2007/9/30

皆で盛り上げよう  
 タイヤの練習台は効果が出そうだ。不足が生じたらすぐに大量生産が出来る。スタンドから廃タイヤをもらい、資材代も数千円ですむ。これで太鼓と同じ練習となるなら幾らでも作れるが、本番にはさすがに使えないだろう。我慢して太鼓同様に大事に使ってほしい。
 今日の練習でJrコンクールに少し明るい材料が見えてきた。コンクールに出れない子も一緒になって練習して皆で挑戦したい。『栗沢太鼓』の本当のすごさで観衆を沸かせたい。結果は審査員に委ねよう。
 低学年に先輩達が一生懸命指導してしてくれることをうれしく思う。教えられて学び、教えて学んでいく。自分のライバルを自分で作っていく。それは必ず自分の力となって戻ってくる。どうやって教えるかを自分で学び、自分で自分の力を養うこととなる。奮闘してほしい。
 教えてもらっている低学年たちも、後輩が出来たらきっと同じ行動をしてくれると思う。皆で力をあわせて、皆で『栗沢太鼓』を盛り上げていきたい。
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2007/9/29

タイヤで変身だ  
 一生懸命、太鼓を打っても観衆に受け入れられないのでは、辛い練習をする意味がない。せっかく苦労して練習するならばそれなりの成果がほしい。見ていた人に、一言の言葉『良かったよ』『すごかったよ』をもらうことが一番うれしい言葉だ。内心ニンマりとする。しかし皆にはそういう姿を見せないようにしている。さらに・・・という気持ちを持ち続けたいと思っているからだ。一度見た人は前回見たときの印象と比べて見る。そして「上手くなったな」或いは「前回の方が・・」と遠慮の無い感想を持つ。この感想を絶えず『上手くなったな』にしていきたい。これは大変なことだが、今のメンバーはみんなそうなっている。頼もしく思う。また次の手を考えなければと意欲も増す。
 元気印の一年生男子が5人もいることは将来が楽しみである。「うるさい」ぐらいの練習が活気をもった太鼓になっていくだろう。互いに競い合い、予想する以上に上達していくだろう。先輩達を脅かしてほしいものだ。人が増える度に太鼓が足りなっていく。申し訳ないがそこはアイデアを生かして、合理的な練習を考えていこう。いい太鼓で練習してほしいが、そう簡単に買える代物でもない。代用のタイヤもいい太鼓に変身する。それもいい練習道具だ。代用品で頑張って、本番ではいい太鼓を思う存分打ってほしい。弘法、筆を選ばず。上手い打ち手、タイヤを好む?(ちょっと違うか)
 市〇を、うらみたいね・・。
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2007/9/28

プレーヤーであり指導者であれ  
 師範(見本を見せること)することは、大切な指導要素となる。それを出来ることは大きな指導者の武器である。どんなに理論が優秀でも師範が出来ないのでは大きなデメリットとなる。理論に基づいた実践が出来る指導者は大切な存在である。「うまいな」と評価された者は、どうした時に評価されたのかを身体で記憶していくことが大切だ。その記憶を何時でも再現する。その繰り返しが身体に記憶として取り入れられる。そして初めて物になる。意識して出来うる技術は、本物の技術である。
 ある程度のベテランになるとなかなか自分の技術をコーチィングしてもらえるチャンスがなくなってくる。指導する機会は多くなるが自分が指導を受けない立場になってしまう。だからといって技術が上がらないというのは嘘である。指導することは自分の技術をさらけ出すこととなる。自信が無いと、教えることに自信が無くなる。自信が持てるように自分で努力するしかない。それが自分の技術を上げていくことになる。考える技術となる。それが出来ない者は本物の指導者とはなれない。
 前回の練習から、マンツウマンの練習を取り入れた。たえず受身の身ではうすっぺらな打ち手になってしまう。どうして教えようか、どうしたら覚えてくれるだろうかと考えることが大切だ。それは自分の勉強でもある。そして仲間意識を持つことにもなる。何年ヶ後いや何ヶ月後には同じチームのチームメートにもなるからだ。
 時には生徒であり、時には先生となって全員が栗沢太鼓のメンバーとなってほしい。そして全員が指導者となってほしいと思う。
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2007/9/27

