2007/3/30

この数日  
 昨日は、た○ま君の卒業・ひ○し君の合格祝でアベさんの仕事先の「ユンニの湯」でお世話になった。温泉に、しゃぶしゃぶに、カラオケと楽しい一夜だった。私の酌婦のひ○みちゃんが残業で出席できずにザンネン・・・。いい湯に、腹いっぱいくって、そして思いっきり歌って満足満足でした。いい合格・進学祝になりました。アベさんに感謝です。更にはアベさんがお鮨を差し入れしてくれ、そして更には場を盛り上げる芸もあって大活躍でした。ありがたかったです。去年「ハワイ公演」に一緒にいってみんなとは気心も知っていて、機会を見つけてみんなと合流したかったみたいです。その機会が出来てアベさんも嬉しかったようです。アベさんと私は、30年来の友人です。彼の素晴らしいことも弱点もみんな知っています。逆に私のこともよく知っています。楽しい人です。ありがとう。
 同じその日、私の母が竹○眼科で白内障の手術をしました。本来ならお世話になる人が昨日の出席者にいたのですが・・・。
 今日、朗報が届きました。富山の伯母が意識を取り戻したとのことでした。スーパーばあちゃんツヨシです。状況を見て、富山に見舞いに行こうと思っています。
 夕張の市役所の辞令交付の様子がTVで放送されていました。なんといっていいか複雑な心境です。私は民間でしたが工場閉鎖という憂き目を経験しました。立ち上げから係わった工場です。関連の(雪○ですけど)会社の不始末が原因で閉鎖となりました。体調不良をおして頑張ってきましたが意欲も失いました。更には家族の病人のことや太鼓のことなど・・・。(転勤もありました。)栄転を断っての失業でした。でも後悔はしていません。(きついですけどね・・・。)体調を回復して、また一花咲かせますよ・・・。気合を入れないと太鼓の子供達に軽蔑されますからね・・・。夕張太鼓の関係者も一緒にファイトだ!
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2007/3/27

Jr全国大会  
 先週の土・日に京都でジュニアコンクールがあった。「朋友」を負かした赤平は残念ながら入賞できなかった。参照:http://www.nippon-taiko.or.jp/ 道央支部の厚別本陣が特別賞を受賞した。北海道のチームが上位に食い込むのは大変のようだ。全国で通用する太鼓は何なのかから研究しないとむずかしいか・・・?。
 一番になることが我が太鼓チームの目標ではない。勉強や部活に支障が起こらない中で技術も上げていき、その先にジュニアコンクールがあればいい。太鼓を通じて様々な体験をし、チームワークや人を思いやる気持ちや或いは強い意思をもてるたくましい人になってほしい。それが「栗沢太鼓」の目標だ。しかし、栗沢太鼓のメンバーである以上プレーヤーとしてどこへだしても恥ずかしくないようになってほしいと思っている。
 そんなやり方でもいつか必ずチャンスが来ると思う。希望としてはそう遠くない将来に・・・。
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2007/3/25

伝書鳩舞い込む  
 車庫の戸を開けて中のごみを焼却炉で(ドラム缶ですけど)燃やしていて車庫に戻るとばたばたと鳥の羽ばたき音。よく見ると鳩が柱に止まっている。何時舞い込んだかは?。シャッターを開けて出て行く道を作ってやったが一向に行く気配なし。野鳥にやる餌があったので車の屋根においておくと舞い降りて食べている。よっぽど腹をすかしていたらしい。両足首には脚環がしてあり伝書鳩とわかる。大会の途中か?。夕方までシャッターを開けておくことにした。いつのまにかいなくなっていた。クリックすると元のサイズで表示します
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2007/3/24

