2008/11/30

あせる必要は無い  
 1年間の練習を僅か5分にかける気は無い。5分の時間で全ての実力を出せるとも思えない。そして勝負の世界は勝つ者だけではない。必ず敗者も存在する。それを見越して勝敗の世界にメンバー達を送り出さなければならない。
 コンクールに出場するにはタイミングがある。今年はメンバー構成が構築できないと判断してその出場を見合わせた。出場するとなるならば、まだまだお遊びと考えるメンバー達も巻き込んでいくことになった。それは今の会の状態ではマイナスとなると判断した。
 しかし、それは何時までも待っていようとは思っていない。メンバー達が勇み立ち挑戦する闘争心があれば何時でも出場はしていく。たとえ低学年のメンバーを含めてでもある。それを養うまでには時間と年齢が足りなかった。
 コンクール出場は勝負の世界への挑戦である。失敗を恐れない強い精神力や集中力、統制の取れたチームワークなどを見につけていかなければなら無い。注意しても駄々をこねるまだヒヨッ子達ではどうしようもないのである。出場するのであれば15名枠いっぱいのチーム作りをと思っている。それは結果を1年2年後とは考えず3〜4年後に最強になるようなチーム作りである。
 目先の結果はまだ不要である。幅が広く・奥の深い打ち手達を育成していきたいと思う。底力がありそして柔軟性のある。誰が見ても安心感があり、期待感が持てるそんな打ち手達となってもらいたい。それは技術だけではなく人間性を併せ持たなければならない。そういうメンバー達となって、そして結果もついてきてほしいのである。
 誰もが優勝していいチームだと認めてもらえれるチームを目指す。
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2008/11/29

続けることこそ・・  
 今日の練習は欠席者が多かった。しかし出席した者は内容のある練習となった。男の子達の上級生は後輩達をマンツウマンで鍛え上げている。女の子3人には細かな運動をアドバイスする。・・・変化が見えている。
 積極的であること。素直にアドバイスを受けること。この二つの条件があれば確実に技術は上がっていく。しかし、この二つの条件を持つ子ばかりが集まってくるわけではない。格好よさに憧れたり、楽しそうだからという安易な気持ちの子もいる。そういう子達は長続きせず会を離れていってしまっていた。ついていけないからというだけではない。それなりに上達してこれからという時期にやめてしまう。ある日突然ということがよくあった。それを止める手立ては無い。本人の意思なのである。無理に止めても会にとってはいいことだとも思えない。
 月謝を払い教えてもらうという会ではない。太鼓をしたい・してみたい、そういうメンバーで構成されている会である。それが基本ではあるが、なかなかそうならないのが現実である。
 しかし、卒業していく者は確実に一人前の打ち手となっていった。今望むのは、今のメンバーが途中で投げ出さず、全員が卒業していってほしいことである。能力がある・無いではない。頑張れば必ず報われる。そして自分の為の大きな財産が作れるだろう。その為のフォローは必ずする。続ける事こそが大切なことである。
 
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2008/11/28

新たなチャレンジへ  
 前回の練習からまた新たな課題を与えた。よりスピーディーに変え、下手糞な部分をカットしてしまう荒療治みたいなものだが難度はぐっと上がる。そしてイメージを一変さしてしまう可能性も持たせたい。
 同じパターンを繰り返してもプレーヤーも応援する父兄達も飽きが来てしまうだろう。ある程度の技術が蓄積したならば目先を変えたことも冒険するべきである。この変更、相当の意識革命となりうる。自分の事だけを考えている今までとは様相も変わり、みんながリンクしていかなければならない状態に進化させたいと思っている。その為の第一段階である。
 今の曲はおじさん達が始めた頃の曲とは大胆な変更はない。少ない人数で演奏して来た頃の曲をおお人数での演奏にアレンジしたのが今日の曲である。それも良しではある。しかし、どこか根本のパターンを変えなければ、新たなもっと大きなものに変化が出来ないのではないかと感じている。それは全てを変えるのではなく、構想を変えることで今のものが更に光らせないだろうかということである。
 新たなチャレンジをメンバー達と取り組みたいと思う。自分達の良さは無くさない。しかし、より高度に、より達成感のあるものへと進化させていく。新たなチャレンジにしたい。その第一歩である。変化に対応できるプレーヤーに進化をしてほしいと思う。
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2008/11/27