みんなで・・・  
 ただ太鼓を楽しめばいい、苦労しないで参加さえ出来ればいい。それでは楽しさとはいえないのではないだろうか。人は進歩して誉められ・認められて本当の楽しさを味わえるはずだ。自分の満足感が得られるはずだ。苦労や我慢をすればするほどその達成感は大きいはずだ。どんなに優れた才能を持っていてもいきなりウェーデン(小回りターン)はできない。技術の進歩はゆっくりゆっくり積み重なっていく。そして目標の技術に到達する。止めてしまった時、あきらめてしまった時に技術の進歩は終わってしまう。せっかくここまできたという時にあきらめてしまう事は、それまでの努力と時間を全て投げ出してしまうことだ。積み重なったその先には、目標としていた技術を得た自分が必ずいる。その時の満足感や達成感は言葉ではいえないだろう。
 これまでに何人もの子供達と付き合ってきた。センスのいい子悪い子がいたが、結局勝ち組は止めないで続けてきた子だった。なかなか覚えれなかったり、運動恩地も、続けていた子は立派な太鼓を打つ子になった。そんな子ほどその時の満足感は大きかったろうと思う。「うちの子は物覚えが悪い、手をかけて申し訳ない。」といわれた子がいた。親はそんなことに遠慮しないで、子供に「頑張ってやれ」「あきらめるな」と励ましてほしい。すごい太鼓になるのは目標だ。だが選ばれた人間だけで作ろうとは思わない。太鼓が好きで門を叩いてきたみんなで『栗沢太鼓』を続けていく・・・。
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2007/9/26

パフォーマンス  
 打つ理論だけで太鼓は表現できるものではない。もちろん音楽であり文化であり、そしてパフォーマンスである。このパフォーマンスという考えでいけば、見てくれている人に感動を与えればどんな打ち方だろうとどんな表現だろうと構わないことになってしまう。それはそうである。
 しかし、組織立てて人を育てることは野放しの技術とも行かない。その組織その組織ごとのパフォーマンスにあった決まりごとが必要になる。曲や打ち方・編成などその組織にはその組織の太鼓がある。そういう各組織の違いがあるから各太鼓チームは成り立ち共存していくことになる。互いにコピーしあっては太鼓の楽しさは無くなってしまう。競演をしなくてもいい事になってしまう。
 決められた基本を学び習得しても必ず個人の個性が出てくる。人には生まれながらの個性を必ず持っている。更にその個性を生かせる振りや演出を盛り込めば立派なパフォーマンスとなる。そして、その人特有の個性は更に存分に伸ばしてやりたいものである。それはその人特有のパフォーマンスとなる。しかし、基本に則らない個性作りは止めた方がいい。どの部分をとっても中途半端なものになると推測する。基本のリズム・基本の打ち方を必ずマスターして、そして個性作り、パフォーマンス作りに向かってほしい。土台の出来たパフォーマンスは成功する。
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2007/9/25

理想の打ち方  
 筋肉には伸ばす力と縮める力がある。自転車のペダルを漕ぐ足と引き戻す足が同時に運動している。太鼓も振り下ろす手と引き戻す手が同時に行われる。。バチを振り下ろす力は伸ばす力であり、バチを引き戻す力は縮める力だ。体軸が崩れている場合この運動はうまくいかない。
 太鼓を打つ運動は、ただの上下或いは前後の運動よりも回転を利用した回転運動にしたほうがよりパワーが生れる。そして回転運動はより大きな回転弧にした方がパワーが増大する。慣性モーメントという理論では、距離の2乗でパワーが増大する。そして前後・上下の運動とも合わせて行うと更にパワーはバチから太鼓へと伝わる。回転弧を取る中心点は、手首・肘・肩・腰・そして足首にもっていくことが出来る。
 体軸を安定させ長い距離の回転運動と前後或いは上下の運動を連動させることは最もパワーを太鼓に伝えることになる。
 更に忘れてならない技術がある。野球のピッチャーの投球フォームを分析すると蹴り出した足から後ろ足を支点にして体軸は前方に移動する。腕を後方の高い位置に持っていく。そして肘から前方に出だし肘を中心に回転運動を起こし、手首のスナップを加えて投げ出される。この肘が先に出だしてから・・・。のこの部分の使い方を太鼓に応用することが更にパワーとスピードのある振りとなる。丁度、鞭のようなしなった腕の使い方である。
 結局は、よりパワーを太鼓に伝える方法は、体軸を安定させ上下或いは前後運動をしながら足首を中心にし、回転弧の大きな回転運動で腕を鞭のように使って打ち込むこととなる。
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2007/9/24

