2007/10/31

原点は・・・  
 メンバー達に目標が何なのか・課題が何なのかをはっきり意識してもらうことが大切である。今の練習がどんな効果が得られ、それがどういう結果に結びついていくかがメンバー達に理解されると練習効率は大きく変わる。目標の上手なプレーヤーが模範を見せても、それがどうしてこういうプレーが出来るかを理解してもらわなかったら何の意味も無い。こういう運動でこういう身体の使い方をするからこういうプレーが出来る。その為の師範や模範のプレーとなる。
 「リズムを崩すな。」「力いっぱい打て。」式の練習は、もう時代遅れである。リズムを安定させる為にはどうした練習がいいのか、どういう方法があるのか。音を出す為にはどんな打ち方がいいのか、どんな練習がいいのかを模索していくことが大切となる。ただ練習しろ、曲を打てでは一歩二歩の前進はあっても十歩・百歩の前進は望めない。
 練習方法には様々な方法ややり方がある。いつも同じ練習では、飽きてしまいモチベーションも下がってしまう。その時期・時期で目標や方法を変えることは新しい意欲をも生れてくる。時には様々なスポーツの練習方法をアレンジして行うのも面白い。違った反応や新しい魅力も発見することがある。意外性はそんなところから生れてくる。常識の練習の中では、普段考えれない意外性は生れない。
 練習は一番大切なものである。その練習が充実し有意義でありそして楽しければ、どんな本番でも乗り越えれるだろう。原点はそこにある。
 

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2007/10/29

柔軟な運動  
 海外で日本人アスリートが大活躍している。レッドソックスが4連勝でWシリーズ制覇、大活躍した岡島が一発打たれたのが残念でならない。いや、来シーズンのことを考えたら気が引き締まっていいのかもしれない。フィギアでは高橋が優勝、安藤は残念ながら2位だったが彼女のプログラムは完成度を増したら今シーズンは上位は確実になるだろう。硬さが目立った彼女の運動が、柔軟な運動を目指し表現力をアップさそうとしていることがよく解る。ただステップで転倒したように足首の硬さは去年そのままなのが気になった。足首の柔軟性が出てこない限り、トリノの荒川の様な滑りにはなっていかないだろう。下半身の特に足首の強化が彼女の課題だ。
 センスがあるとよく言う。センスとは何なのか。ある運動をする。その運動が普通に点で運動するのでなく線や面や、さらには一瞬の中でジワーッと柔軟に出来る能力を持っていることだと思う。たとえばフィギアのスケーターがエッジングする時、氷をとらえるエッジが足の裏全体の点でとらえるのか、その一瞬の中で指先からかがとへと柔らかく捕らえる能力を持っているかである。バッターが打つ瞬間にくるボールを点で打つのか、バットに乗せて運べるのかのようなものかもしれない。
 だが決してこのセンスは養えないものとは思はない。だが元々そういう能力を備わっている者がいて、同じスタートを切ったらそういう能力を持っている者には最初からハンディを持って立ち向かうことになる。ただ強い運動・筋力でなく柔軟な運動・筋力を養うことがアスリートの必須条件となる。太鼓も同じである。柔軟で強い筋力を持ったプレーヤーは美しいフォームと美しい音を奏でるだろう。
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2007/10/28

戦う顔に・・・  
 松坂が好投した。日本時代やWBCの投球を考えたらまだ物足りないが来シーズンは大エースになっていると期待したい。
 さて我チームだが、まだまだメンバー達のテンションは上がってきていない。これから徐々に戦闘モードにもって行かなければならない。しかし、余りにも意識しすぎると低学年達が怖気づいてしまうことになる。その辺のさじ加減が大切になるだろう。本番でいい緊張感を持ち、自信を持って打てるような状況に仕上げたいものである。
 昨日の練習で、少し楽しみが見えてきた。低学年も徐々にリズムをマスターしはじめた。完全マスターもそうかから無いだろう。その後の仕上げが勝敗の大きなポイントになるかもしれない。切れ味のある素早い動きができるかが課題だ。その動きが完璧に出来たらかなりの上位に食い込めるだろう。それはきつい練習になるかもしれない。後はメンバーの気持ちしだいだ。挑戦するのは子供達だ。
 初入幕の力士が大横綱を破ることもありうる。正面きって戦っては負けるならば奇襲もあり、ゲリラ戦もある。戦うということは頭を活かすことだろう。審査員にインパクトを与える方法を模索したいものである。
 戦う顔にメンバー達が変わるのはいつになるのか・・・。
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2007/10/27

