2009/2/27

お互いが成長していく  
 注意したり指摘することは以外に簡単に言ってしまう。逆に誉めることはよっぽどでないと言う機会はない。このバランスの取り方が非常に難しいことである。いつも『いいよ、いいよ』では刺激を与えることにはならないだろうし、注意ばかりでは意欲を失わせることになるだろう。
 得てして、センスのある者に目がいってしまいがちになる。それは上達に苦労している者を置き去りにしてしまうことにもなってしまう。チームの実力を上げることにはならない。だが、進歩していける者には進んでいってほしいと思う。進歩を止めてしまってはならない。苦労している者には、様々な方法を使い一緒に苦労して導いていくことだ。意欲を失わせない接し方が必要だし、結論を急がないことも必要となる。
 練習は様々な方法を試してみる。ワンパターンな刺激のない練習とならないこともそうだが、求めたことにより効率のいい練習方法を模索することも必要である。そして個人によって適した方法も違ってもくる。練習方法の引き出しが多いほど、より幅と深さのある指導テクニックがあることになる。『遊びながら上達さす』それもテクニックである。
 年齢や性別、性格やセンスそして本人のレベルをいつも把握し、その一歩前を求める。その為の注意は時には厳しくもなる。だがその一歩を踏み出した時には自分の事の様に喜び誉めてやる。その子が上達しないのは、その子のセンスだけではない。教える技術がたりないからであり、その子の気持ちと一緒になってやれてないからなのである。意欲がないのは指導者の能力がない証拠でもある。・・・そんな繰り返しをしながらお互いが成長していくのである。
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2009/2/26

修行の身・・・  
 職場のボスを務めた時、スポーツの団体でボスを務めた時、いろいろな人間が存在することを学んだ。ほとんどの人は差はあるけれども真面目で熱心な人が多かった。しかし、そうでない人も考える以上にいたのである。そんな人たちに悩み苦しんだ時期もあった。まるで私が悪者になったかのような存在にも持ち込まれたこともあった。リーダーとは、人付き合いとは、非常にシビアで難しいと感じている。
 どんなに健康で優秀でも、精神が歪んでいては人としてはどうなのかということである。太鼓が上手いからといって威張り腐ったような行動をする人がいる。私の大嫌いな行動である。よそのチームの子だったが『お前、なに格好つけてるのよ』と思わず言ったことがあった。そのチームの指導者もメンバーもそういうところが目に見えていた。自信を持ってプレーすること、そして実力があることと行動とは別問題である。たとえどんなに上手でも謙虚で品格のある考えの人に導いてほしいと思うのである。能力と威張ることは一緒ではないのである。
 だが、人の気持ちのコントロールはなかなか難しい。おだて上げられれば、ついつい調子に乗ってしまうし、批判されれば自信を失ってしまう。子供達には誉めておだてるだけではいいプレーヤーやいい人格者には育てられないのである。どんなにいいプレーヤーとなっても間違った考えや行動にはしっかりと批判することは必要である。逆に、そんな彼らからの気持ちも吸収できる環境でもなければならないと思う。
 同じ人生を歩むのであれば、人から嫌われた人にはなりたくはない。だからといってそうならない現実もある。まだまだ修行の身である・・・。
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2009/2/23

目を輝かせる・・・  
 新しいバチの在庫がなく、やめたメンバーのお古のバチを渡す。ちょっと不満顔であった。助成事業が本決まりしたら新しいバチも一緒に購入して全員にプレゼントしたいと思っている。それまでお古で練習してほしい。
 元気いっぱいのこの新人は春に小学校1年生である。兄ちゃんについて練習や出演に顔を出していた。太鼓をしたくてしたくてと、せがんでいた様であった。仲間に入れたうれしさを笑顔いっぱいで表現している。
 前回の練習でマンツウマンの練習をする。新人恒例の私との最初のコミュニケーションである。これは大切な時間である。わずか20分位ではあるが、彼女の意欲や性格を把握する。もちろん太鼓の素質も見分ける。集中力はこの年齢では普通以上、物覚えも普通以上、しかし楽しんで取り組むことは並外れている。素質は十分である。2期上のお兄ちゃんも1年後にはうかうかしていられなくなりそうだ。紅葉の様な手のひらは真っ赤に染まっていた。
 東高校の放送部の取材を受けた時『何であんなに目が輝いているのだろう。』と不思議がっていた。人は大好きな事をする時はみんな目を輝かせる。誉められ、認められ、応援をされたらそれはうれしい気持ちとなる。そしてそれは更に上達したい意欲となる。意欲が生まれた時、人の目は輝き出してくる。
 意欲を絶えず持ち続ける活動をしていくことが大切になる。しかし、それは組織の為であってはならない。メンバー達がやりがいを持ち、メンバー達がいつのまにか成長していく、そういう活動である。有名になったりすることではない。だが、どこか一目置かれる存在ではありたい。
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2009/2/22