理論を目標に  
 短い釘を打つとき、小さな金づちを使う。そして手首だけを使って打ちつける。少し長い釘を打つ、金づちも少し大きいものを使う。今度は肘から曲げて振り下ろす。長い釘を打ちつける。更に大きな金づちが必要になる。振り下ろすのも肩から大きく振り下ろす。大きな杭を打ちつける。大ハンマーで打ちつける。それも身体全体を使い大きく振り上げ全体重を乗せるように打ちつける。
 太鼓の違いによっても使うバチや打ち方も変わらなければならないはずだ。小締太鼓に大締太鼓で使うバチを使ったらたまったものではない。大きな音は出るかもしれないが太鼓を壊してしまうことになる。そして小締太鼓に求めるのは繊細な音のはずである。逆に大締太鼓に細いバチでは太鼓に負けてしまう。用具によって用具を選ぶのは当然のことである。
 平置きに於かれた太鼓と斜めに於かれた太鼓、横置きに於かれた太鼓或いは座り太鼓等その設置された方法によっても技術は変わってくる。太鼓の皮の面に対して垂直な方向から力が加わるのが理想である。だとしたら、平置きに於かれた太鼓は、真上に近い方向から振り下ろされるべきである。身体の使い方は上下動の体重移動となる。斜め台はどうだろうか。斜め方向からの力になる。上下動というより斜め前方への体重移動となる。横置きの太鼓は当然前後の体重移動となる。
 理論ではないかという人がいるかもしれない。しかし、我チームはこの理論の元で指導している。結果はどうだろうか。求めている目標の『美しいフォーム』に近づいてはいまいか。しかし、まだ完成には時間がかかりそうだが・・・。
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2007/9/24

体軸2  
 体軸と重心は全く別物である。重心は人が立っているときに安定している位置であり点である。体軸は線である。スキーの体軸はプルークでは両足の間にあるが、パラレルでは回転弧の内側となり、左右のターンの中で体軸の入れ換えが行われる。この体軸の入れ換えはターンを仕上げるのに重要になり、なめらかな重心の移動は難度の高い技術となる。その点太鼓の演奏技術には、スキーの様な体軸の入れ換えということは無い。あくまでも両足内にあり体軸を安定させる技術は難解ではない。ちょっとした頑張りとコーチングを受ければ誰にでも習得できる。あとは本人の努力となる。
 体軸を安定させる為に邪魔になるものがある。それはひねり動作と腰を折ってしまう動作である。初心者はひねり動作と腰折れ動作を無意識に行うことが多い。それは生活の中での運動であったり普段使わない筋力があるということである。ある程度の段階を見て、意識してこの操作を無くさせる必要がある。しかし、最初からそれを意識させると本人の意欲を無くさせてしまうこととなる。特に低学年は体力も筋力も集中力も無い。状況を見ながらゆっくりとステップアップすることを進めたい。
 体軸を安定できる運動が出来ることは、技術を数段にアップしたといっていい。それによって太鼓を打つことに必要な運動が出来る。それは必要な筋力や柔軟性も練習によって生れてくることになり、更に技術はアップしていく。より早く、より簡素に上達して行く為には大切な基本ということになる。
 体力や柔軟性は練習によって独りでについていくが、無駄な練習や指導技術が上達を遅らせては何の意味も無い。部活動のように毎日練習しているわけではない。週2日の練習でより大きな成果を得ることは指導者として大切だと感じている。
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2007/9/22

