2008/5/31

先輩を土台に  
 明日は小学校の運動会。その前日での練習日、書道展の録画・録音が重なり予定時間より早く撮影を行う。9:00前には終了してほとんどの者は帰宅した。せっかくの運動会だが明日まで寒い予報が出ているのが気がかりだ。
 書道展のパンフを届けてくれた。7月2日から6日までの開催で様々なコラボが組まれている。我々は最終日の6日(日)、11:00〜12:00までの時間帯となる。オープニング曲に『栗沢の四季 春』、コラボ曲に『山彦』『北のにぎわい』『大地の響』、フィナーレ曲に『雄飛』のプログラムを組んだ。大人と子供の混成、子供達だけの演奏、大人達だけの演奏とバリエーションも変えた。公演に近い編成とした。ただ気になるのは会場のサイズだ。太鼓の音が会場では大き過ぎないか、ただの大音響になってしまわないか気になる。
 キャンビーへ行った時のメンバーは、高校3年生5人に中学生2名の7名が中心だった。今回の子供達は中2〜小5までの6人に先輩3名が加わる。キャンビーへ行った時のメンバーと比べれば、まだまだ実力不足だ。しかし年代を考えないで、その域に達せそうだ。
 今回の経験は、今後に大きな可能性が出てくることになる。先輩達の持っているものを吸収して、幅があり奥のある太鼓プレーヤーになっていってほしい。そして、先輩達にない新たな魅力を開拓してほしいと思う。
 それは追い越すことではない。先輩達も、その前の先輩達の土台から新たな魅力を創っていった。今の子供達も、その先輩達の土台から新たな魅力を創っていってほしい。全てを継承するだけでなく、自分流に創り直していってほしい。土台から上は、自分で創っていくものだ。それが我がチームである。
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2008/5/30

第一歩を踏む体験  
 明日の練習で全道書道展の大筆でのデモ曲の録音・録画を行う。オープニング・フィナーレ曲を入れると5曲の演奏となる。胴太鼓4台・小締太鼓5台を使い大人3名・小中学生6名で5曲のオーダーを組んだ。まだ1ヶ月の期間がある。このオーダーで練習をして習熟していきたい。こういうプログラムは、まるで海外公演のシュミレーションの様でもある。小中学生には、いい勉強の機会でもある。
 今回の機会に対処できるのは、海外公演を2度も経験している先輩達が在籍しているからだ。短期間に『栗沢の四季 春』を習得した。しかし、4月からの新曲をマスターしたのは小中学生の力だ。それだけ力がついたから先輩達の経験を吸収し『春』をマスターできたのだ。後輩達は、先輩達の経験と知恵をすぐ吸収できるポジションまで来た。それは大きな進歩だ。
 キャンビーに行こうとした時、そのプログラムの組み立てに苦労した。ほぼ全力疾走で打つ全曲を、プレーヤーの体力を維持しながらプログラムを作っていかなければならない。主力は中高校生。大人は1〜2曲を消化するのがやっとだった。最低の目標消化時間は1時間だった。しかし、最長1時間20分のプログラムを組んだ。その他に3種類のバリエーションも組み、その状況に対応できるようにした。マスターしていた7曲のトータルの時間は60分。全曲の時間だけで1時間は消化できることにはなる。しかし、続けての演奏は体力的には困難だ。交互に打っていくメンバー構成も取れなかった。その中で考え出したのがチャレンジコーナーだった。キャンビー市民に実際に太鼓に触れてもらう交流の場ともなる。苦肉の策で考えたこのコーナーは逆に大好評だった。
 限られた太鼓で限られたメンバー、そして演奏消化能力。その中でのプログラム。海外公演をすることは最低でもこれらの条件をクリアしなければならない。それが可能になってやっとGOサインとなる。
 その最低条件がクリアしても、それからが様々な難題との挑戦となった。資金・費用、通訳、運搬方法、プログラム、お土産・・・・。大の大人も何の猶予もない状態となる。それだけ大変なプロジェクトとなった。
 今回の書道展は、小中学生にその第一歩を踏む体験となる。その為にも是が非でも主催者が満足したものにしたい。必ず成功に導きたい。
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2008/5/29