自由な発想の太鼓界で・・  
 アメリカではWシリーズが始まり岡島が好投している。3戦目の松坂が目の覚めるような投球を見せてほしい。日本では明日から日本シリーズである。ファイターズのV2に期待したい。陸別ではWRCが開催された。栗沢太鼓では来春卒業する2名の就職が内定した。残りの期間を思う存分に太鼓を打ってほしい。
 ス〇ーの指導員ライセンスを返却するか迷っている。身体の不調で何年も活動をしていない。今後も復帰できる目どが立たない。それよりも意欲が無くなったというのが本音かもしれない。今月中に結論を出すことにするだろう。苦労して取得したものだが今のス〇ー界に全く魅力が無くなったというのが身体以上の本心である。
 日本太鼓連盟もそんなス〇ー界の様な、頭でっかちで融通が利かず利権が絡んだようなものになってほしくないものである。いや、確実にその方向に向かっていっているような気がしている。
 太鼓界にはそんな不自由な考えでなくて、自由な発想と伸び伸びとした太鼓を打てる環境になるようなそんな世界であってほしいと思う。規制や利権など大人の醜さをこれからの子供達に見せたくは無い。太鼓芸能の本質になるような組織作りをしてほしいと思う。ス〇ー界と同じ方法で進んでいくならば組織を離れることも考える必要があるだろう。全国大会だけが太鼓の目標ではない。太鼓には様々な可能性がある。全てが一つになる組織とは決してならないだろうと思う。スポーツの世界とは全く意にするもだと思うからだ。 
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2007/10/26

理にかなったカラー  
 運動という理論で太鼓を打つことは、得てして単調になるととらえるかも知れない。大げさな動きは無くなり打つ為の技術が主力となるからと考えるだろう。しかし、実際は違う。運動は、単なる動きではなくて理にかなった筋力の使い方である。筋力を使った運動は、無駄な動きを無くし必要な運動だけを効率よく使うことが目標となる。そしてそれは美しいフォームを作り出してくれる。それはどんなスポーツにも言えている。優れたプレーヤーは美しいフォームを持っている。
 ここまでは簡単に言葉ではいえる。だが、必要な運動とはどういうものなのか。或いはその運動はどうやって行うのかが本質となる。世界を目指すアスリートはその最前線だ。いかに早く或いは遠くに、その必要な運動はどういう運動なのか、そしてそれに適した筋力はどの筋力なのかとなってくる。
 その点、太鼓は違う。太鼓は文化であり芸能であるからだ。夕〇太鼓のフォームと我チームのフォームは全くといっていいほど違う。当然、運動も違い使う筋肉も違ってくる。どちらが正しいとか間違っているとかではなく、夕〇太鼓はそのフォームにあった練習をしてきて始めてあの太鼓が打てることになる。そして当然、我チームは我チームのフォームの練習をしていることになる。
 栗沢太鼓にはその大きな歴史は無い。しかし、夕〇太鼓ゆかりの師に持つ太鼓チームとしては、師の考えるダイナミックで迫力のある太鼓が目標である。そしてその目標に独自のカラーが必要になってくる。
 理にかなった運動に基づいた独自のカラーが目標となる。それは美しくダイナミックな太鼓になるだろう。目標は高く・・・