体軸  
 『体軸』という言葉がスポーツの中でよく取り上げられる。安定した『体軸』は美しいフォーム作りには欠かせない要素である。『体軸』が安定しない動きは、視線が定まらず運動が不規則となり打点も安定しない。打ち手の顔を見ると、絶えず動き回って安定した位置に顔が無い。結局、安定していない打ち手は絶えず視界が動いて見えるはずである。
 では安定している『体軸』とは?ということになる。端的にいえば、顔の位置が絶えず同じ位置にある状態にすれば安定される。その位置とは、顔の位置が腰の上にある状態で、脊椎が垂直に立っている状態が一番安定されているということになる。その為には下肢が大切になってくる。『体軸』を安定させることは、強靭な下半身が必要になってくることになる。股関節を柔軟に動かしながら『体軸』を安定させる意識を持った練習が必要である。
 『体軸』が安定された太鼓の振りや動きは、見ている人に安心感を与える。そして大きな手や腕を伸ばした振りはシャープにダイナミックになっていく。そして動きも上下・左右・前後にとどの方向にでも柔軟に対応出来ることになる。
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2007/9/21

美しいフォーム  
 太鼓の皮にいかにパワーを伝えるか。バチの先に伝わるパワーには様々な要因が加わる。筋力・重力・遠心力・スピード・・・。それらのパワーを無駄なくバチから太鼓の皮に伝えれば太鼓の音は大きく響くことになる。それらの様々な要因を無駄なく伝える技術があるはずだ。
 様々なスポーツを見たときに、そのスポーツにはそのスポーツのフォームがある。無駄の無い理想のフォームは、どのスポーツでも美しく見える。そんなスポーツの運動力学から太鼓フォームを作ることは、自分の持っている筋力・体重・より速いスピードを無駄なく伝えるフォームとなり美しさと機能性のある太鼓となるはずだ。
 逆に考えるならば、無駄な動きや不必要な運動は無くしていく事になる。よりシンプルに、必要とする運動が出来るフォームの太鼓となっていく事になる。それを突き詰めることは、ダイナミックな美しいフォームの太鼓が必ず生れてくる。それは太鼓本来の本質と必ずなっていく。
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2007/9/20

夕〇での出演  
 夕〇市が破綻する前は、夕〇へ出かける機会が多かった。先生の出身太鼓でもあり、栗沢太鼓のルーツでもあるからだ。太鼓歴でも北海道の草分け的存在でもある。Jrコンクールでは『夕〇太鼓』が最大の障壁でもある。栗沢太鼓の各周年事業にも花を添えてくれた。最大の目標でも有り、ライバルでもある。
 久しぶりに夕〇に出かけることになる。夕〇を支援しようと様々なイベントが目白押しで行われている。昨年から夕〇はメディアの絶好の標的となった。それを利用しようという企業や組織や様々なやからが夕〇を応援するといって様々な企画を夕〇で行っている。今回も、中止予定のイベントを企業の支援で開催されるという。どういう形で開催されても、仲間からの支援要請には答えたい。
 北海道太鼓連合でも、夕〇で応援演奏会をという企画がある。春に行われた道西支部の会議の中で、夕〇の地元の要望の中での開催ならいいが、こちらからの押し付けでは名声を売るだけになってしまわないかと発言した。出来るならお祭などの支援が一番いいのではないかと考えてはいた。今回、そのような中での出演機会を得てうれしくおもう。『夕〇太鼓』を脅かすような太鼓を打って夕〇を応援しよう。それが太鼓の仲間として心のこもった応援だとおもう。雲の上の存在だった『夕〇太鼓』は、今は私たちの大きなライバルである。お互いに意識しあって技を上げていきたいと思う。
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2007/9/19

顔  
 演奏を見る観衆は、どこに目が行っているだろうか。一番最初に目に付くのは動きである。特に早く切れ味のある動きには釘付けとなる。その動きの次にみんなの顔に目が行くものである。その顔が、自信が無く目線が定まっていなかったら太鼓の魅力は半減される。どんなに上手でも、顔の表情が自信なさそうだったら見てくれる人を圧倒することは出来ない。だからといって、鬼のような顔をして打てばいいというものではない。力だけの太鼓に魅力がないように、人を脅かすような顔では魅力とは感じない。
 「いい顔をして太鼓を打ってるね。」そういう言葉をもらえる顔になってほしい。それにはどうしたらいいのだろうか。しっかり練習し、様々な経験をして、自分の太鼓に自信を持ち、楽しい太鼓を打てばいい。人に拍手してもらおう、歓声をもらおうと力んでしまったら表情は硬くなり魅力はなくなってしまう。平常心で、みんなを信頼し自分の太鼓を信じて集中して打てばいい。緊張するのは当たり前で、おもいっきり緊張して緊張して打てばいい。しっかり目を開き会場を見て人の顔を見て打てばいい。・・・
きっとその中から、『いい顔』が生れる。『魅力的な顔』が作られる。その顔が作られたらまた一歩、大きな一歩が踏まれるだろう。その一歩を早く踏み出してほしいと願っている。
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2007/9/18