特別扱いは無い  
 技術を上げるのには長い時間が必要である。そして本人達が休まず練習に参加し地道な努力が必要である。週に2回、月に8回程度の練習は最低の練習日程である。その少ない練習で技術を進歩させていくことは並大抵のことではない。その練習を休まずに参加する子達は目に見えて進歩している。逆に休みがちの子達は、どうしても遅れてしまう。時間が経てばその差は大きくなる一方である。どんなに才能があっても続けていかなければ、その才能は才能とはならない。たとえ物覚えが悪い子でも、続けることによって必ず花開くことはある。
 才能やセンスがある者を指導者は特別扱いの様に見てしまう。才能のある者は黙っていても上達していくと思う。だがそうではない。そういう者こそ目配りしながら指導しないとその才能は花開かない。
 スタートのセンスの良さは当てにはならない。必要なのは、スタートからみんなと同じ練習量と同じ意識を持ち続けることが出来るかがなのである。才能やセンスはそんな中で花開いていくもので、特別扱いの中では生まれない。
 『個性をいかす』という考えはそんな所にもある。同じ尺度、同じ目で見てしまえばそれぞれのメンバーに順位をつけてしまうことになる。それはメンバー達には余りにも失礼なことである。太鼓などの芸能は個性を持っていいものだと思っている。自分だけのパフォーマンスを持つべきであり、自分の財産を作るべきものだと思うのである。
 だが、チームとして演奏する時はそのルールを守らなければならないが・・・。 
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2008/11/25

華麗に力強い・・  
 道央支部の全国大会出場チームがゲスト出演した。何年か続けて全国へいっているチームである。舞台慣れした演奏だった。空知の太鼓とは異にした肩間接からの振りを多用している。昨年の道南支部の全国大会出場チームと似かよった演奏技術である。
 空知の大部分のチームは肘からの振りを使っている。ほとんどのチームは前足加重で体軸が斜め前に傾いている。結果、上体が傾き肩関節を使うことは困難となる。腕をまっすぐ上に上げる時は一端身体をのけぞらす動きとなる。
 栗沢太鼓が取り組んでいるのは体軸が垂直な両足均等での運動と後足体重での運動を目指している。そして肩・肘・手首の間接を生かしたしなやかで力強い振りである。共にまだまだこれからの所である。それは足腰の筋力が大変必要な運動であるからである。筋力の無い子は両足均等の打ち方、脚力のある者は後足加重のダイナミックなフォームである。(審査員にはこの技術の難しさを理解してくれなかった様な採点だった。その辺が太鼓関係者と違う審査員と感じている。)
 初心者が太鼓を始める、大抵は肘をたたんだ打ち方になる。肘から先の動きしか出来ないのである。肩関節を動かしバチ先が頭上高く上がるまでには、それなりの練習と時間が必要になる。そしてそれを容易にするには、そういうフォーム作りが必要なのである。
 ようやく低学年達もそんな練習に取り組める所までになった。そして上級生達は筋力や足腰の柔軟性を求めるところである。これらは楽して打つ練習では身には着かない。苦しんで努力しなければ習得は難しい。華麗に力強いがうちの持ち味である。幼いメンバーもその伝統を受け継いでほしい。
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2008/11/24