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2007/10/25

才能を光らせよう  
 自分で思う自分の能力ほどあてにならないものは無い。自分でこれは絶対に自信があると思っていたことが、現実となって恥をかくことが何度あったことか。逆に私などと思っていたことが、以外なことになったりする。自分で自分を評価することは難しい。
 自分の趣味で滑っていた自己流のスキーだったが、いざスキー界に入ってみると自分のレベルが意外に高かったことに驚いた。自分では全然自信など無かった。心細い気持ちでスキー界の門を潜ったが以外に楽な入門だった。全ての試験は一発での合格だった。鼻高だった時代である。しかし、それからである。上には上があるということを充分にいや、嫌なぐらいにわかりきることになった。井の蛙大海を知らずである。
 ショックと自分の能力の不甲斐無さを感じたものだった。だが、一人の指導者と巡り合う事になる。東京帰りの人で、その時の印象は決して上手い滑りをしてはいなかった。だが、1年をすぎる頃から彼の滑りは激変する。過去の名前を持った彼は、一年の歳月で現役へと蘇っていた。それから彼の勉強会が開催されていった。私の普段の滑りを見ていた彼はその勉強会に誘ってきた。いつの間にかその彼の勉強会に参加していた。
 参加して一番驚いたのはその講習方法だった。ターンの部分部分からの練習だった。それは技術を分解し、そしてそれを組み立てていく方法だった。その講習方法・やり方を彼から学んだ。その後私の生徒への練習方法は変わっていった。
 上手いスキーヤーがいる。そのスキーはどんな運動でどんなフォームで滑走しているかを分解して理解するのである。そして分解して練習していくのである。そしてその分解した運動を組み立て、そして理論立てていくのである。もちろん、私の滑りは一変した。
 その方法は、栗沢太鼓の練習に応用している。才能はある。しかしその才能を生かす方法が解らなかったら才能は光らないだろう。指導者とは生徒に対して大変な存在となるということだ。才能を生かすのも殺すのも指導者の方法次第・考え次第である。指導者こそ生徒以上の努力が必要だろう。
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2007/10/23

秋深し・・・  
 日本シリーズにWシリーズ、野球の話題で週末から楽しみである。阿〇さんのところに用事があって寄ったら、新しい携帯を見せられた。ワンセグ画面が美しい。ファイターズの優勝記念でヤマダ電機で1円だったと聞いて俄然ほしくなった。ファイターズの優勝を祈る。南無阿弥陀仏、アーメン、・・・・。安売りの情報がありましたら教えてください。
 寒さを増しだしたこの頃、太鼓の目標がやけに出来てしまった。ジュアコンクール、和鼓連の演奏会での『朋友』の復活、ジュニア選抜の演奏、そして自チームの演奏と練習も忙しくなりそうである。昨年の合同チームの立ち上げが大変だったことを思い出す。それを考えたら大したこと無いかである。智〇のいい思い出をいっぱい作ってやりたい。
 20周年を終えてから何人もの卒業生達が栗沢太鼓を去っていった。しかし、去った人あればくる人ありである。世代交代を絶えずしながら我チームは進化をし続けている。去ることは寂しいが、羽ばたいて巣立っていくことは素晴らしいことだ。去るものが輝いていってくれることを期待したい。そして、また栗沢太鼓に戻ってきてほしいと思う。今の一年生達も、2〜3年後には立派な打ち手になる。その後もまたやってくるだろう。歴史は繰り返していくだ。後は、私がいつまでやれるかの問題か・・・。いや、いい指導者がその後を繋いで行くかもしれない。それは何も解らない。ただ、強制だけは決してしない。今までのように・・・。
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2007/10/22

和鼓連の会議  
 今晩、岩見沢和鼓連の会議があった。議題は和鼓連演奏会(12月2日)でジュニアのいる6チームのジュニア代表者が集まって演奏する機会を作ってほしいという要望だった。要望したのは『童太鼓』の中学生である。意見の集約ができ各チーム2名のジュア代表が集まり、各ソロ打ちを行うことになった。うちの曲の『雄飛』みたいな感じである。11月5日(月)にジュニア代表者が集まり打ち合わせを行う。次の練習で2名の代表者を決める。合同の練習は、以後コンクールが終わった後になる。
 丁度、幌向の練習が行われており『朋友』メンバーと再会。同じ和鼓連演奏会で『空知の大地』を演奏する旨を伝える。皆、忘れていそうである。萌〇の抜けたセンターは〇樹にやってもらおうかと思っている。2〜3回の練習は必要か? 
 また合同の練習が始まる。皆の進化を確認したい。
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2007/10/21

奈井江温泉演奏会  
 空知太鼓連盟の演奏会が奈井江温泉で開催された。あいにくの雨で屋内の体育館で開催されたが、体育館内も肌寒く打ち終わったみんなは控え室の温泉内に移動し昼食後温泉に浸かった。河〇さんと私は久しぶりに車の運転が無くておいしい〇ー〇をいただいた。お陰で撮影もおろそかとなってしまいました。反省しています。たまにいいでしょう・・・。麻〇が団体代表者をしっかりやってくれていたので安心感もありました。
 我チームは4チーム目に『雄飛』を演奏しました。一〇がソロを始めての一人演奏。衣装も大人の衣装を着用。気合充分でした。この体育館は下が土間の体育館でシートを引かれた上での演奏で、そのシートが安定せず修〇は足を上げるたびにシートを持ち上げていました。允〇が団体演奏の『山彦』に実践デビューしました。しっかりやっていたようです。
 寒かったので風邪などひいていないか心配です。これからジュニアコンクールの練習が続きますので体調に私も皆も気をつけたいものです。
 
