暁の音」は栗沢太鼓20周年記念曲として作成された。10周年記念曲から10年振りに作られた待ちに待った新曲であった。この曲はこんにちまでの栗沢の町の歴史を表現したものである。
 20周年を迎えたこの年はハードスケジュールの年となった。前年の秋からは「栗沢の四季」の復刻、そして発表。ジュニアコンクールへの挑戦。「暁の音」の作成。キャンビー公演の練習とめまぐるしい日々であった。しかし、ジュニアのメンバー達は意欲的にこのスケジュールをこなし急速に技術を上げていった。
 「暁の音」は栗沢太鼓同志会20周年式典で厳かに披露された。式典に招待した方々に新しい栗沢太鼓の側面を披露し20周年式典は大成功の中で終わった。更に、この曲を得ることでキャンビー公演が余裕を持って取り組めたのである。
 25周年を迎える2年後に再びキャンビーにへと計画中である。しかし課題はいっぱいある。費用はもちろんだがメンバーみんながキャンビーに行きたいという気持ちがあって、みんながそれに向かって練習し技術を上げ一時間を越える演奏曲を習得する第一条件をクリアしなければならない。そして、行きたいから行かせろではなくて、行くために自分はどうしなければならないかを考えてほしい。お父さんやお母さんや家族が行ってこいと応援してくれる為には、一生懸命努力して頑張っている姿をみせなければならない。その努力が無いのならこの計画は中止せざるを得ない。
 今、その第一歩にこの曲「暁の音」の習得の練習を始めている。「暁」とは夜が明けることである。この曲を習得しなければキャンビーへの夜明けは無い。
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2007/1/28

栗沢の四季  
 平成4年、栗沢町は開基百年を迎えた。そして栗沢太鼓も十周年の記念の年となる。この記念の年に向かって様々な企画が練られた。まずは大締太鼓の購入であった。栗沢太鼓にはその頃100万円の積立金があった。この資金と後援会・町の助成を受けて道内で最大の太鼓を作成することになる。(しかし、まもなく二番目になったが。)私は先生に開基百年を記念した本格的な曲の作成を依頼した。栗沢の一年を表現した「栗沢の四季 春夏秋冬」という曲であった。制作開始から目標としていた百年式典まで丸一年をかけての大プロジェクトであった。
 未知の難解なリズムが次々に作り出された。構成も複雑となる。助けとなったのはリズム感のいい小学生のメンバー達だった。オジサン組みはリズム習得に四苦八苦であった。完成も終盤の頃、大きな問題と直面する。それは時間の問題である。あまりにも本格的となり20分にもなる曲となったからであった。町の式典担当者からは確か5〜6分といわれたと思う。短縮に短縮して12分となりやっと式典での演奏許可が下りたのであった。この長さの曲はその後も足かせとなった。しかし、この長い曲が後に大きな働きとなる。それは遠くアメリカの大地でである。
 この長さゆえ「栗沢の四季」の演奏が閉ざされた。「栗沢の四季」はお蔵入りしてしまう。日の目を見たのはその後何年もあとのことである。キャンビーで太鼓を・・という夢が栗沢太鼓の中で芽生える。そして積み立ても開始された。しかしキャンビーで公演を行うためには少なくても一時間以上を消化できる演奏曲を持たないと開催することは出来ない。私はキャンビー公演開催をこの曲の復刻にかけたのである。VTRを駆使し、みんなで意見を出し合いながら新しい「栗沢の四季」の復刻に取り組んだ。新しくした点は、20分に及び途中交代していた前曲を一人の打ち手で打ち終えることが出来ること、そして時間を短縮して演奏の機会が増えるようにすることであった。曲は15分ぐらいに短縮され、そしてこの曲は生まれ変わり栗沢太鼓の演奏曲に再び戻ってきたのである。そしてこの曲の復刻によりキャンビーでの太鼓公演が実現するのである。
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2007/1/19

雄飛  
 今では栗沢太鼓の代表曲となったこの曲が、全国大会の翌年に完成する。先生から一分あまりのソロの創作が課題として出された。みんな四苦八苦であった。大半は先生のアレンジで完成するが、中には毎回自分のソロを変えているつわものもいた。この曲の完成によって栗沢太鼓は一躍一目をおかれる太鼓チームへと進化していく。個人のソロが全員でつなぐ太鼓曲は斬新であった。そしてメンバー達は互いを競うように個性豊かなパフォーマンスを披露した。私達はこの曲を持つことによって大きな自信と太鼓の喜びを満喫したのである。それは今日まで続いていくことになる。
 栗山夏祭りやすすきの夏祭りでは、満場の喝采を受ける。年配の先輩からひとりでに涙が出た『どうやってあの太鼓を打っているんだ・・・』と感動をあらわにしてもくれた。この曲をプロデュースしてくれた先生に敬意と感謝を改めて述べたい。今も子供達はこの曲にソロで参加することを目標に練習に励んでいる。そして太鼓技術を上げる練習曲として大きな存在となっている。その位置づけは今後も変わらないだろう。今後も栗沢太鼓はこの曲を中心とした太鼓チームであり続けるだろう。
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2007/1/16