耐え忍ぶ・・・  
 今までのコンクールで優勝チームは2チームしかなかった。それに風穴を開けようと合同チームで取り組んだ。その一歩手前まで追い詰めたが惜敗した。しかし、今年のコンクールは今までの様相を一変した結果となった。
 昨年の我がチームも決して見劣りをする様な演奏ではなかった。1位の得点をつける審査員もいた。しかし結果では散々なものだった。その審査内容に不信感を持っている。今回は出場はしていないが、その審査内容には興味を持っている。
 今回のコンクールレベルは決して高いものではなかった。だからといって我がチームが出場しても勝負にはならなかっただろうが。だが、これが今後のこの地域の太鼓の未来に危機を感じている。地域は過疎化し少子化してメンバーが増えていく要素は極めて厳しくなっている。
 子供達は太鼓だけではなく、野球やサッカーやバレーや金管もしたい。太鼓だけに専念出来るメンバーは極めて少ないといっていいのが実情である。それだけ練習時間も限られてしまうのである。子供達の技術が飛躍的に変わるのは、部活の始まる年齢とも重なる。いざ『コンクールを頑張るぞ』とハッパをかけても、その練習日程を組むのは大変な負担となる。
 何チームかの実情を聞いた。『来年からは無理かな』というチームもあれば、『部活と重なりメンバーが組めない』というチームもあった。どのチームもそんな状態なのである。
 全国で通用するチーム作りは、そうたやすく出来るチャンスは無い。これからという我がチームは今後に期待することは大いにある。だが成長につれて子供達の進む道も変わってくる。今のメンバーがそのまま太鼓を続けてくれれば、数年後には大きなチャンスがくる。それまで耐え忍ぶだけの頑張りをメンバー、いや私達も頑張れるかだろう。
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2008/11/23

コンクール終わる  
 支部のコンクールを見学して来た。エントリーは9チーム。出場者達は緊張の面持ちで開会式に整列している。今年も気分が悪くなる者が続出していた。なんとかならないものか・・・。
 全出場チームを客席から見たのは始めてである。会場の斜め横からそれぞれの太鼓チームのフォームや腕の使い方を中心に見せてもらった。少子化の時代なのか出場者の年齢が下がっているように見受けた。その分全体のレベルは下降している様である。そして技術も上下の差が無くなり平均化している。採点する側は大変だっただろう。目新しい大きな変化は無く、昨年の大会がメンバーが変更されて行われているように感じた。衝撃を受けた演奏は少人数で出演したチーム位だった。
 審査員が大幅に変更されて、予想がつかない審査結果となった。大きな差が無いのであるからどのチームも入賞する可能性はあっただろうと思う。太鼓を打ち込む腕の振りの切れは前年度優勝チームが断然際立っていた。ただ、採点はそればかりではないのも事実である。
 優勝したチームは2年前に合同したチームである。一緒にフォーム作りから練習したメンバーも何人か加わり若いメンバーで挑戦した。見事優勝をものにした。中3から小4の10名のメンバー達だった。合同チームの練習前の暴れていたフォームは影を隠し安定感のある演奏だった。しかし全国に出るからには更に磨きをかけなければと思う。
 来年は私達も挑戦していく。低学年、まだ経験の少ないメンバー達が来年の出場までに戦っていける太鼓を身に付けていってほしいと望んでいる。上級生達は今回に出場しても見劣りはしなかっただろう。だがそれは数名の話である。全員が最低のレベルまでに進歩をしていかなければならない。いや、太鼓技術より大人になることの方が先かもしれない。
 ライバルは一歩前に出た。近い将来、みんなが頑張れば必ず追いつき追い越せるだろう。期待したい。
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2008/11/23