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2007/10/20

皆の頑張りを信じたい  
 明日は奈井江温泉での空知太鼓連盟の演奏会である。メンバーの都合のいい11名で演奏する。部活や仕事に試験などそれぞれに用事がある中でも、メンバー編成が出来るようになったのはチームが熟成されている証拠でもある。そして一年生の中の二人が合同曲に参加する。メンバーが変わっても栗沢太鼓の名前は変わらない。栗沢太鼓の名に恥じない演奏をしてほしい。この演奏会が終わったら、本格的にジュニアコンクールに集中したいと思う。
 目標は去年の『朋友』チームだ。このチームを追い越さなければ優勝なぞ望めない。どこまで近づき追い越していけるかだ。平均年齢も昨年よりも下だし人数も2名減である。ハンディはあるが昨年とは違い同じチームの気の知れたメンバーの構成だ。その利点を最大限に持っていけばハンディなど帳消しになる。気持ちを一つにして新しい栗沢太鼓をジュニアのメンバーで築いてほしい。必ず戦えるチームとなってくれると信じている。一人一人の頑張りを信じたい。
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2007/10/19

意欲を自己意識で・・  
 前回の練習で小学生のメンバー達が集中力を欠き、練習に身が入っていなかった。『ジュニアコンクールなどやめてしまえ。』と叱った。演技が半分だった。学校の授業や部活と疲れた中での練習である。小学生にはきついだろうと思う。集中力を欠くのは当たり前だろう。子供達の健康も考えて、厳しさでなく効率と集中をメインにした練習が必要だ。高学年の連中が練習に不定期なのが小学生には練習に乗っていけないところもある。しかし、子供達自身が前向きに積極的になることが大切で、これからのコンクールに挑戦していくという意気込みを養っていく必要がある。
 今回、叱るやり方で練習に集中させたが、このやり方は強引な方法であって私の意志とは異なる方法である。コーチ陣達、或いは上級生達が引っ張っていきチームワークを養っていく必要がある。普段の出演と同じ考えでは、ただのコンクールに参加するだけになってしまう。上を目指す意思をメンバー達に養う必要がある。練習してマスター出来るハードの部分と、挑戦する戦う気持ちのソフトの部分と両面を持ったチームに調整していく必要がある。
 高校生中心のチームに立ち向うには、技術以前の意欲を育てないと我チームに未来は無い。意欲を小学生達に自己意識で持たせる方法を考えたい。
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2007/10/18

今年の農業祭  
 15日に農業祭の最終実行委員会が行われた。2日間で15,000人がお祭に参加したという。行政主体から民間主体になった農業祭は、どこか暖かく親しみのあるお祭に変身した様に見受けた。「大仮装盆踊り大会」もたくさんの仮装と人で盛会だった。天気に恵まれたことが第一だが、参加型のお祭に変化したことが大きかったと思う。
 来年は栗沢太鼓が『宵祭り』を主管して10回目の記念すべき大会となる。あっと言わせるような新たな企画をまた考えたいものである。一部では栗沢のチームを作り優勝を目指したいという話が出ている。いいことである。何チームも地元チームが出て、優勝を競ってほしいと思う。過去には、何故地元優位にしないんだというクレームが地元チームからあった。多くの仮装盆踊りは地元優位な審査を行っているようである。そうなってしまうとリピーターが無くなってしまい仮装も集まらなくなってしまう。それを防ぐために審査員にはbニ作品名・人数しか知らせていない。それを知った人達が大挙仮装して集まってくるようになったのだと思う。今年の参加者に、家族で仮装して参加してくれたケースが多かった。地域を越えてアットホームな仮装盆踊りにしていきたいと思う。それは厳正な審査が前提で生れると思う。
 たかが盆踊りが、今のような農業祭のメイン事業になったのは賞金だけでなく本来の厳正な審査と優勝を目標としたチームが集まってきたことである。そしてその仮装を楽しみに見に来る人達が集まってくる。そして屋台があったり遊び場がある。古い友人達との再会がある。それは祭の原点ではないだろうか。花火を打ち上げ、有名な歌手を呼んでも本来の祭ではない。人をただ集めても祭とはいえないのではないだろうか。手作りの中に暖かい雰囲気のある祭こそ田舎の祭となるはずだ。そういうところを人は求めていると思う。生きたお金の使い方だろう。
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2007/10/17