絶世太鼓  
 90周年で『豊穣祝太鼓』を初披露した翌年、実行委員会から栗沢太鼓同志会として新しい組織が誕生する。たくさんの新しい会員を迎え活動は活発であった。’84年、STV夏祭りに招待を受けさっそうと会場に乗り込んだ。プログラムは30分を用意されていた。しかし、その時私達はまだ『豊穣祝太鼓』一曲しか持っていない状況であった。草野先生の独奏と同じ曲を二度打ってそのプログラムを消化したのである。発足間もないとはいえ大きなショックを私達は受けることになった。(会場手配は、編成局長だった山田町長であった。恥をかかすことになった。)早急な第二曲を必要と感じた。
 このことが契機に第二曲の『絶せ太鼓』の作成に取り掛かることになる。先生は妥協しなかった。曲レベルは一気にあがった。今でも栗沢太鼓の中で一番難しい曲だと思っている。苦戦しながら第二曲の『栗沢絶世太鼓』は誕生する。この曲の誕生によって打ち上げ花火のようだった栗沢太鼓もちょっとした演出も出来るようになる。ベテラン組みは『絶世』、新人は『豊穣』というように出演者の経験も増えることになっていった。
 ’85年、この『絶世太鼓』で北海道青年祭郷土芸能の部に出場して最優秀賞を受賞、全国青年大会に出場することになる。その頃には借用していた太鼓から自前の太鼓も得る事になり太鼓チームとしての草創期から新たな飛躍の時代へと移ることになる。
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2007/1/15

豊穣祝太鼓  
 栗沢太鼓の第一曲だ。この曲で栗沢町開基90周年に初披露し栗沢太鼓が誕生した。草野広志氏作曲のものである。命名のときに先生は二つの名前を提案してきた。『絶世太鼓』と『豊穣祝太鼓』の二案である。先生の判断で『栗沢豊穣祝太鼓』と名づけることとなった。そのあと『絶世太鼓』も二曲目として誕生することになる。
 全くの初心者の集まりから基礎練習を開始しそして初披露までの時間は半年間。週二回の練習が2月から開始した。メンバーは全員農業者。農繁期の時期も集まって練習したが、日に日にメンバーの数は減っていった。20数名でスタートしたが最後に残ったのは12名だった。(夏の頃は盆太鼓の練習もした。)太鼓は僅かに5台。前半と後半に分けて10名のメンバーで式典で初披露することになる。あの時の緊張は今でも忘れることは出来ない。私の長い太鼓歴の中でも一番である。式典に参加していた人たちは、その頃太鼓演奏など聞いたことが無かったと思う。そして町の話題として大きく取り上げられた。直後から青年の男女がぞくぞくと入会してくることになる。会員数も30名近い人数になっていった。
 初披露の時からこの曲は何度も編曲を重ねてきて今日の曲に落ちついた。2曲目の『絶世太鼓』が誕生するまでこの曲を何回披露したかわからない。基本の姿勢・リズム・強弱・スピード変化・腕の振り・・・。この一曲には初心者が習得していかなければならない太鼓の要素が全て含まれている。一見やさしそうな太鼓曲だが、この曲を打ちこなしてこそ太鼓の本質に迫ることになる。打つメンバーによってこの曲は全く違った印象に受け止められる。それほど奥深い一曲である。
 この曲は栗沢太鼓の母なる曲である。栗沢太鼓が誕生して今日の栗沢太鼓があるのはこの曲が多くの打ち手を育て多くの歴史を作ってきたからである。
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2007/1/1

パワーをもらい返そう  
 新年初打ちを始めて今年で何年になるだろうか。20年近いかな?。出演者も年々増えて今年は22名が初打ちをした。昨年は大雪で雪降りの中での初打ちだった。今年は温かい穏やかな天候でいい年越しであり、何人かの低学年が初参加で寒い中に楽しい初打ちだった。子供達はお年玉が分配されて懐も暖かくなったろう。
 地方に就職したメンバーやOBも帰省していて顔を出してくれた。毎年続けているこの恒例事業はこんなことも大切なことだと思う。町が合併したり財政難で苦しんでいる市町村のことなど暗い話ばかりが耳に入り、いつかは私達もとみんな思っている。そんな中で私達は太鼓を続け、明るく元気なみんなの太鼓を披露することは町の人たちにどれだけの勇気と励ましを与えているだろうか。今年のお年玉はいつもより少し多かった。人数が増えた分、去年より少なくなると思っていたが去年よりちょっと多かったかな。みんなが一生懸命練習して上達した分だと思う。町の人たちはそんなところもちゃんと見ている。いつもいい顔でいい太鼓を打って、町の人たちからパワーをもらいそしてそのパワーを何倍にもして返していこう。
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