目の前の目標に・・・  
 どんなにセンスがあっても意欲が無くては何にもならない。本人もそうだし他のメンバーにもである。だがこの意欲というものは本人が自ら作り出すのは並み大抵のことではない。そしてそれはほんのちょっとしたことでも出来るものでもある。人の気持ちの変化ほどシビアであり、大切なのである。
 練習をすれば必ず上達するというものではない。そこには絶えず壁が立ちはだかる。その都度、その壁と戦い打ち負かしていかなければならない。上達は絶えずのその繰り返しである。みんなが認める上級者でもその壁との戦いは続いていく。それを逃げた時にはもう終わりとなってしまうのである。今の私とてそれに挑戦しているのである。
 そこには意欲というものがあり目標というものがある。それはみんなが共有して成り立っていく。後輩達は先輩達に早く追いつこうと思ってほしいし、先を進む者は更にその先を目指してほしい。しかし、余りにも先のことを目標にしてほしくは無い。自分の今出来る目標を一つずつクリアしていってほしい。そういう繰り返しが意欲を持ち続ける秘訣である。それは先輩達に早く追いつく早道でもある。
 来シーズンは新栗沢太鼓を披露することになるだろう。(申請の助成事業が通過したら・・・)新しい太鼓が導入され、みんなの揃いの衣装となる。そしてそれに見合った演奏技術も身に付けて行ってほしい。そこに進化したNew栗沢太鼓がある。
 それにはみんなが意欲を持って取り組んでくれることが必要である。目の前にある目標をクリアしながら・・・。
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2008/11/21

意欲を無くさないで  
 ホームページの表紙の写真を一新した。今年の出演した写真の中からそれぞれのベストショットをチョイスした。写真を見て一年の進歩を確認することになった。みんなたくましくなった。顔つきも変わり演奏するシルエットも様になって来た。しかし先輩達と比べるとまだまだこれからである。
 ス〇ーの選〇権に出場してきた頃は、よくビデオを見て自分の技術を確認してきた。人からのアドバイスを貰うことも大切だが、それよりも自分の感覚でしていることが自分のプレーとしての映像と一致することが何より大切になるのである。自分では完璧なプレーと思っても映像ではそうなってないことがよくあった。
 自分のプレーしていることが自分の想像通りに見てくれることは、自分の表現力、パフォーマンスに大きな武器となるのである。自分の映像や写真を見て自分のプレーを解説し、より美しくよりダイナミックに表現することが自分でコントロールが出来るようになることである。
 トップのアスリートは、みんな美しいフォームを描いてプレーをしている。そして太鼓もリズムを打つだけのものではない。美しいフォームと美しい振り、或いはダイナミックなフォームにダイナミックな演技が要求される。それは指導者だけのアドバイスだけでは生まれない。自分でやろうという意欲が無ければ育っていくものではない。
 今の上級生達はそういう時期に成長してきた。低学年の様に手取り足取りではもう無いのである。自分の意思で、自分の意欲で、積極的に取り組んでくれるかで大きな分岐点になるだろう。積極的な姿勢を持たない者は前には進まない。出来るならばメンバー全員が意欲を無くさないで挑戦し続けてほしいと思う。
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2008/11/20

後輩達へのエール  
 お姉さん達の曲を伝授された後輩達は、さてどうその曲を自分のものにしていくか。これからの課題である。
 キャンビーへ行ったメンバー達はそれぞれに個性のある太鼓の打ち方にした。曲の特性でもあるが、個々の持っている身体的な運動性もあった。曲を伝授された後輩達は、その太鼓の打ち方もそのままコピーをしてほしく無いと思っている。自分の持っている身体特性を活かし、或いは新しいイメージの打ち方で自分のものにしていってほしいのである。せっかく伝授された曲は本家が打つ以上のものに磨いていってほしいし、より輝けるものに進化させてほしいと思う。それが先輩達への恩返しである。
 お姉さん達はその曲を自分の曲にするまでに、悩み苦しみ努力をして作り上げていった。そこには彼女らの思いがいっぱい込められたものである。その曲を伝えることは後輩達に向かっての『頑張れよ』というエールである。その気持ちを大切に受け止めてほしいと思う。
 いざ上達すると、先輩達が親身になって手ほどきをしてくれた事を忘れてしまったりする。誰もが、誰かにお世話になり指導を受けて上達していっているのである。自分一人で育っていっているわけではない。その事を忘れないでほしいと思う。そして育った後はそれを後輩達に伝えていってほしいのである。
 自分が磨いたことは惜しげもなく後輩に伝える。それはまた自分を一つ前に進歩させることとなる。そしてチームのレベルも押し上げるのである。
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2008/11/18

