2010/4/30

上海・・・  
 上海で万国博覧会が開幕した。
 今から30数年前に上海を訪ねている。国交が再開してまもなく、まだ周恩来が生きていた頃の話である。
 宿泊は客船の中であった。揚子江は海の様に大きな川であった。何十台かのバスに分乗し、二人の通訳(上海大学日本学科の学生)がついて市内を回った。自由な行動は一切なしである。しかし歓迎ぶりは半端でない熱烈なものだった。学校や工業博覧館、農村の人民公社も見学した。大きな会場でレセプションもあった。その時には北海道知事もやってきた。
 各施設や住宅でも毛主席の写真が飾られていた。質問や写真も制約され、受け答えの最後には『・・・毛主席のお蔭で・・・』と言う言葉が入っていた。共産主義である。戦前の日本や今の北朝鮮みたいな世界である。
 3日間を共にした通訳のチンさんとリさんとは打ち解けた関係となった。二人とも我々とは同世代である。あれからどんな人生を送っていったのだろうか・・・。彼らは中国ではエリートである。きっと出世しているのだろう。
 街灯も薄暗くネオンも何も無かった上海は変貌しているのだろう。農村の住宅はまだ土間であった。・・・地方との格差があるというが、今では世界1の成長国となっている。12億の民がいるこの国は、これからの日本にとっては重要な関係となりそうだ。
 また訪ねて見たいものである・・・。
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2010/4/29

有名になるよりも・・・  
 『街が疲弊している。』・・・合併後、街の人達はみんなそう感じている。その元気の無さを何とか打破したい。役員達がみんな思っていることだった。そんな中で『栗沢太鼓が頑張っている』・・・『みんな応援する』・・・心強いサポーターである。
 チームが有名になり名前を売る。そんな活動は私達はしない。我々が求めていることは、メンバー達が目が輝き遣り甲斐を持って活動することなのだ。それは結局、上達し上手になっていくことに繋がる。地元の太鼓チームがビックリするような演奏を見せてくれれば、街の人達も喜んでくれる。そして誇らしい気持ちとなる。
 外から大きく見えることがいい活動ではない。新聞やマスコミに取り上げられるからすばらしい活動とはならない。大切なのは、目に見えない地道な普段の活動なのである。
 お姉さんの一人が言った感想がある。・・・一人の子が太鼓に入ってきた。どうしようもないハチャメチャな子であった。しかし、そんな子も中学生になった頃には立派な演奏をする子に成長していた。・・・『あんな子でもこうなるんだ』であった。
 太鼓に来るなり『寂しい、帰りたい』と泣きべそをかいてるへたれがいる。『何が寂しい、みんなと一緒に遊べばいいんでないか』そして『帰ってもいいが、もう太鼓には来なくていいからな』と厳しく接した。そしてミーティングでは『あの子の弱い心を直したい。』とみんなの協力を頼んだ。
 いいプレーヤーを育てることが我々の会の本質ではない。こんな泣きべそをかく子もメンバーみんなで支えあえば必ず強い心の子に成長してくれるはずだ。それは指導者がどんなに優秀でも一人では無理である。子供でも、いや同世代だから出来ることがある。それが普通に、それが普段の活動になればと思う。
 メンバー達を信頼しているからメンバー達にお願いが出来る。『あの子の悪いところをみんなで直してやってくれ』と・・・。隠し事や見得などこの会には無い。互いの弱点もいい面もみんな知っている。・・・それは大切なチームワーク・絆を作り出していく。
 有名になるよりも、そっちの方がよっぽど大切だと思う。
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2010/4/28

