2007/2/28

3人の女性AET  
 栗沢町時代に「栗沢太鼓」の門をくぐった英語指導助手が3人いる。一人目は帰国まで3ヶ月しかない時期に教育委員会から話がきて太鼓に入会してきた。「ギャビー」である。強引な練習をして何とか出演機会を作った。それは町内にあるお寺の報恩講であった。斬新な住職で境内でジャズセッションなども開催した。メンバーの坪○さんがVTRに収めSTVに投稿して放送された。活発なアメリカ版現代っ子だった。美人でした。クリックすると元のサイズで表示します
 二人目は「ナタリー」だ。真面目で精力的に取り組んでくれた。僅か一年の滞在だったが子ども達にすごい人気があった。必ずキャンビーに行くから向こうで会おうという約束をしていた。その時彼女は国連に就職?をしていてカンボジヤの国連事務所にいた。約束を果たすためにわざわざ帰国して「キャンビー」で再会した。素晴らしい女性である。クリックすると元のサイズで表示します
 3人目は「メラニー」である。青い目のお人形さんみたいな子であった。「キャンビー」にはフィアンセと二人で会いに来てくれた。積極的で好奇心旺盛な子だった。来町してまもなく農業祭が行われた。盆踊りの輪の中で浴衣を着て一人で堂々と踊っていたことが印象深い。その後栗沢太鼓に入会、二年後には空知太鼓連盟の夕張の演奏会で出演した。クリックすると元のサイズで表示します
彼女が帰国する時、私に色紙をプレゼントしてくれた。
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 結婚のお祝いにミルトガラスの兜をプレゼントすると、お返しにキャンディーが贈られてきている。
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2007/2/26

姉妹都市情報2  
 「キャンビー」の名前の由来は軍人の名前から、そして「ポカテロ」はインディアンの酋長の名前からだという。アメリカでは公共の物に人の名前が良く使われている。私達の講演した「アッカーマン中学校」も人の名前だし、ケネディー空港や通りの名前が人の名前だったりする。日本では店の屋号や会社の名前等は人の名前が付けられているが公共の物にはあまり聞かない。お国柄だろう。
オレゴン州情報
http://www.oregonjapan.org/
http://otc.traveloregon.com/japanese/
キャンビー情報http://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/i/kyouiku/kokusai/international/sister/canby/gaiyo/gaiyou%20canbyJ.html
http://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/i/kyouiku/kokusai/international/sister/canby/ayumi/ayumi-canby.html
アイダホ情報
http://www.iloveidaho.com/
ポカテロ情報
http://www.iloveidaho.com/cities/pocatello.html
http://www.city.iwamizawa.hokkaido.jp/i/kyouiku/kokusai/international/sister/poca/ayumi/ayumi-poca.html
写真:サインをするメンバー
 
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2007/2/25

世界選手権  
 今、札幌でノルディック世界選手権が行われている。1000円の入場券が有るけど誰か見に行かないかなあ。先週まではスウェーデンでアルペンの世界選手権が行われていた。BSで放送されていて期待の回転「佐々木明」は途中棄権だった。今日はジャンプの団体戦。今の日本のジャンプ陣の実力で地元開催は選手達が可哀想と思っていたがなんと見事に銅メダルをゲットするではないか。長野オリンピックからマテリアルの変更で日本選手に不利な状況となった。それが長く続いている。それにはこれまでのスキーの歴史が物語っている。ノルディックはそれが顕著で、北欧の選手が有利になるようなルールの変更を政治力で簡単に行う。ノルディック複合もそうで何度も優勝していた荻原健治もルール変更で常勝を阻まれしまっている。スポーツは美しいというが実際は政治力がものをいう。いい成績を上げるには世界に通用する役員をいかに送り出すかも大きな戦力なのだ。
 団体の銅メダルは本当に良くやったという他ない。マスコミさん、「夕張」ばかりでなくて世界選手権ももう少し取り上げてほしいものである。SAJの力のなさや今のスキーの事情がその点でもうかがい知れる。
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2007/2/22