やりがいのあるもの・・  
 今週の日曜日に支部のJrコンクールが開催される。今年の審査員は太鼓関係者で構成されると聞いている。どんな審査をするか確かめたいと思っている。
 一言で審査というが、審査をする側は非常に難解である。昨年までの審査は音楽関係者など太鼓とは普段縁の無い人達で審査を行っていた。そして審査員によってその評価はバラバラであった。評価点も全く統一性が無く、一人が極端に低い得点を出せばもうそれで終わりというような採点内容だった。
 太鼓は音楽という分野と運動という分野、更には構成・表現などの企画力と多義にわたる採点をしなければならない。その中でも欠かせない最低のものを最優先で審査しなければ全国大会の予選会とはならない。
 一つの間違いも失敗もしないで演奏したことが評価されても、太鼓を打つ技術が全国大会で評価するものでなければ何にもならないわけである。急斜面ですばらしいウェーデルン(小回りターン)をしてきても、求めた運動に対応した滑走でなければ点数は出ない。そういう高度な評価が出来る審査がなければ全国に出場しても上位に進出することは無いだろう。
 上手だったから、感動したから、いい点数を入れた。そういう類の審査は予選会だけのもにしかならない。審査する規定が全国大会に準じたもので予選を突破しなければ、全国大会はただ参加するだけのものになるだろう。
 ただ考え方である。大会を意識して連盟の検定を受検させることを必要と考えるか。あくまでも我が道を行くか。コンクールだけが太鼓の道ではない。技術を上げるただの手段にするか。・・・さて花を咲かせるとは何なのだろうか・・・。
 優勝するチームは1チームしかない。それも他人が決めることである。それが花を咲かせることなのだったら、それは余りにも狭い道である。他の多くの子供達は苦い経験を積むことになる。それが、その後のJrを卒業しても太鼓を続けていく原動力とはならないだろう。あくまでもコンクールに挑戦することは一つの目標に過ぎないと思うのである。それよりももっと大きなやりがいのあるものが必要ではないだろうか。頑張れば必ず報われるもの・・・そして頑張りがえがあるもの・・・今のメンバー達にそれを与えたい。
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2008/11/17

イメージをもって  
 イメージを作ることは大きな進歩となる。しかしそのイメージ作りは一つのことに誇示してしまうと失敗となる。練習を積み身体も成長すれば、求めていくものはより高度により洗練していかなければならない。技術とは成長していくものであり積み重なっていくものである。
 イメージを進化させることは技術も進歩していくことになる。こういうイメージの曲、こういうイメージの打ち方というものを持つことは、また基本から土台作りを変えていく必要がある。その繰り返しが新しいイメージを育てることにもなる。
 急斜面を滑走する技術を進化させる為には、また斜度のゆるい斜面でプルークボーゲンからの練習に戻った。その繰り返しが技術の進歩に結びついていく。何となく練習を繰り返しても進歩などは無い。そこにイメージを持った練習が必要となる。
 自分のイメージを変えるには、他の人の意見を素直に聞く耳を持つことであり、他の人たちの技術を見ることである。すばらしいプレーを見て感動するだけでなく、どうしてそういうプレーが出来るのかを考えることである。それは模倣となるかもしれないが、真似ることによって新たなものが誕生するきっかけともなる。そしてイメージを膨らませることにもなる。
 イメージを作り、イメージを膨らませてそして挑戦していく。そういうプレーヤーになってほしいと思う。与えられるものだけではつまらないと思うのである。他の人にはないものを自ら作り出していってほしいと思う。 
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2008/11/16