誇れる街に  
 農業祭の会合の案内が届いた。事務所が商工会館内に変わった。今年の祭はおそらく大成功だった昨年の祭を参考にしたものになるだろう。栗沢太鼓の主役の祭だ。メンバーはもちろん遠くに行ったメンバーも総動員してこの祭を成功させたい。
 25周年のこの年、この祭でその25周年の記念の企画をとも思っている。ただ予算がない。ない中で出来るもの。メンバーも観衆も記念に残れるもの。難しい課題だが何か考えたい。それは過去の各周年に開催した記念演奏会とは考えていない。去年の「乱れうち」を修正した、やぐらを利用したもので出来ないだろうか?。
 また活動資金を作る事も行いたいと思っている。父兄の協力が必要だ。全く余裕のない会財政では心もとない。少しでも将来の為にお金に余裕を持ちたい。子供達の夢の実現の為にも・・・。
 合併して栗沢の街から元気が無くなっていった。それは住民誰しもが思っていることだろう。年に一度は活気のいい栗沢の街にしたい。それは住民の活力となる。子供達の励みにもなる。町の人みんなが行ってみたい祭となってくれればと思う。
 栗沢の街を牽引していくものが無い。合併の賛否から街が一枚岩にならないで編入合併した。その後遺症がある。どこかで街を一つにしていくものが必要だ。もう後戻りは出来ない。この祭をきっかけにして荒んだ気持ちを振り切り、次の世代が誇れる街にしていきたいものだ。
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2008/5/28

スタート位置に  
 前回の練習で叱りつけた2年生の男の子達は、そうとう薬が効いたようである。練習中でも悪ふざけをしていた連中だったが、今日は無駄話さえしない。親に言われたのか、顔を合わせた途端に『これから真面目にやります。お願いします』と言う者さえいた。
 2年生達の魅力は、元気のいい「がむしゃら」に打つところだ。その元気のよさを空回りさせたくない。少しぐらい音がずれようが、間違えようが、今の彼らにはチッポケなことだ。同じ年代の5人が一緒になって「がむしゃら」な太鼓を打ってほしい。それは凄い魅力なのだ。
 話も解らない、進行表も理解できない、そういうもどかしさが彼らにはあるだろう。だが、人を茶化したり悪ふざけでは、このチームには於いておけない。最低のルールとモラルは持ってもらう。その為には時には厳しくすることもある。
 彼らはやっとスタート位置に立ったところだ。これから様々なイベントに緊張の中で出演していく。先輩達が歩んできた道を彼らも経験していく。そして成長していく。
 このチームにとって必要不可欠なメンバーとなっていってもらいたい。その素質をみんな持っているのだ。それを自分で潰してほしくない。
 
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2008/5/27

バカ犬  
 夏祭りの出演依頼がぼちぼちと来ている。7月からはまた太鼓シーズンとなる。各イベントに対応できる様に仕上げる時期になってきた。低学年達も今シーズンから本格的に実践投入する。しかし、今の様なわがままな行動では、主催者に迷惑をかけてしまう。場合によってはメンバーからはずす場合もありうる。早く成長して団体活動が出来るようになってほしいと思う。
 国道を挟んだ迎えに新しい住人が越してきた。それはいいのだが、一緒にバカ犬も連れてきた。このバカ犬、明け方から夜の8時位までず〜と吠え続きなのだ。その声が頭から離れない。かなりの老犬の様で、酒焼けした様な、ど太い低音のがさがさ声なのだ。特に風向が北風になると部屋の中まで聞こえてくる。TVの音もかき消してしまう程だ。うっとうしい。しかし、アレだけ吠えていられる体力も凄い。うちのワルガキ供みたいなものだ。この「うっとうしさ」は先に慣れるか、あのバカ犬が先に死ぬかの選択になりそうだ。
 うちのワルガキ供には慣れる気は無い。あのバカ犬の様にはなってほしくない。自分で周りのことを考えて行動できる、自立した人に成長してくれなければならない。いつも注意されて、叱られなければ行動できないようでは困る。
 いつ、バカ犬と対比される様なことから脱皮できるのか。早くこの「うっとうしさ」から逃れたい。
 
 
 