DNAを受け継げ・・・  
 プ○モーションクラブ総会の2時間位前に電話が入る。役員の依頼だった。監事になってほしいという依頼だった。去年からの経緯もあり、むげに断ることは出来なかった。
 総会が終わってそのまま練習の予定が、役員の顔合わせがあるからと、慌ててお姉さんにメールを送った。その会場に向かう時入り口で旭川の親分がやって来た。お姉さんに親分、これでお兄さんが来れば練習には何も心配は入らない。・・・思いっきり飲んでしまった・・・。
 理事長とは去年の会場費の経緯の話しとなった。父兄達の思いやりと運営団体両方のお互いの一番いい選択となったと話しをした。『メンバー達に夢を持った活動にしたい』と告げた。『出来る応援をしたい』と語ってくれた。役員の全員が我々の活動を支援し協力してくれる体制である。
 合併してから暗い話がず〜と続いた。去年からその状況が一辺に変わった。だからといってこれで安泰とは思わない。維持することでいっぱいいっぱいが、いい方向に変わったのである。役員には『今のメンバー達をまたキャンビーに連れて行きたい』と夢を語った。誰も否定する言葉は出なかった。二度の海外公演の実績は街の人達には夢ではないと受け止めるのだ。しかし、実践するのは並み半端なことではないのだが・・・。
 栗沢町が無くなって失ったものは沢山ある。しかし、それは子供達には何の関係もないことだ。その失ったことを語ることは、逆に子供達には地域の愛着感を失わせてしまうことになるのだ。
 この田舎チームでも二度も海外公演を成功させているのである。そんなチームは管内には無い。それだけのDNAを受け継いだメンバー達のチームなのだ。何物にも臆せず、自信を持った栗沢太鼓のメンバーであってほしい。そして夢を実現させていくのは、今のメンバー達である。
 
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2010/4/27

拠点  
 明日はプ○モースションクラブの総会がある。昨年から練習会場の指定管理者となった。様々な経緯の中、一晩いくらの使用料から1時間単位の使用料となった。お蔭で使用料は半額以下になった。もし市管理のままだったら、別の会場へ移動していたか、貧乏生活を続けていただろう。
 この会場は我々の青年時代の団体活動の中心であった。文化祭やバレー大会、各種の事業をこの会場で行った。馴染み深い建物である。しかし年月には勝てず壁は穴だらけ、カーテンはボロボロ、冬季の寒さは半端ではない。
 そんな会場ではあるが、我々の活動状況にはうってつけの場所である。小・中学校に近く、病院やバス亭も側にある。駐車場や太鼓の搬入搬出にも都合がいい。
 小学校の体育館を無料で使わせてくれる話があった。その有り難い話から使用料の変更に繋がった。会場の使い勝手では今の会場が一番いい、しかし使用料の高さだった。そして大締太鼓や何台かの備品は小学校には持ってはいけない。ここに保管してもらうしかない。メンバー達が成長していけばこれらの太鼓も使い出す。
 「この会場を『栗沢太鼓の拠点』として使用したい。」と理事長に話しをした。理事長も理解を深めてくれて『栗沢太鼓』の活動を優先してくれることを確約してくれた。市管理の時から比べれば融通は雲泥の差である。
 『拠点』は活動を安定化し活性化していくには絶対に必要なのである。この会場にくるまではジプシー生活であった。この会場にたどり着くまでに3箇所の会場を渡り歩いた。やはり活動は上手くいかなかった。今の4箇所目の会場に移動してきて、活動が元気になった。沢山の子供達が入って来た。『拠点』は大切なのである。・・・そして卒業してからも、戻ってくれる場所となる・・・。
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2010/4/25

ゆかいなことを・・・  
 今日も肌寒い天気である。・・・どうしちゃったのかな地球は・・・。日ハムは負けどうし・・・どうしちゃったのかなあ・・・。国の親分は決断力の無いへたれ・・・この国の行き先はどうなったちゃうのか・・・。市長はなお悪い大嘘つきだ・・・この市は居心地悪いなあ・・・。市内の太鼓団体・・・解散したのじゃないのか・・・。
 ・・・まだ気にいらないことがいっぱいあるのだが、取りあえずはベスト5を・・・。しかし、この中に去年まであったチームの問題が無くなったのはありがたいことだ・・・。
 『チームが継続する最低のこと・・・』が去年までの課題だった。それが無くなったことは大きなストレスが消えていったことになる。『継続するのが・・』が最大の課題ではメンバー達に無限の可能性など与えられようが無い。『生きる』だけでは子供達に夢など与えられようか・・・。
 課題は解消し、道具も満足のいく数が揃った。将来を見据えたメンバーもいる。応援をしてくれる父兄や地域もある。・・・理想的なチームになって来た。
 だからといって、それに胡坐をかいていてはいけない。未来をシュミレーションし、メンバー達が夢を見て成長し輝く場を創造する。そして少しでもその可能性を作っていく。守っていくのが精一杯だった環境から解放されたのである。『ああよかった』で終わらしたくはない。これからがメンバー達の夢を実現し、暴れ、楽しむのである。
 これから・・・ゆかいなことを沢山していく・・・
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2010/4/24