姉妹都市情報1  
姉妹都市を結んでいる街が二つある。一つは栗沢町時代から継続したオレゴン州の「キャンビー市」とアイダホ州の「ポカテロ市」である。その位置が理解されてないようだ。二枚の地図を掲載したので確認してほしい。「キャンビー」はオレゴン州のポートランドから一時間ほど南に下がったところだ。「ポカテロ」はアイダホ州の東に位置する。クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
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2007/2/22

ジャネット・リン  
 最近のテレビコマーシャルにジャネット・リンが出ているではないか。すごいおばさんになっていはいるが昔のまぶしかったフィギアスケートを思い出した。
 真駒内アイスアリーナの近くに私の伯母夫婦が住居を構えていた。札幌オリンピックの開催(1972)で伯母は選手村の厨房でアルバイトをすることになり選手村に入れるからこないかと誘われたのである。これは行かねばと土曜の夜からさっそく出かけたのである。アイスアリーナまで歩いて50歩ほどの所に住宅があるがチケットは高い指定席しか買えないという。仕方なく屋外競技上のスピードスケートを見たのであった。スピードスケートを見た後、伯母のいる選手村に行き厨房から選手村に忍び込んだのである。テロのなかったその頃はのんびりしたものである。TVで私はジャネット・リン(フィギア銅メダル)の愛らしい滑りに大ファンとなっていた。選手村で会えればいいなと思っていた。
 選手村の売店を見たりあっちこっちとうろちょろしていて表に出るとそこに目当ての「ジャネット・リン」とスピードスケート女子1500mの金メダリスト「ダイアン・ホルム」がいるではないか。メダルを首にかけてマスコミの取材を受けていたのである。何とかサインをと詰め寄り強引にいったところコーチから「ちょっと待って」と日本語で怒られたのである。私はあわてて英語で「アイム・ソーリ」と謝った。そして何とかサインをゲットした。写真は夢中で私が撮ったものだ。オリンピックが終わった後、ジャネット・リンの部屋の壁にサインが書かれてあり大騒ぎとなった。札幌オリンピックでは日の丸飛行隊とジャネット・リンが日本中を沸かせたのである。
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2007/2/20

インストラクター  
 初めてスキーを履く子から指導員を目指すスキーヤーまでいろいろな受講生と講習をしてきた。いい先生と言ってくれることが一番の目標だった。いい先生になる為に練習もしたし講習方法も研究した。低学年の子ども達の講習は楽しかった。しかし元気のいい子・意欲的な子ばかりなら講習は楽だが、そういう子ばかりではない。親にいわれて仕方なく来る子もいれば朝から泣き出している子もいる。そういう子達に意欲を持たせいつの間にかスキーが大好きになっているそういう講習を目標にしてきた。
 低学年への私の講習は殆んどゲーム形式で始まる。手拍子とかダンスとか障害物とか・・・。子ども達は遊びで夢中である。そしていつの間にか子ども達はスキーに慣れそしていつの間にか上手になっていく。それがわたしの低学年への講習だった。初めてスキーを履き行動するのは大変でめんどうである。最初の出会いが一番大切なのである。いい指導者にめぐり合いその後もスキーに夢中になっていった子がいたはずだ。逆に最初の出会いがトラウマになってスキーと縁を無くした子も少なくないだろう。
 太鼓も同じである。楽しみながらいつの間にかリズムを覚えてしまう。いつの間にか太鼓が大好きになっていくそういう練習方法が大切となると思う。今新入生達が何人か加入して来た。この子達も太鼓が大好きになって仲間入りしてほしい。
 写真は小学生の頃の○樹先生だ。この頃からすでにおばさんチームの先生だった。
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2007/2/16

記憶の出演  
 開基百年のその年(1992)の11月に「10周年記念発表会」を町民センターで開催した。写真はオープニングの「豊穣祝太鼓」である。5団体を招待したこの発表会はお客さんが入らない寂しいものとなった。以後の15・20周年発表会は農業祭で開催している。栗沢では太鼓単独での演奏会での人の入りは期待できないことを悟らされた。クリックすると元のサイズで表示します
 翌年(1993年)、真駒内アイスアリーナで「ハローウエルネス北海道」というイベントに出演依頼された。どういう伝手での依頼だったかは記憶に無い。その写真が無いかとさがしたがアリーナの外でのピンボケの写真しか見当たらなかった。
 アリーナのど真ん中に太鼓をセットして「栗沢の四季」を披露した覚えだけがある。お客さんはグルッと観客席に座っていた。途中交代のあった初期の「栗沢の四季」でセットした太鼓の位置から着替える入り口までえらい距離があった覚えがある。
 写真2は北海道ビーフサミットが中央公園で開催されて横道知事と記念撮影したものだ。また思い出した出演があったら記載しよう。クリックすると元のサイズで表示します
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2007/2/10