いいライバルを・・・  
 スキーの指導員を目指しそして技術を磨いていった頃、一人のライバルがいた。2つ下の後輩ではあるが、いつも彼には負けてたまるかという気持ちがあった。そして彼も私を追い越そうとしていた。それは互いの技術や指導方法や考え方を光らせていった。同じ目標を持ったライバルがいることはすごい励みとなる。
 チームの中にもいいライバルでありそして将来に続く友人が生まれてくれることを願っている。秀〇と麻〇、つ〇むと彰〇などは互いを意識し競って上達していった。いいライバルでありいい友人となっている。今のメンバーにも、亜〇沙と恵〇、雄〇と修〇、育〇と有〇、太〇と雅〇・・・などはいいライバルになりそうだ。これから競ったり、励ましたりしながらいいライバルとなりいい友人となっていってほしいと願っている。
 チームとしては合同チームを組んだり、互いの盆踊りに応援にいったりしている兄弟チームだ。ライバルとしては不足はない。いつか追い越してやりたいものだ。
 いいプレーヤーにはいいライバルが存在する。それはただ競うということだけではない。負けてたまるかという気持ちの中に『彼は何を考えているのだろうか』という気持ちもうまれる。それは相手を理解しようとする気持ちである。ただの外面だけのつき合いとは違うものになる。一緒に苦労し、一緒に喜びや感動も味あう。時には感情もむき出しになる。喧嘩をしたり憎しみあうこともある。だがそれは腹の底から互いを理解することでもある。
 人の気持ちはいつも揺れ動く。それでも同じチームで演奏をする。満足感と感動を共有する。腹の立ったことも忘れ去られ笑い話となる。・・・いいライバルを作ってほしい。
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2009/2/20

『気合だ!・・・』  
 こぶし座の公演が市民文化センターで開催された。和鼓連はその後援団体となりその前座演奏を行った。各チーム数名が割り当てられ栗沢太鼓からは5名が参加した。総勢で30名、演奏曲は『山彦』である。リハーサルで配置を決める。身長で並んでいるうちにうちの男子の3名は前列中央部に配置された。Aパートのセンターである。その中央部にいた雄〇が合図役に抜擢される。
 さすがに選抜されたメンバーでの演奏である。リハーサル演奏から上々の出来である。雄〇も立派に役を務めた。特に際立って見えたのは全国大会に行く幌〇太鼓の子供達であった。切れのある振りを見せていた。練習が想像させられた。
 助成事業の決まったあ〇ね太鼓の代表から相談を受ける。お互いに解らない面があったり、未確認の情報で決まったら決まったでまた悩みを抱えているようである。ただいえる事は未確認な先走りは事故の元である。焦らずじっくり事を進めたい。夏のシーズンに間に合えばいいだけのことである。そして楽しみはゆっくりと待ちたい。
 荒れ模様の予報でこぶし座の公演を見ずに帰宅する。さて、3月8日の全国大会の壮行も兼ねる幌〇太鼓の発表会に出演を依頼されている。今日の彼らの演奏を見ると相当の練習を重ねていると感じた。当たり前か・・・。彼らの健闘を期待して、うちの演奏もいい演奏を見せたい。兄弟太鼓の兄貴分のチームである。そして3年前には合同でコンクールに挑戦したこともある。演奏でエールを送りたいと思う。気合を入れるか。『気合だ!気合だ!・・・』
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2009/2/19