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2008/5/26

本来の魅力へ  
 先輩メンバー3人に『春』の習得練習を頼んだ。子供達も使用するリズムはほぼマスターした。後は曲の流れを憶えることと表現力を付けていくことになる。
 先輩達は、曲の完成させていく過程を楽しんでいる。そして、子供達の今抱えている問題点も導き出していく。それは先輩達も通過して来たことでもある。この曲のマスターは子供達の新たな進歩に繋がる。
 今挑戦していることは、大人の太鼓に近づくことになる。今の太鼓はどのチームもリズムとパワーを重んじている。それは多くが子供のチームであり出演がイベントを中心となっているからだ。時間制限と多数の子供達で一曲にまとめなければならない。その状況では曲の表現力は限られてくる。短距離競争の曲ばかりとなる。それは太鼓の魅力を半減している。
 『栗沢の四季』には自然の流れを表現する難しさがある。春の訪れから始まるこの曲は、その季節の情景を太鼓の音で表現する。それは自然が息吹いていく姿であり、自然の厳しさであり、そして人々の楽しさでもある。ただ勢いよく打てばいい曲ではない。その情景を演奏者が理解し表現することになる。そして観衆にもその情景を創造して受け止められる様にならなければならない。それだけ表現力が難しく、感性を磨くことが必要になる。今までの様にただ勢いよく打てばいい曲ではない。その曲に踏み入ることは大きな飛躍となる。
 栗沢太鼓のオリジナル曲はほとんどが大人達が演奏する曲として誕生した。情操を込めたこれらの曲は、子供達が演奏するには向かないところがある。だが、これらの曲をマスターしていかなければ、本来の栗沢太鼓の魅力は生まれては来ない。幼いメンバー達が成長して大人になっていく、それは栗沢太鼓の魅力を増していくことになる。
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2008/5/24

打ち込める楽しさ  
 旭川の一〇が出没。子供達を預け、盆太鼓習得目標の姫〇と新〇の二人とトラの穴で特訓。3種類のリズムは習得。後は曲に合わせる為の練習となる。
 後半にお姉さん二人も出勤。四季の春の練習を配置割して行う。悪がき2年生4人とトラの穴で大人盆太鼓の練習を行う。ところがこのがきども、練習に真面目に取り組まない。ふざけたり、茶化したり、何度注意しても聞かない。こんな状態では練習にならないとさじを投げる。・・・終了後、印籠を渡す。『もう来週から来なくていい、首だ。』・・・神妙になって、ロビーに4人が現れる。『すいませんでした。真面目にやります。』・・・『これが最後だ。今度はその次が無いからな。』・・・さて、どうなるか。同級生が5人いる。それが自制心を失わせる。「赤信号みんなで渡れば怖くない」となっている。対策を考えないと叱ってばかりになってしまう。妙案を練るか。
 『春』は一〇とお姉さん二人が加わり、習得へと近づいていく。高学年は時間の問題となった。そして3〜4年生も少しずつ慣れてきだした。
 ラジカセで試し取りをする。ハウリングを起こしうまく音取りが出来ない。マイク性能が悪いのだろう。ビデオカメラならまずまず音も入ってた。来週の土曜日に、書道展様の3曲のビデオ撮影を行うことにした。その後は音だけをカセットに落すか、ビデオで対応するかを相談して決めたい。
 その出演に一〇も参加することに決まった。来週のビデオ撮りにも来るという。久しぶりの太鼓で興奮していた。
 初心者から上級を目指すメンバーがいる。そして年齢幅もある。それら全員が違った階段を登っていく。全員が足を踏み外さず一歩一歩登っていってほしい。それは様々な問題をいつも最善な方法で対処していかなければならないことになる。
 和気あいあいと太鼓をしていきたい。それと面白半分とは全く違うことだ。本当の楽しさを今の低学年はまだ自覚していない。『打ち込めるものがある』その楽しさを早く自覚していってほしいと思う。 
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2008/5/23

対応能力  
 様々なイベントを経験すると、こちらが考えていたことと違う展開になることがある。時には想定外のこととなることもある。スキーの不整地滑走みたいなものだ。どこかにコブがあり悪雪があり、時には斜度が急変したり・・・。そんな様々な変化に対応する能力を持たなければならない。
 チームで演奏することは、全員がそれに対応しなければならない。演奏する全員が開始前のミィーティングでそれを把握し対応する必要がある。今のチームは低学年が多い。その低学年達もそういう状況に対応できる能力も養っていくことが必要になる。
 学芸会の様に練習してきたことを演奏する。それだけの事は1〜2年生も大丈夫なようになってきた。そこに急な変更が加わったら果たしてどうなるか。今の現状では、右往左往、頭はパニクッてしまう。高学年のメンバー達は、もうかなりのレベルで対応能力がついてきた。
 一人が理解しても何の意味もない。全員が理解し全員が把握しなければ、本来の実力は導き出せない。全員が把握する、その為のミィーティングは大切な作業となる。
 そのミィーティングがようやく機能出来るようになってきた。今までは聞く耳持たずおしゃべりしては怒鳴られていた低学年達も、ようやくその大切さを少し解ってきたようである。
 それは大きな進歩である。自分がこれから何をすればいいのか。一言の指示で自分で判断して実行できる。その能力が備わることは、自分で考えて行動できる能力へステップアップしていくことになる。
 対応能力は、頭を活性化しないと対応できない。決まりきったことをすることの延長では頭は活性化しない。同じ曲でも絶えずシュチュエーションを変えて練習することも必要になる。『いつもの様に』では考えることを無くしてしまう。刺激を絶えず与える練習は対応能力を育てることになる。
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2008/5/22