やることはいっぱい・・・  
 新学期となって本格的に部活も始まった。女の子組は全休、集まったメンバーは低学年が中心だった。
 久しぶりに声を出す練習を入れた。低学年には初めての子もいて、声を出すことと太鼓を打つタイミングが合わない子もいる。リズム感の養成はまだまだ不足かもしれない。
 新人も慣れやすいように基本練習を変えないで来た。その新人達も慣れて来た。決まりきった今までの基本練習を変えていく必要がありそうだ。
 子供盆太鼓のテープを流した。昨年やぐらデビューした2年生二人と新人の章○の3人がまだ音楽に合わせられない。アレほど練習したのに2年生の二人は忘れてしまっている。また一から新人と一緒の練習が必要だ。同じく昨年入ってきた雄○はさすが3年生、しっかりと打てていた。今日のようなメンバーが少ない時に盆太鼓の練習を入れていかなければならないようだ。
 変わった練習を取り入れると思わない一面が見えてくる。応用能力のあるなし、成長の証が見え隠れする。普段とは違ったこと、趣向を変えることをどんどん入れて彼らの頭を活性化させ、応用能力を養っていくことも必要だろう。
 上級者から初心者がこのチームには同居している。一人の指導者が出来ることなどしれている。みんなの力が必要なのだ。覚えたリズムは後輩達に教える。その後輩が覚えれば更に下の後輩に教える。その伝達が習慣となればチーム全体のレベルは一気に上がっていく。自分の学んだことは出し惜しみない。どしどしと出していく。それは教えた者が今以上に上達することになるのである。
 ・・・しかし、やることはいっぱいあるなあ・・・
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2010/4/23

身体を張って・・・  
 コーチのお姉さんは女の子達に上下動を入れた動きのある演奏方法にしようとしている。その狙いはよく解かっている。しかし、今の彼女達の脚力や技術では求めているものはすぐには生まれない。
 今までの彼女達に求めていたのは上下動を抑えた技術である。その為のフォーム作りをして来た。ようやくそのフォームが出来つつあった。そこに上下を入れる運動を入れては今までのよさが全て失ってしまう。フォームはバラバラとなり腕の伸びもなくなってしまった。
 上下の動きは脚の運動である。彼女達にはまだその脚力は無い。そしてその動きが出来るフォームも新たに作らなければならない。
 今までメンバー達が取り組んできた技術とコーチが求めている技術は、まるっきり運動要素が違う技術である。A要素とB要素とすれば、A要素は身体を一本の鞭にした運動であり、B要素はばねの運動要素である。二人のお姉さんがやっている技術はB要素のばねの運動要素で、子供達がやっている技術はA要素である。当然スタンスから違ってくる。
 上下の運動(B要素)はただ上下すればいいというものではない。足裏でしっかりと踏みこめれる脚の使い方が出来なければならない。彼女らの筋力ではすぐには出来ないだろう。その習得は難しく時間がかかるかもしれない。ただぴょんぴょん跳ねるような上下動では醜い太鼓となってしまう。
 腕が伸びやすくするには支点を動かさない方が容易に出来る。上下動はその支点が動くことになる。そしてその支点を安定させるフォームを作る必要がある。動きがありながら顔が上下左右とブレないフォームである。
 将来にはこの二つの要素を自由自在にスイッチできるプレーヤーにはなってもらいたい。今からチャレンジするも、それもいい。しかし、入り込むのであればコーチも学ばなければならない。現役のプレーヤーは自分で自分の身体を使ってテストしていける利点がある。身体を張って伝えなければ尊敬は受けない・・・。
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2010/4/21