岐路の農業祭  
 今までの「農業祭」は、誰かが準備してくれる、誰かがやってくれる。そんなイベントになっていた。私達の「大仮装盆踊り大会」のように、主管団体から働きかけより規模を大きく、より前向きに係わってきた団体は少ない。その活動意義は昨日開催された「今後の農業祭の意見交換会」に参加した各団体の意見からもよく理解される。
 「農業祭」は大きくコンセプトを変えなければ継続は厳しくなるだろう。その第一は「誰かがやってくれる。」という意識を「私達でやる。」という意識に変えれるかだ。「栗沢の地域から盆踊り」を消したくない。これは地域住民の統一した考えだと思う。そして私達は「大やぐらの上で太鼓を打ちたい。」そういう思いだろう。子供達が大汗をかいて、手に豆をいっぱいつくってただがむしゃらにバチを振り続ける。そういう大切なイベントをなくしたくは無い。
 ただ、今までとは全くイベントの体質が変わることは間違いない。やぐらの準備や後片付けや仮装の賞金の工面など・・・。全てを見直し自分達でやろうという意識を持っていけるかだ。
 あれが悪い、あれが駄目だとただ批判したりただ評論したりする頭の固い時代は終わった。今これからは、どうやって自分達がこの祭りにかかわりどうやって参加していくかを模索していく必要がある。そして「大仮装盆踊り大会」の継続だけを意識していても限界があるような気もする。新しい発想を持って「新たな盆踊り大会」を発案する必要があるだろう。太鼓メンバーが、そして地域住民が「絶対に継続してほしい」といい続けるような魅力がいっぱいの「盆踊り大会」を模索していこう。
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2007/3/22

飛翔!  
 メンバーの一人は高校を卒業し、一人は高校に、二人は中学へ、そして二人は小学校に入学、それぞれ新しい旅立ちだ。今の気持ちは不安と楽しみと夢と・・・複雑な心境だろう。他のみんなもそれぞれ進級する。
 子供達にはこの大きな変化に負けないで、この変化をきっかけとして大きく羽ばたいてほしい。苦しかったり、悩むこともあるだろう。そんな時は太鼓の練習に来ればいい。メンバーの顔を見、太鼓を打てばストレスだってどこかに行くだろう。
 新しい変化は今まで見たことのない顔と人間と出会う。新しい友人が出来たり、新しい先生や先輩達がそこにいる。或いは今までと違う勉強やスポーツにも出会うだろう。この変化を楽しんでほしい。変化を恐れず飛躍してほしい。
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2007/3/21

交通事故  
 昨日、香港に長期出張している従兄弟から携帯に電話が入った。母親が交通事故に遭い急遽、自宅の富山に帰省したという。意識不明の状態だと・・・。今年の連休には、私の親父の法事で北海道に来ることを楽しみにした。何とか意識を戻して元気になってもらいたいと祈る。
 父の弟の嫁、義伯母にあたる。去年も連休に父の一周忌に我家に10日ほど宿泊して晩酌に富山弁で付き合ってくれた。明るくてバイタリティーがあり原付で行動するスーパーばあちゃんである。その原付がアダとなった。心配をしていたのだが・・・。
 スーパーばあちゃんのことだから、ケロット元気になって好きな梅酒を飲んで富山弁で一緒に一杯飲みたいものだ。近々、富山県に行こうと思っている。その時には元気な富山弁を聞きたい・・・。
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2007/3/15

挑戦  
 昨年は、幌向太鼓と合併チームを組んでJrコンクールに挑戦した。残念ながら準優勝に終わった。栗沢と幌向を何度も往復しながらの練習で大変だったが、二つの太鼓チームが一つになりいい経験と感動を味わった。
 さあ今年は、栗沢太鼓単独でそしてフルの人数15名で参戦しよう。昨日の練習でみんなの考えを聞いた。みんなやる気満々だ。低学年の二・三人は自信なさそうだが結果を恐れず挑戦しよう。秋の大会には見違えるようなプレーヤーになってお父さんやお母さんや家族を驚かそう。高校3年生から小学2年生までとメンバー編成は幅広いけど栗沢太鼓もようやくフル15名で参加できるのはうれしい。低学年のメンバーを上のメンバーでサポートしていいチームを作ろう。そして感動しよう。
 Jrを卒業したメンバーには全力でバックアップしてほしい。君たちの経験と技術を後輩達に伝えてほしい。栗沢太鼓のメンバー全員が一丸になって挑戦しよう。
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2007/3/13

伝達者と指導者  
 スキー指導員のライセンスを取得するのは大変だった。合格すれば翌日には胸に指導員バッジを付けて一目置かれるのである。しかし、それはとんでもない話である。ライセンスを取れば一人前の指導者と思ったら大間違いなのである。本当の指導員になるには、それはそれは長い長い時間が必要なのである。いい経験と努力と研究と・・・そして人柄と尊重される人間性と・・・。何度も失敗し何度も反省しながら営まれていくのである。
 うちのチームには、いい指導者となりうる素質を持ったものが何人もいます。しかし、太鼓がうまいから指導者とは私は思っていません。まずは、人として当たり前のこと、人を思いやり人の気持ちが理解できる人間性豊かな人になってほしいと思います。そしてメンバーみんなから尊敬されるような人になってください。指導者の最低限の条件がここだと思います。
 若いみんなには、いろいろなアイデアや新しいリズムなど無限の創造性があります。それを生かしてくれるメンバーが、後輩達がそこにいるのです。いいプレーヤーとしてだけでなく、いい伝達者だけでなく、いい指導者を目指してほしいと思います。
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2007/3/11