地域を信じたい  
 会場使用料を高額に支払っているのは空知の中でも1番かもしれない。安い会場に移ればいいと一言にいうが、この場所に居座らなければならない事情がある。
 前に練習会場だった場所は市街地から山を越えた場所となる。使用料も半分以下になる。その他にも旧小学校の体育館が何箇所か残っている。そこへ移動も可能だろう。しかし、移動と同時に『栗沢太鼓』は存続不可能になるだろう。
 メンバーの多くは部活をしながら太鼓活動もしている。部活の後に太鼓に来る。会場のロビーで夕食を食べている。そんな子達もいる。そんな状況で、遠くの会場を設定することはメンバーの活動を阻害することになる。
 練習には太鼓が欠かせない。今の会場には保管庫があり常駐して太鼓を保管してもらっている。小学校の体育館は無料開放になったというが、その太鼓を保管する場所は無い。その都度太鼓搬入も厳しい。
 小中学校から近く、備品の保管が出来る。この二つは活動する為には欠かせない条件になる。ネックはその使用料なのだ。
 市の助成金は6〜7回の練習額にしかならない。出演謝礼も年々減っている。むしろ手出しの演奏会が増えていっている。総会に出席した〇長は子供達の前で大嘘を言って帰っていった。だが後援会は頑張ってくれている。毎年の助成は欠かさないと確約してくれた。NPOの話に望みをたくしたいと思っている。
 これまで手厚い保護の中で活動していたと実感した。それが当たり前の話だった。その保護を失って活動を停止した団体もあった。しかし、我々は会費を上げて何とか踏ん張っている。部活に太鼓にと頑張っているメンバー達を、地域は必ず応援してくれると信じている。毎年、かろうじての繰越では頑張っているメンバーへのごほうびも無い。備品の更新も出来ない。
 メンバーに申し訳ないといつも思う。でも元気で、前向きで、明るく練習に取り組んでくれることが慰めでもある。いい太鼓で、いい曲を、思いっきり打ってほしいと思う。
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2008/5/21

会合と練習  
 今日の練習と同じ時間、同じ会場で会合が催された。練習は全員が子供達なので太鼓の音と共にに会合から抜けた。
 その会合は『NPO法人 くりさわプロモーションクラブ』という組織の立ち上げのことだった。その前身は『栗沢町体育協会』である。同じ市に二つの体協とはならないようである。そして更に、スポーツに限らず芸術文化、社会教育、まちづくりの非営利な活動を網羅する団体へのステップアップである。その中には練習会場としている『文化センター』の受託事業も加わる予定である。
 空知・道西・岩見沢と団体加入する度に負担も増していった。その分発表の場というメリットもあった。ただ負担が増えるだけでは『栗沢太鼓』は維持していくことが困難になる。負担とメリットの点について質問した。
 立ち上げの先頭になっているのは後援会長である。会場使用料が大きな負担となっていることをよく承知している。その支援もしていける可能性もあるという回答があった。事前に電話でも話していたことだが、出席者を前に確認したいことでもあった。その回答を得て、練習場に舞い戻る。
 子供達には何も指示をしていなかったのに、自分達で太鼓を出して練習していた。少しずつチームはまとまり出してきている。しかし、部活との両立の子は疲れた様子を見せる。今月、来月が正念場だ。頑張ってほしい。
 前半は『大地の響』を中心に曲の練習、そして子供盆踊り。後半は『栗沢の四季 春』の習得練習となる。今はどれも中途半端だが、本番までには、全てを完成させたい。
 みんな頑張っている。頑張っているだけにいい思いをさせてあげたい。いい顔をした太鼓を打ってもらいたい。目標達成は必ずさせたい。
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2008/5/20