諦めない気持ち  
 左右への腕の振りや手首の柔らかな使い方は栗沢太鼓の個性である。しかし、この練習によって無駄な動きがついてしまった。前回からの練習から基本練習の内容を変えた。求めている体軸の安定が見られるようになった。腕も伸びる動きが出て来た。
 基本の姿勢・フォームをまず安定させたい。その一番の狙いが個性を重んじた練習で無駄な動きを招いてしまったようである。一人ずつチェックしてアドバイスをする。これまでの練習で培った身体は修正能力も養っていたようだ。早い者はすばやく対応に応じてくれた。
 メンバーに成長の差が生まれだした。体力・筋力のついてきた者は動きもよくなって急成長している。晩生の者が焦らないか心配している。成長や上達する進度には個人差がある。同い年だからといって比較するのは彼らには気の毒なのである。長い目で見てやってほしいと思う。成長に従い必ず追いついてくる。
 成長する時期が早いか遅いかの違いや進歩の度合いは人それぞれである。すぐに上達する子がいれば、逆に長い時間がかかって急に変わる子もいる。成長や上達は計算で出来るものではない。みんなを同じスピードで上達させて上げたいが理想ではある。しかしなかなかそうならないのが現実である。諦めない気持ちを持ち続けさすことが大切なんだろうと思う。
 気持ちを失った時はどんな練習をしても上達はしない。上達したい、上手くなりたいという意欲こそが大切だ。その気持ちを養うには的確な指導能力なんだろう。これは永遠の諦めない気持ちで取り組むことか・・・。
 
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2009/2/17

バランスのいい活動  
 栗沢太鼓を維持していくのにはメンバーの家族の理解が必要だ。練習や出演の時の送り迎え、会費や用具などの出費など応援したいと思う気持ちがなければ、この組織は崩壊してしまう。そして行政や地域の応援も絶対の不可欠なところだ。
 私達の活動は様々なバランスを保たなければならない。ただ好きな者だけが集まる同好の会とは全く違うものだ。そして技術ばかりを重視していくものでもない。
 市町村合併して街は元気が無くなってしまった。しかしそんな中で毎週水・土曜日の夜には練習の太鼓の音が街の中にある。祭りにはやぐらの上で子や孫達が太鼓を打ち鳴らし、やぐら周りには沢山の仮装や踊り手達が集まる。メンバー達はその晴れ舞台に輝いている。地方に去ったメンバー達もこの祭りの為に帰省してくる。街に活気が戻ってくる。街の人達にも元気が生まれる。各地のお祭りに出演する。栗沢太鼓のメンバー達の元気いっぱいの演奏がそのお祭りに花を添える。施設のお祭りの期待にも応える。
 そんな演奏する機会が練習する目標ともなる。期待するものと期待されるものがタッグを組むことにもなる。そして演奏する者は更に上達していい演奏を求める。そんな活動が昨年の様な書道展の出演機会も生まれてくることになる。
 成長し技術が高くなればコンクールの挑戦や先輩達が経験した海外へという大きな夢へも発展する。
 活動がうまくいくには、その時その時にあったものでなければならないと思っている。メンバー構成や技術、財政状況や社会情勢。その全てのバランスを考えることが必要だろう。課題だった衣装や用具は解決の目どが立った。次は運営費用である。一つずつ解決しながらバランスがいい状況を保ち、次ぎの大きな目標に向かいたい。
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2009/2/15

一味違う世界へ  
 つ〇むおじさんをセンターにして『絶世』の習得練習である。難しいリズムに四苦八苦しているが意欲的である。
 栗沢太鼓の2曲目として誕生したこの曲は全道青年祭の郷土芸能の部で最優秀賞を受賞して東京での全国大会に出場した曲である。その頃は胴太鼓5台しかない頃で、どのチームもそんな感じだった。奥深い表現力と正確な早いリズム・同調性が要求される曲で、一つのトチリで台無しになる様な曲である。キャンビーやハワイでは封印した曲でもある。それだけ打ち手の実力が要求される曲である。
 人には乗りやすい早さのリズムスピードがある。そのスピードよりも早いリズムは比較的習得が早い。難しいのはゆったりとしたリズムを正確に打つことである。早いリズムを打てるから技量が高いとはいいがたい。本当の技量のある者は遅いリズムを正確に情感をもって演奏できることだと思っている。
 低学年には早いバチさばきの練習に、そして上級生には正確なリズム取りや強弱の取り方・情感のある演奏などの習得にこの曲をマスターしてほしいと思っている。
 栗沢太鼓の全曲を演奏する機会は現状では極めて機会がないといっていい。キャンビー公演という大きな目標が具体的になってはじめて全曲の必要性が出てくる。また昨年の書道展などの様な依頼が来た時なども多くの曲を演奏出来ることが出演する為の条件となる。1〜2曲で終わるステージが多く必要性の無いことが多いが、太鼓の打ち手として栗沢太鼓の力量として考えるならば数曲はたえず対応できるようであってほしい。
 上級生達は力も技術も大人に近づいてきた。先輩達の力を借りて大人の太鼓へと進化させてほしいと思う。リズムを打てるからだけでなく、気持ちを打てる世界への大きな進歩である。それはいつもの演奏曲の『雄飛』などにも反映していく。一味違う太鼓の世界へジャンプアップしてくれればと思う。
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2009/2/13