未知の世界へ・・  
 やみ雲に練習して上達していく方法もある。私達が始めた頃はそれに近かっただろうと思う。しかし25年を経験してきたことは学習を繰り返してきたことである。
 ある意味、継続は伝承と思われるが僅か25年の歴史は継承とはならない。むしろ今は過去のものの土台に新しいものを築いていくと考えるべきである。土台ができたものの後は骨組みを作り屋根をかけ壁を張る作業である。それは大きなスタート位置の前進となる。幼いメンバーとはいえ、そのスタートは私達が始めた頃よりも何メートルも前である。
 私達が何ヶ月もかかって覚えたリズムも、今の子はあっという間に覚えていってしまう。うれしいことではあるが、しかしそれはハウス栽培の野菜のような恵まれた環境の中で促成栽培されたものである。リズム感と表現力は決してマッチしていないのである。リズムが打てるからもうマスターした。そう簡単に納得してしまう。それは大きな落とし穴となる。それで納得していては、もうその先は見えてしまう。
 技術の進歩に最終などは無い。今の子達には先輩達の歩んできたその上を進んでいってほしいと思う。25年の歴史は様々な功績や経験を積んで来た。キャンビーに行った連中も、先輩達の創った曲を土台にしてその上に進化した。今の子はその彼らの曲を更に土台にして上に進んでほしいのである。それは与えられたものをするのではなく、自分自身で開拓していく気持ちで取り組んでほしいのである。それは未知の世界だからである。
 さて高学年達はそんな積極的な気持ちを持てているのだろうか。今でいいという思いなら私達もそうなってしまう。言い訳は無用である。行動が全てである。下手糞の今で終わってはこれまでの苦労は何にもならない。私達を動かせるそんながむしゃらさを見せてもらいたい。
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2008/11/15

新しいイメージ創り  
 今日の練習も何人かが休み、どこか気の抜けた練習だった。しかし今の練習方法は目標のある者はそれなりの成果が出る。しかし無い者は無駄な時間となる。自主的に考える者とそうでない者では大きな差となる。
 言われなければしない。何をしていいのか解らない。・・・自分は何をしたいのか。本当に太鼓が好きなのか。
 幼いメンバーには、どうしても一方的な練習となってきた。それも方法なのだが、能力の無い指導者にはメンバーから教わりながら次を考えるのである。今までもメンバー達の発想や運動を更に生かす為に考えてきた。結果的には今の技術や曲は、メンバー達の先輩から学び応用してきたものである。それは今のメンバーにも同じ事がいえる。自分の考えることは最終のものではない。『こうあるべきだ』という考えは絶えず変わっている。
 スキーの指導員時代もそうだったが、自分のアドバイスをする一つの言葉で生徒達のする行動は全てまちまちなのであった。『スタンス』をこうしなさいという言葉でも、足の位置はまちまちである。自分が考えるスタンスのイメージと生徒達のイメージは全く違うのである。
 自分が考えるものは、単なる自分のイメージである。指導する立場としてはそのイメージは大切なのである。それが無ければ指導者ではない。理想のスキーのイメージ・太鼓のイメージがあって、初めて前に進めるといっていいのである。
 自分の頑なイメージでメンバー達を導いていこうとは思わない。今までも、これからも、メンバー達の持っている個性を生かせるものを創ろうと思ってきた。それは私と彼らとの新しいイメージ創りである。
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2008/11/14

ウイルス進入  
 2〜3日前からパソコンの調子が悪くなった。インターネットとの繋がりがスムーズにいかない。画面変更に時間がかかる。画面が閉じなくなる。終了オプションで電源を切ってもOSは閉じるが電源が切れない。どうなった。
 先週スキャンしたばかりであるが試しにウインドウズのセキュリティースキャンをしてみた。なんとウイルスが3匹入っていた。2匹を駆除。セキュリティーソフトで残りの1匹を駆除した。パソコンは正常に戻った。
 どこから舞い込んだか。考えてみた。そういえば2〜3日前にセキュリティーソフトをバージョンアップしていた。どうもそれが原因らしい。古いバージョンのアンインストールの間か、ダウンロードしたそのソフトに入ってきたのか。どっちにしてもセキュリティーソフトが原因とは警察官が犯罪を犯すようなものである。無料のソフトを使っているのであるから文句も言えまい。おかげでインターネットも軽くなって心も晴れ晴れとなる。
 インフルエンザ・ウイルスももう出回ってきたというから、インフルエンザ・セキュリティーも注射しないと駄目かな・・・
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