曲り沢峠  
 陸別のホクレンスタンドで給油。近道があるということを発起人から聞いていた道をスタンドで地図を見ながら確認する。AKIは春までこの給油所にいた。現在は畜産の担当である。スタンドの所長も昨日の披露宴に出席している。
 来る道は留辺蕊を右折して39号から242号線をへて置戸町を通ってきた。近道は置戸町から左折して鹿の子温泉を右折すると39号線に抜ける近道とのことだった。天候は快晴、車少なく快適なクルージングである。先頭はT車、ナビは一〇である。置戸からの近道は、幅が狭く町道のような道へと変わった。徐々に山道へと変わってくる。この奥には「鹿の子ダム」がある。その手前の鹿の子温泉から右折だった。その鹿の子温泉の看板を見落としてしまった。いつの間にかダムについてしまう。ダムの展望が出来るパーキングで停止。打ち合わせとなる。どうも行き過ぎたらしい。戻るかどうするかの話し合いとなる。地図には39号線に抜ける道がこの先にあるぞということで、急がない旅だし行ってみるかと言う事になった。それが運命の曲り沢峠への挑戦となった。

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 鹿の子ダムを半周した道路は三叉路に別れ砂利道の山道へと右折する。またここで停車、会合はGoサインとなる。ここで佐久〇さん「タバコを買いたいのでコンビニへ寄ってくれ。」と言う。・・・・??
 砂利道の狭い道を対向車を気にしながら慎重に進む。案の定、1台の対向車とやっとの状態ですれ違う。このままの道路ではまだそれほどの不安も無かった。途中には沢釣りをする数台の車だあったほどである。数キロの道の後、三叉路に出くわし大きな看板に矢印と39号線の看板がありその看板通りに右折した後である。これからが魔の曲り坂峠へとなっていくのであった。パンパン。
 道は一気に変貌する。道幅は車一台がやっと、すごい急勾配に名前の通りの右へ左へのカーブの連続である。山側にはただ掘っただけの大きな側溝、沢側は雑木が生い茂るすごい崖である。1〜2速で慎重にその道を駆け上り続けた。カーブの向こうから対向車が来たらアウトのような状態である。交わせるところなどどこにも無い。登り切るまでには20〜30分を要した。対向車無く無事に峠を通過、その後は下りである。運転は更に慎重になる。途中交差する道が出てくる。ナビ「まっすぐでないかい。」言うままに行くが、どうもおかしい。停車して会合。これは何かの工事現場への道だ。という結論に達しUターンとなりさっきの交差点を右折する。
 
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 正解だった、道は徐々に広さを増して傾斜も無くなっていった。何とか無事に超難所の「曲り坂峠」を制覇したのでありました。39号線に無事たどり着いた近道は、死ぬまで忘れないでしょう。「急げば回れ・・・」
 その後の石北峠は平坦な難所とは言わない普通の道となりました。層雲峡をすぎた頃から雨となり、あの峠で雨とならないでよかったと胸をなでおろしたのであります。
 2日間の陸別の旅は忘れられない思い出とアクシデントの旅でした。二人の幸せには峠が無い様に祈ります。