内定の連絡  
 夕方、携帯を部屋に於いて用事をしていた。不在着信があった。番号は市役所であった。内線までは表示しないので誰かからかは解らない。ひょっとして助成事業の件か?
 夕食の後、パソコンのメールテェックをする。市役所からのメールがきていた。助成事業の内定が支庁からきているという内容だった。事業内容も計画通りだという。待ちに待った連絡だった。正式な決定通知は4月頃だということだった。
 明日の練習でみんなに報告が出来る。今年は春から縁起がいいぞ。新〇先生の書を背中にしょった真新しい半天を想像する。25年前の衣装を着ていた萌〇や姫〇もみんなとおそろいの衣装を着ていい太鼓で演奏できる。今までのような用具や衣装での恥ずかしさはなくなる。
 さあ今度は太鼓が悪いからという言い訳は出来なくなるぞ。来る太鼓シーズンまでにまたみんなのレベルを上げて、いい太鼓で揃いの衣装で格好いい太鼓を演奏したいものだ。
 半天は3種類のサイズでと思っている。成長するごとにサイズアップしていく。また10年20年と長い期間をまかなわなければならない。そういう流行り廃れのないものとなる。デザイン柄の半天とはならない。その選択も大変難題である。全員の好みを聞いてしまえばこの選択は出来なくなる。あくまでも半天は栗沢太鼓の所有物となる。メンバーに貸し出すという方法となる。
 今までに衣装を貸し与えてもいつの間にか辞めて音信普通となった者が何人かいる。衣装は戻ってはきていない。先輩達が自己負担で購入した衣装を、お願いして寄付してもらった衣装である。先輩達の思い出も後輩達につないだ物だ。そういうだらしのない打ち手に育てたことを悔やんでいる。
 物を大切に扱うことを今以上に考えていきたい。
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2009/2/12

模索である  
 『絶世』の1番難しいリズムも2〜3回の練習でマスターしてしまう。子供達はあっという間に習得する。確か、これを憶えるのに苦労したはずだが・・。何回かの練習で大人と上級生でチームが誕生しそうだ。1〜2年生も『山彦』のAパートをほぼ習得した。彼らが言った総会の新年の抱負は早くも達成しそうである。
 今までの基本練習を変えた。左右への腕の振りを主体にしていた我がチームのカラーをなくそうとしているわけではない。しかし、腕の振りを意識する余り悪い癖が出始めた。腕と一緒に身体を回す回旋運動や前後運動が出始めた。まっすぐな腕の振りを主体の練習に変えて無駄な動きを止めたいのが目的だ。腕の振り上げがよくなって来た。
 スキーの講習も練習方法をよく変えた。求めた動きが出来ない時は違った方法を試していった。講習マニュアルにはない方法も試行錯誤して取り入れた。方法を変えることによって生徒達が突然に違った運動をし始めることがよくあった。様々なことを試して有効な講習方法を模索していく、その蓄積が優秀な指導者となっていく。
 太鼓の求めていく目標はたえず変わって来た。何度も方針を変えて運動を模索して来た。しかし今は基本となる姿勢は決めている。理論的に太鼓を強く打てそして運動が出来る姿勢である。その姿勢が出来て初めて次の段階へとなる。だが、この姿勢はなかなか習得は難しい。意識して簡単に出来るものではない。たくさんの練習が必要であり上手くなりたいという意思と意欲が必要だ。そういう気持ちがない限りその域には達しない。
 どんなに優秀な指導者でも意欲のない者を上達さすことは出来ない。意欲があるからもっと上達させてあげたいと考えるのである。その方法を試行錯誤してそして更に上達していく。いい指導者は、いい生徒が作り出していくといっていい。
 はじめはみんな初心者である。初心者の頃に思った『うまくなりたい』という気持ちはメンバー達も思っているだろう。それを早く実現させる為の模索である。
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2009/2/11