そう思いたい・・・  
 『町を活性化さす』その目的で青年達は『栗沢太鼓』を立ち上げた。町も一心同体でその活動を支援してくれた。市町村合併の話が始まった頃から、親身になってくれていた町〇育〇員〇は手を返したかの様に態度が変わった。吸収合併される町は、その対応を主導権の持つ体制に全て変更した。ただ唯一は、猶予期間を持ったこと位なものだった。
 その猶予期間も終わる。しかし、いい様に考えている。行政と一心同体でやってきたことは逆に大きな責任も背負った活動だった。町の依頼を受けて断れる猶予もない時期もあった。それだけメンバーに無理があった、プレッシャーがあったのかもしれない。
 今は、活動が出来なくなったらいつでも解散する、解散できる。そんなどこからも圧力の無い活動が出来る。メンバー達の為の最良の活動が出来ると思っている。
 『町を活性化する』その目的は『街を活性化する』に変わったかもしれない。しかしそれは今の目的ではない。今はみんなが太鼓を楽しみ・満足できる、そんな活動である。それが目的となった。それはメンバー達の為の活動で、誰かの為にする活動ではない。誰からも足かせの無い本来の活動になったのかもしれない。
 その目的に目標がある。その目標の中に『街を活性化さす』がある。農業祭の『大仮装盆踊り大会』がそれだ。そして自分達の夢の『姉妹都市キャンビーに行きたい』がある。更にはJrコンクールや様々なイベントに出演していく。そんな目標がある。・・その為の練習である。
 合併して一番の難題は、活動費の飛躍的な負担だった。0円だった会場使用料は3,000円(冬季は3、900円)となった。13万円だった助成金は2万円余りとなった。会費は5倍近い額とならざるをえなかった。合併後、ひとつも猶予の無いギリギリの会計をしている。
 でも逆に、伸び伸びとした自由な活動を得たのかもしれない。楽しんで、満足できて、そして夢を持った活動ができる。・・・そう思いたい。
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2008/5/19

風格  
 パフォーマンスを見せる方法は様々あるだろう。一糸乱れない同調された演奏や振り、躍動感のある動き、大きな太鼓の音や澄み切った響。・・・それは迫力あるものであったり、美しさや心地よさ、時に驚きやかわいらしさ・・・。人が感動し感銘を受けることは様々ある。
 パフォーマンスを出す最低の条件は、見る観衆が安心して見ていられる演奏者としての『風格』である。この『風格』を作らない限りどんなに上手な演奏をしても、人は魅了はしてくれない。それはパフォーマンスとはいわない。
 格好つけて打っても人は感動などはしない。どんなに技術を磨いても、内面の心を磨かなければ、ただのカッコつけにしかならない。それは感動さすどころか茶番となる。いいカッコしいで太鼓などやってほしくない。『どうだ上手いだろう』そんな気持ちを持った奴は、私の前にはいてほしくない。
 太鼓を上手くなりたい上手くなりたいと思う気持ちを育ててほしい。ほめられても、更にほめられる事を目標にしてほしい。ほめられて、それで有頂天になっていては、その次は無い。大人も子供も可能性は無限に続く。
 技術は練習と目標を持ち続ければ必ず積み重なっていく。しかし、心はそうではない。心を磨くことを練習することは出きない。心は自分一人では磨けない。
 様々な経験、様々な人達が心を育てて行ってくれる。幼いメンバー達が技術を磨き、心を磨いて『風格』のある打ち手に育ってくれることを願う。
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2008/5/18