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2007/10/16

陸別の花嫁2  
 2曲の太鼓を打った新郎は、その後のキャンドルサービスは滝のような汗をかいての登場であった。発起人の様々な企画の手作りの披露宴は大盛会の中でお開きとなる。クリックすると元のサイズで表示します
 太鼓を積み込み予約してくれた『浜田旅館』に移動する。古風な民宿のような旅館である。宿の主から「さっきの太鼓よかったよう。」の第一声だった。祝賀会に出席していたという。「山が太鼓をやるとは知らなかった。」「来年からは盆太鼓を頼みたい。」ここの主は盆太鼓をしているようで後継者がいなくて困っていたらしい。少し前までは太鼓チームもあったが人不足で消滅したという。主にはこれ幸いである。
 部屋割りをして食事を頼み、着替えて市内を散策することにした。夜の飲み物も仕入れたい。道の駅でお土産を買い、唯一のコンビニのセイコーマートで飲み物を買出し店を出た頃電話が入る。食事の用意が出来たので向えのホールの方へこいとの連絡だった。浜田旅館は向えにセレモニーホールも営んでいる。急いで戻り、会長を除いた散歩組みはホールに向かった。「あちらです。」の案内でその座敷の戸を開けた途端、大喝采で迎えられる。唖然となる。発起人会のなおらい会場だった。30名余りの発起人達は宴もたけなわ状態である。AKIの同級生達も席についている。「太鼓」が気にいってくれたのか、わざわざ招待してくれたのである。遅れて会長が加わる。また大喝采となる。会長も唖然である。以後延々と宴会は続く。「新郎の別の一面を見た。」とみんなは感心していた。「太鼓に引き込まれた。」などの感想も聞かれた。上司が、同僚が、というような感じでなく地域の仲間という感じに受け取れた。孤立したような街の環境から来るのだろうか。そこに新郎新婦が、ビックリしたような顔でやってくる。私達が一緒だとは知らなかったようである。更に宴は盛り上がっていく。
 発起人が一人二人といなくなっていく。いつの間にか太鼓のメンバーと同級生の他に3人の発起人しかいなかった。いなくなった人達は二階のカラオケボックスへ移動していたのである。さらにそこに招待されたが一曲を歌ってオジサン組みは旅館に戻った。その後苦情がきてカラオケはお開きになったようである。
 このときの宴、そして私達の旅館代は全て両家が支払いしてくれていた。
 翌朝、二人はお別れに旅館に現れる。新婚旅行の餞別を渡す。予定が詰まっているようで足早に帰っていった。新婚旅行は来月、旅行先はオーストラリアだそうである。
9:00旅館を離れ、陸別の観光ポイント天文台を見て帰路につく。
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2007/10/14

陸別の花嫁1  
 13日、陸別のAKIの結婚式に太鼓5台を詰め込んだT車・S車と日帰りのF者の3台で早朝7:10文化センターを出発する。今年初めての雪の便りに峠越えの車は全車冬タイヤ装着となった。岩見沢インターでF車と合流し総勢7名の太鼓関係者をのせた3台の車は晴天の中順調のクルージングでハイウェイを北上する。深川を越えた頃から山並みに白いものが見え始める。2度の途中休憩を入れて比布インターから旭川愛別道路をへて国道39号線へそして難所の石北峠をむかえる。層雲峡を越えた頃から日陰の道路は一部アイスバーンの所もあった。おそるおそるの峠越えとなったが峠を降りてからは順調なクルージングとなる。留辺蘂から国道242号へ置戸町を経て11:45無事陸別にたどり着く。会場のタウンホールに太鼓を搬入して昼食となった。民家の様なラーメン店で腹ごしらえをして会場のご両家控え室で着替え発起人と打ち合わせをして会場に入る。
 太鼓の演奏は、祝宴の終盤キャンドルサービスの前であった。陸別での結婚式は1年ぶりと聞いた。招待客はおよそ250名である。発起人は32名で運営はほとんどが発起人が行っている。会費は今では珍しい3、500円、3時間に及ぶ披露宴では趣向を凝らした出し物が次々と行われていく。
 新婦は同じJ〇の職員で職場結婚となる。地元出身の新婦は地元では人気者の様で、どちらかいうと新婦が主役の様に披露宴は進んでいく。新郎は同僚の発起人たちの儀式のような仕打ちを受けながら宴は盛り上がっていった。VTRのお祝いメッセージの披露があったが、ほとんどが地元の人達で、地方出身の新郎よりも新婦へのお祝いのメッセージがほとんどだった。
 終盤、新郎をセンターとした5台の太鼓での太鼓演奏となった。緞帳が上がった時点では、会場はまだざわめいていた。だが、演奏が始まると同時に会場は静まり、会場全員が太鼓に見入っている。進行に松永会長の出番を依頼する。AKIセンターの『雄飛』は、参会者を確実に魅了してしまった。終了には拍手の嵐となっていた。会長がステージに促され祝宴に花を添えた。アンコールがかかり二曲目に『山彦』を演奏。新郎はBパートを拓馬のサポートでかろうじて消化した。汗まみれの新郎は、陸別の人達に普段とは違った一面を披露した。太鼓演奏は、大絶賛を浴び新婦主役の披露宴は新郎主役の披露宴へと変わっていった。
 アクシデント:主役のAKI、打ち始めと同時にバチが真っ二つ。 数年ぶりの太鼓の演奏となったAKIだったが見事に打ち終えた。現役時代の長身を生かしたフォームは健在。男を上げた太鼓となった。

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