世界アルペン  
 今、フランスで世界アルペンが開催されている。深夜、BSで放送されていて録画してついつい見てしまう。やはりまだ私はスキーヤーである。
 解説者と競争して選手の滑りを評論している。滑降とスーパーG・スーパー複合が終わり、いよいよ技術系に移る。回転には日本選手が出場してひょっとして入賞するかもしれない。熱が入る。滑降もスーパーGも板はカービングになっている。高速系の板のサイズも短いサイズである。身長と比べると180cm前後か。ノーマルの板では230cm位と長い板だったと思う。短くなった分、トップの幅は凄い広さだ。(TVを見ての想像である)
 カービングスキーはスキーのズレを少なく滑ることが容易に出来やすい。その分、滑走スピードは数段に増し雪面から身体にかかるGは増えていく。選手はそれだけの肉体が必要になる。早いスキーヤーは基礎スキーも同じで、外足の板の真ん中を押し続ける技術を持っている選手だ。それは移動するスキーの上で体軸を前へ前へと移動させる技術である。もちろん理想の滑走ラインを通ることが前提だが、体軸が真ん中をキープできる選手はラインも落さないで滑走しているケースが多い。スキーはズレのない滑走の方が体軸の維持が難しくなる。早くなれば早くなるほど体軸の移動が早いのである。一瞬の遅れで身体が送れコントロール不能となる。コースを離れあっち向いてホイとなる。
 一般スキーも殆どがカービングスキーとなった。回りやすいと普及したスキーだがコントロールは難しくなったといっていいかもしれない。そして滑走スピードが増し危険性も増したかもしれない。
 回転の板も短くなった。おそらくは140cm前後だろう。短くなれば短くなるほど体軸の維持は難しくなる。回転の完走率の少なさはそんなとこからである。
 静止している太鼓は体軸の維持は楽なんだがなあ・・・。
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2009/2/10

採点は難しい  
 某〇キー連盟の検〇の責任者を10年余り務めた。就任した当初はスキーのバブル時代といっていい頃で、〇定には大勢の〇キーヤーが受検しにきた。最初に取り組んだのは検〇会の運営であった。その運営方法が軌道に乗ってそしてその次に取り組んだのが〇定員の採点そのものだった。だがこれは難題だった。
 検〇員は準〇導員と指〇員が検〇員資格C級・B級を取得できる。検定は3名の検定員で採点してその平均点が点数となる。構成は1名の主任検〇員と2名の検定〇である。B級は指導員資格取得者が取得できて主任検〇員資格を持つ。C級は準〇〇導員が取得でき検〇員資格を取得できる。ちなみに私はA級検定〇の資格を取得していた。A級は準〇導員検定や指〇員検定などの検定が出来る資格ではあるが地区の連盟での活動では殆ど無用の資格である。
 実際にはどんなに資格を持っていてもその採点が出来る資格者は限られていたのである。採点者によってその採点はばらばらであった。また経験のない指〇員もいっぱいいた。講習は出来ても評価が出来ない。これでは一人前の指〇者とはならない。出来るだけ多くの指〇員に検定を経験させ勉強をしてもらうことにしたのであった。しかしそれは様々なトラブルが起きたりパッシングも受けた。批判を受けてもそれでもその方針をつづけていった。ここで一部の指導〇に検定をゆだねたらこの組織の全体のレベルは上がらないと考えていたし一人でも多くの一人前の指導者を養成したかった。更には勉強会や採点の模擬も行った。
 しかし、今でも採点をすることは非常に難しいことだと思う。指導することはたえず上達を目指す事である。だが、採点はそのレベルがどこまで進んでいるかのバロメーターである。私がここまでと思っていても他の指導者の評価が違えば点数は変わってくる。更には人の人情も加わる。自分の教え子にはどうしても甘くなる。厳しい指導はしても採点は甘くなるのである。
 タイムレースのような採点なら検定眼も人情も何もない。太鼓の採点はス〇ーよりももっと複雑だろう。採点者を批判するのは余りにも気の毒というほかない。どの採点者も納得いく太鼓を演奏するしかない。
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2009/2/8