真剣に、一生懸命が・・  
 キャンビーで『栗沢の四季』のセンターを務めた。その『春』の部分でしくじった。お姉さん達はことある事にそのことをいって私をいじめる。・・・あの時はさすがに緊張していた。それ以後は冷静さを取り戻し最後までパーフェクトだった。キャンビーの観衆には間違ったとは思われない様に誤魔化した。たいした問題ではない※△&%??・・・。
 今までに何百回と演奏しているが、記憶に残っているのは、ほとんどがチョンボをした演奏なのだ。90周年の初舞台の最後。町の百周年の演奏。センターを務めて間違いを他のメンバーがした様に仕向けた姑息な手段をしたこととか・・・。もちろんキャンビーの演奏もそうだ。・・・感動した演奏の記憶は少しはあるが、パーフェクトな演奏をした時の記憶はほとんど思い出さない。しかし、間違った時の記憶は、ことこまめに憶えている。
 これが私の集中力の現実なのだ。間違ったメンバーに批判など出来るものではない。しかし、今までの演奏で手を抜いて演奏したことはない。いつも全力で取り組んできた。・・・そんな中での失敗は、失敗とはいわない。どんなプレーヤーが演奏しても、本人しか解らない満足・不満足はある。しかし観衆はそうとは決して受け止めていない。間違っていようが、その演奏が心に伝わっていれば、それは間違った演奏とはならない。
 子供達には、毎回同じことをいう。『間違ってもいいから一生懸命打て・・・』と。間違いを恐れて打つ太鼓など、とても魅力など生まれない。真剣に一生懸命打つ。そこから感動が生まれてくる。それは打った本人も、それを見ていた観衆も感動を受ける。間違ったは、そのあとの問題だ。
 まずは真剣に、一生懸命が第一条件だ。間違えなどちっちゃな問題だ。・・・私のキャンビーの間違えは、「メンバーに間違えを恐れない太鼓を打つ」ことを伝えたと思う・・ことにした。
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2008/5/17

進行表  
 この時期、子供達は部活動の最盛期だ。毎週末は試合や練習となる。数名が開始時間より1時間近く遅れてきた。開始のメンバーが少なかったので子供盆踊りのテープを回した。テープを回すと経験のあるメンバー達は、生き生きと打ち出す。農業祭以後に入ってきた新〇と1年生の姫〇、二人は蚊帳の外となる。
 お姉さんが登場。早速他のメンバーを預け、二人との子供盆太鼓習得大作戦を敢行。他のメンバー達に追いつこうと意欲的となる。もうこの二人が習得するのは時間の問題だ。気持ちはやぐらの上に上がっているだろう。
 後半にお姉さん二人が入って栗沢の四季『春』の練習をする。基点の位置に二人を振り分け、メンバー配置をする。進行表を見ながらいきなり曲を通しで打った。子供達はしどろもどろ。だが手本が二人いることは習得も早い。部分練習を何回か入れて、最終の通しで見通しがついた。子供達には早く『進行表』をマスターしてほしい。17分の栗沢の四季を習得するには、それが出来ないと厳しくなる。解る者と解らない者では大きな差となる。
 『栗沢の四季』に挑戦することは、新たなものに挑戦することになる。17分の記憶力、そして集中力を持つことは至難のことだ。その第一歩に幼いメンバー達が踏み込んだことになる。
 子供達には昨年の『暁の音』から進行表を作って手渡し、曲を習得していった。コンクール曲の様な5分余りの短時間の集中力、マラソンの様な長い時間の集中力が維持できる能力の両方を持てるようにしなければならない。それは伝達だけでは習得は難しい。『進行表』は楽譜であり教科書となる。その積み重ねが無いとこの長時間の曲の習得は困難だろう。『進行表』の見方をマスターして、1曲でも多く習得してほしい。
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2008/5/16

施設慰問  
 毎年幼稚園の運動会の昼休みに太鼓演奏をしている。施設慰問の事業の一環だ。前園長の時には快く前向きに歓迎してくれたが、園長が変わってからはその対応が変わってきた。快諾という雰囲気は無い。雨天は体育館での開催となるが、屋内ではうるさいので止めてほしいといういい方をされた。
 しかし、園児達には評判がいいと受け止めている。毎回園児達のチャレンジ・コーナーを行っている。少子化で園児も少なくなっているが、このコーナーへの参加は毎年増えている。
 部活をしている子供達は時間を融通して、何とかこの出演に対応してきた。この出演はあくまでも同志会の施設慰問という事業で組んでいる。受け入れ側が快く思ってくれなければ成り立たない。費用も(弁当と飲み物だが)求めてはいない。園児達への応援と昼休みのアトラクションと考えている。・・・同志会の宣伝も少しは入ってはいるが。
 6月の中旬の事業である。そろそろ準備をしなければならない。園児や父兄達も園長と同じ考えなら、この事業から撤退をしなければならない。施設慰問は幼稚園の運動会と固定しているわけではない。過去には福祉村のクリスマスやいちい荘のイベントにも慰問してきた。
 施設慰問は、相手が歓迎してくれなければ意味が無い。メンバー達もそう思って予定を組む。・・さてどうしたらよいものか。消化だけの出演とはしたくない。意義がある施設慰問の事業にしたいものだ。
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