先輩は貫禄をみせろ  
 私達は何のために太鼓をやっているのか?。「太鼓が好きだから」「面白いから」「やりがいがあるから」・・・。大半のメンバーはそう思って太鼓をしていると思う。部活やスポーツ少年団やそして私達のような文化活動などに飛び込んできたのは、興味を持ったり或いは兄弟がやっていたりなど何かのきっかけがあってその中の一つに取り組むことになったのだと思う。それは大切な出会いである。そんな出会いとなったメンバーには、「太鼓と出会えてよかった。」と思えてほしいと思う。
 4月から小学校に上がるメンバーがやってきた。聞いてみると決して自分から進んでとはいえなかったようだ。でもこれも大切な出会いである。この子達にも「太鼓に出会えてよかった。」となってほしい。今来ている二人は兄弟がいるのでぜんぜん物怖じせずにみんなの仲間に入っている。心配は無い。今年の太鼓シーズンを終える頃にはいっちょ前になっているだろう。早い時期に本番の機会を与えたい。
 一日でも早く始めればそれは芸事では先輩である。先輩は先輩の貫禄を後輩達に見せてほしいと思う。それは指導者ではない。伝達者だ。自分の持っているものを全て後輩者たちに伝達してほしい。追い越されるんではないかと心配することは無い。伝達者は後輩に負けるはずが無い。むしろ、更に上達が早くなる。それは先輩の貫禄を見せなけりゃならないからだ。
 時々来ては「評論家」になっている奴がいる。「評論家」は私のチームにいらない。「評論家」は先輩の貫禄ではない。私は指導者だと思っている奴は指導者ではない。「評論家」だ。太鼓に指導者はいらない。いいリーダーといい伝達者の先輩がいることが大切だ。「評論家」はよその太鼓を評価すればいい。いい伝達者になろう。
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2007/3/8

勘違いか?  
 大締太鼓を制作した時、太鼓にかける幕も一緒に制作することになった。題字を元教育長の秋○氏にお願いすることになった。前会長が秋○宅を訪ねお願いし出来たからと練習場に半紙に書かれた題字を持ってきた。半紙一枚に一文字づつ書かれた文字を見て思わず絶句してしまった。「春夏秋冬」の文字が無くて「東西南北」の文字が中にあったからである。マージャンでもやっていたのか?とみんな大笑いとなる。でもそのまま幕屋さんに渡さなくて良かった。
 前会長の勘違いか?はたまた元教育長の勘違いかは今だ解らない。
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2007/3/7

シンスケが・・・  
 何年位たつだろうか。萩の山スキー場で講習をしていた。昼食をロッジでとった後、連盟事務所に戻る途中であごの長い男が男二人を引き連れ、よぼよぼとリフトに乗っていった。どこかで見た野郎だなあと思いながら注視していた。どう見ても「島田伸介」だ。リフトから降りて、付き人らしき男達とごそごそと話をしているが一向に滑る様子がない。何でこんなところにいるのかも?であった。
 札幌国際スキー場では「あのねのね」の原田と対面する。愛想の悪い奴だった。目の大きなアイドルもいたがあの子の名前は解らなかった。しかしでかい目だった。
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2007/3/4

記憶の出演2  
 開基90周年での初めての太鼓出演は緊張に緊張であった。開基百年もそうであった。いろいろな祭りやイベントに出演してきたが私の記憶の中での大きさはこの二つの出演とキャンビーでの「アッカーマン中学校」での出演である。
 キャンビーでの第一音は私が出すと決めていた。1,200名の生徒の前での第一音だった。VTRを見ると落ち着きのない私がいた。自分自身ではあんなに冷静にと思っていたが、いかんせん視線の定まっていない私であった。チャレンジの子供達を指名する様も道化師の動きであった。でもそれが良かったのかここでの公演は大成功だった。「ナンシー」がまたキャンビーにこいと言うのはここでの印象が深かったからだと私は思っている。キュンビーには幾つもの学校がある。前回の一校でなくて何校かであのような機会を持ちたいものである。
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キャンビーの地方紙「キャンビー・ヘラルド」の第一面に載った記事である。参照:http://www.geocities.jp/kurisawataiko/report.html
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