パフォーマンス  
 いいリーダーとワンマンとの差は微妙なものがある。指導者も同じ事がいえる。全ての意見を受け入れては組織は機能しない。しかし一貫した考えだけでも進歩は無い。保守的な部分と革新的な部分をたえず考えていくことが必要だ。
 毎年ワンパターンのことを繰り返すことはメンバーにとっては安心できる活動となるかもしれない。しかし、それだけでは前に向かって進歩することを無くしてしまう。全く違った事業や同じ事業でもちょっとの変化が新鮮さを導き魅力を創る事になる。練習でもそうである。同じ練習を繰り返しては魅力的な練習とはならない。変化のない練習パターンと全く変わった新たな練習を取り入れることによってメンバーの気持ちは変わってくる。それらは共にリーダーと指導者の能力が問われる部分である。
 個性豊かな演奏を目標にしている。それはソロ打ちが集まった『雄飛』という曲が我がチームの代表曲だからではない。同じ人間でありながら身体や才能はそれぞれ違う。身長・体力・筋力・柔軟性等の身体能力やリズム感・表現力等の技術的能力は人それぞれである。同じリズムを打っても、同じ基本技術で学んでも全く同一な動きとはならない。同調性を練習していけばそれはそれなりになってはいくだろう。そういう部分も当然必要にはなる。身体の運動要素は基本そのものである。だが身体で見えてくることは個性豊かなのである。物まねで作り出す事とは違うのである。
 基本の姿勢や基本の運動を習得して、そして更に自分の個性が加わり表現豊かなそれぞれのプレーヤーとなってもらいたいと思う。それは一人しか出来ないパフォーマンスとなる。それは組織運営や練習環境が生み出すものかもしれない。
 
 
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2009/2/7

少しずついい方向へ  
 旭川の一〇がひょっこり練習に顔を出す。『絶世』の模範演奏を先輩3人に演奏してもらう。キャンビーにハワイにと積んできた練習は、時が立っても忘れ去られていなかった。そして3人の気合も入っていた。この中に上級生の何人かを加えて『絶世チーム』を再構築し、そして更に低学年達も加わっていってほしいと思う。この曲は、早いリズム・バチさばき、強い打ち込みそして聴かせる大人の曲である。それだけに難しい曲であるが、この曲を聴かせるだけの技量が付いたら本物である。
 新年会の中で『栗沢太鼓は上手だね』という話をしてくれた人がいた。うれしかった。練習会場費で困っていることは和〇連の役員にも話している。合併前の慌ただしさや合併後の事の進め方も少しずつ解決しだしている。市内の各団体とも繋がりも深まりつつある。そんな中でそういう話が出るのはうれしい。少しは仲間の一員になっていったのだろう。
 合併して農村地区の団体が2チームも加わった。和〇連の考え方もそれまでとは変わっていかなければならないと感じ始めている。そうしていって貰わなければ私達の活動も大変なのである。
 今までは町行政の一団体の組織であった。しかし合併によって市の中のただの一団体でしかない状態になった。行政と事を運ぶのは市内の全太鼓チームが網羅されたこの組織しかないのである。私達の団体が生き死にするのもこの組織は重要になる。大変重要な組織であると思っている。この組織の為にどれだけのことが出来るかは解らないがいい方向に向かうように協力していきたい。
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2009/2/6

優勝よりも成長である  
 昨日の夜、和〇連の新年会が催された。久しぶりに他団体の人達と話が出来た。話題の中にはJrコンクールに出場するチームのことが多かった。愚痴や零しネタが多く、もう少し楽しい話題が出る団体に成長していきたいものである。
 コンクールの苦情のことを耳に挟んだ。本部にまでその苦情がいっているという情けない話も聞かされた。タイムレースとは違い審査員の評価は様々である。出場者はどんな結果でも受け止めなければならないはずである。審査結果が気に入らないからといってその度に苦情を言っていてどうしてコンクールなど開催されようか。ビックリしてしまう。
 コンクールに出場するからには当然いい結果を目標にするだろう。しかし、それは練習や子供達の意欲を引き出すためのことである。その取り組みや課程が子供達を成長させることに繋がる。それが本来の目標である。それを優勝することが大目標になってしまい、結果ばかりを重んじてはどこに子供達を成長させていかれようか。そこには醜くい嫉妬心や憎悪をつくってしまう。そんな中に子供達を巻き込んではほしくない。誰がどういう考えで苦情を言っているのかは解らないが、そんな考えの者は来年からは出場してほしくない。
 高校野球の一人の選手がエラーをした。そしてそのチームは甲子園に出場できなかった。その彼はその失望感に精神がおかしくなった。そんなことがTVで紹介されていた。太鼓だってそんなことは起きる。誰かが間違い、失敗し、コンクールで結果が出なかった。さてそれをチームは、メンバーはどう対処するのか。優勝することよりもこのことの方が大切なのである。
 子供達が成長させていく為のコンクールであり、その為の出場であってほしい。結果は審査員に任せればいいのだ。大人が子供達の成長に足を引っ張るのであれば本当に情けないことである。
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