新しい始まり  
 先月の27日に今年の総会を開催した。予定ではなかった市長が突然の来訪で驚いた。支所長から連絡はしていたようだがサプライズである。成人式の出演など栗沢太鼓の存在は充分に知っていたとは思う。子ども達にやさしい言葉で励ましのご挨拶を頂いた。会場費の負担が増えて大変な状況も伝えた。検討してくれるという約束をしてくれた。期待したい。
 去年の会計は赤字となった。市からの助成金が3月にずれ込んだのが原因だが、謝礼のもらえる出演が減り、無償の出演も増えてどちらにしても崖っぷちの会計であった。市の助成金も合併特例で3年は減りながらも継続されるが再来年には僅かな額に激減となる。何とか太鼓の運営資金を確保しないと大変な状況となる。会員みんなには負担となるが会費値上げをせざるを得ない状況だったのだ。
 会費を上げたことで運営には支障が無い状況になった。しかし、それだけではすまない。それは太鼓等の備品の整備費用や備品・衣装の調達、25周年事業などのこれからの目標などいくらお金があっても足りないのである。ゆるんだ皮の太鼓での練習や安い弁当など贅沢が出来る状況でないことをみんなには理解してほしい。
 決して手をこばねいていたわけではない。合併してどうやって動いていいか解らない状況だった。市制の状況も把握できず困った状況だった。まもなく一年となり少しづつ把握しはじめている。和太鼓連絡協議会の加盟や農業祭等のイベントなども状況がわかりだした。みんなには栗沢太鼓のプレーヤーとして堂々と元気のいい太鼓を披露してほしい。そして私たち大人はみんながいい太鼓を打てるようないい環境となるように努力を惜しまない。
 市長も後援会長も会長も・・・みんなが頑張って太鼓をしていることを知っている。大人達はみんなを必ずサポートしていく。
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2007/2/5

唯一のショット  
 太鼓を始めた年は全日本ス○ー連盟準指導員の受験の年と重なった。以後、冬はスキー場か太鼓の練習場かと家にいるのは寝に返るような生活だった。数年前から腰を痛めスキーのライセンスは休業中である。したがって今の子ども達は私がスキーインストラクターとは思っていないようである。太鼓の写真の間にインストラクター時代の写真が混じっていた。滑走写真はおそらくこの写真一枚だと思う。VTRは講習に応用していたので何本かあるが滑走写真となるとまるっきしない。私自身は写真を取ることがあったが私が被写体となることはめったに無かった。この写真は駒沢大学の教え子の生徒だと思う。その子は写真部で冬休みの間私にまつわり付いていた子である。本州の子だったと思う。
 指導員の資格を取った頃で技術戦にも挑戦していた頃のものだ。今はカービングスキーへと変わってしまった。カービングスキーのフォームはワイドスタンスの両スキーを開いたフォームであるが、この写真の頃は回らない2mの板を駆使していて両スキーを密着させたスキーフォームである。当時としてはほぼ理想的なパラレルターンのフォームだ。
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2007/2/4

望農  
 五周年記念曲にこの曲は大急ぎで作られた。3分あまりのこの曲は5周年記念発表会に初披露したが以後、お蔵入りとなった。何度か復刻しようとチャレンジしたが時期を失ってしまった。大きな振りを必要としそして音を出せるメンバーが揃わないとこの曲の復刻は難しい。少数の太鼓での出演等では戦力になる曲だと思う。2回目のキャンビー公演が現実となった時に大人のメンバーでの持ち曲に復活させたいものだ。時間をもう少し延ばした5分ぐらいの曲にすれば今後の栗沢太鼓の持ち曲として面白いだろう。クリックすると元のサイズで表示します
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