楽しいことが原点  
 楽しい事があるところには人は集まってくる。そこには笑顔であふれた人達の集まりがある。楽しみがあるから苦しい練習も耐えれるし意欲も生れる。そういう太鼓チームが私の目標である。
 スキーに夢中の頃、スキー場のリフトが動き出してからリフトが終わるまでスキーを滑り続けたことがあった。。それは何の苦痛とも感じることはなかった。ただ夢中に技術を上げることに没頭した。それは楽しいことだった。仕事もそうだった。夢中になるものを持っていることは楽しいことなのである。
 自分の技術を上げて、たくさんの拍手や喝采をもらう。「うまいな」「すごいな」と言ってもらえる。また、練習に夢中になる。そしてまた、喝采を受ける。それは言葉ではいえない魅力となってくる。意欲を持つことは、楽しいことなのだ。原点の楽しい事を決して忘れないことが必要だ。
 大仮装盆踊り大会を行う。あの大やぐらで太鼓を打ちたい。それはすごい魅力であり目標となる。海外公演をする。それはものすごい魅力である。そしてものすごい楽しみでもある。しかし、その為の準備も練習も必要となる。それをクリアする為の努力をする。そんな努力は何の苦痛ともならない。逆に楽しみの方が大きい。ジュニア・コンクールもそうだと思う。大きな目標を持ち大きな夢を持つ、楽しい活動の原点はそこにあるはずだ。それが、みんなの魅力あふれる太鼓へとつながっていく・・・。その為の手助けは惜しまない。
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2007/9/16

今年一の出来  
 百餅まつり路上演奏は、前日の雨とはうって変わり好天の中での演奏会となった。7分に短縮された『雄飛』は、お兄ちゃん方3人の斜め台コラボが加わり斬新に生まれ変わった。春からの宿題がやっとこの秋で日の目を見た。
 お姉さん方のみごとな個人技から始まったソロは低学年のAチームに移る。まだ力不足ではあるが彼らの将来はこれからだ。そしてBチームの切れ味のある動きの太鼓へ、女の子4人の小締太鼓は見事に揃っていた。大人3人の斜め太鼓は迫力満点である。掛け合いのある太鼓は見事だった。そしてセンターが飛び出してくる。二人の幾つもの太鼓や鐘を使ったデュエットは観衆を魅了した。それぞれの持ち味を存分に出した今年一番の『雄飛』だった。打ち終わった後の、拍手喝さいが物語っている。
 残念だったのが、隼斗と允陽である。最後の『山彦』に初出演予定が、時間が無くてキャンセルとなった。本人達はやる気満々だった。残念である。次回が待ち遠しい。それぞれに今までの練習の成果が出てきたようである。
 『雄飛』という曲は、いくらでもアイデアが組み込ませれる可能性のある曲である。進化し続ける曲を持っている私達は幸せと思ってほしい。そして更に自分の可能性を引き出していってほしい。
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2007/9/15

今年最後の祭り  
 明日は岩見沢百餅祭りの岩見沢和鼓連での出演だ。10チームが4条通りで演奏する。合併して早2年目となり、岩見沢市の仲間として認識しだしてきている。存在感のある太鼓を打ってほしいと思う。この百餅祭りが終わると今年の太鼓シーズンも終わり、いよいよJrコンクールに向かっての練習に専念することになる。
 今日の練習で、課題も幾つか見つかった。2ヶ月の間でどれだけ解消できるかわからないが、挫折しないで頑張ってほしい。先輩も参加できないメンバーも、みんな一つになって取り込んでほしいと思う。結果に期待するのでなく、目標に向かって挑戦する気持ちと練習が大切である。この挑戦はみんなが大いに飛躍するチャンスである。悠久に響く太鼓をみんなの力で打ってほしい。
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