見てやること・・・  
 風邪がようやく完治してお兄さん登場の練習である。曲習得のカリキュラムから演奏技術を加えた段階に進めていく。メンバーに具体的な課題と修正を告げる。課題を与えられたメンバー達は今何をすればいいのかを具体的に把握した。
 男の子達の斜め台の演奏フォームは小学生には苦しいフォームである。少しずつそのフォームを身に付けなければならない。しかし、無理は禁物である。徐々に徐々にである・・・。
 動きを大きくした女の子達の演奏ではあるが、その弊害として腕の伸びが無くなってしまった。その修正である。下半身の動きと上半身、腕の動きの連動である。
 小締太鼓のメンバーの課題は、強い音を出すことである。力だけが大きな音とはならない。音を出す技を身に付けていく。
 具体的な課題を与えられ、メンバー達の雰囲気が変わった。前回までの気が抜けた様子は無くなった。子供達は大人達をよく見ている。『自分の事を見てくれているか』といつも視線を受ける。かまってやる事、いつも見ていること、そしていいアドバイスをすること、更に平等であることが彼らと付き合う為の大切な条件である。
 18名のジュニアのメンバーが一人前の太鼓の打ち手に成長させることが今の目標である。その中には、へたれの海○も入っている。彼らの成長は促成栽培とはならない。年に100回の練習を何年も重ねて、そしてようやく結果が出るのである。
 人の成長は結論を急がないことである。しっかりと見続けること見届けることなのである。我が子が成長する過程も、メンバーが成長する過程も同じである。『見てやること』それが互いの信頼を生むのである。
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2010/4/20

成功が全てではない  
 スタンドでアルバイトをした高校生が『俺は大声で挨拶出来るんだが・・・』同じバイトで声が出せない者がいたらしい。人前で大声を出すことは、それなりの糞度胸がいる。
 観衆にアピールするパフォーマンスは、心に恥ずかしさなどを持っていては発揮できるものではない。それには心・気持ち・精神を強く・・図太くしていく必要がある。
 親分のデビューは農業祭で行った15周年の演奏会だった。演奏前、彼の様子を伺った。真っ赤なパンパンの顔に細い目がさらに細く見えた。『大丈夫か?』の問いにも答えられないぐらいの緊張だった。小学4年生だったか・・・。
 ・・・その5年後、彼はキャンビーのステージで、ありったけのパフォーマンスを出していた。あの緊張の顔など微塵も無かった。その顔は自信に満ちていた。・・・ただし・・・髪の毛を白くしてきたのには・・・海外にはそれが出来る開放感が生まれるのだ・・・
 全部を管理し全てを思う様にした教育では、いい子は育っても頼もしい子は育たない。自分の意思を主張する強い心は大切である。その主張がたとえ間違っていても、成長の中では必要なことだと思う。それを繰り返して大人へとなっていく。
 自分のパフォーマンスがウケタならそれはうれしいものである。テンションはさらに上がっていく。そしてさらにいい演奏となる。物怖じしていた心は、自信にみなぎった強い心に成長していく。その強い心は彼らの人生を変えていくはずである。
 ハワイ公演をキャンビー公演の3年後に行った。全て実費負担の事業であった。その公演には、大きな大義名分は無い。しかし、参加したメンバー達の人の変わり様を見て実行してよかったと思っている。
 キャンビー公演も、ハワイ公演も、その成功が全てではない。その公演に参加して、そして得たことが大切なのである。それは地元の演奏会でも同じである。事業を成功させることではなくて、メンバー達に得られる事があっての事業であるかなのだ。・・・そう思うのである。
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2010/4/19

グローバルな世界  
 火山の噴火でヨーロッパ線がストップしている。『こんなこともあるのか』というのが感想である。日本人は1万2千人以上が足止めとなっているという。その数も半端でない。寿司ネタのサーモンが無くなったり、病理の検査薬が切れてしまうという。本当にグローバルな社会となった。
 海外には20歳の頃に海外研修で中国(上海)・フィリピン・タイ・香港(今は中国)を回った。30日間の船の旅だった。それが最初の海外だった。そして20数年を経て栗沢太鼓でのオレゴンへの公演の旅、その3年後にハワイへの太鼓公演の旅の3度を経験したことになる。
 英語の指導助手として3人のヤンキー娘が太鼓のメンバーに入っている。メンバーと一緒に練習をし3人とも何とかステージ演奏を経験した。一人は3ヶ月余りの付き合いだったが、ナタリーとメラニーは1年間以上を通じての親密な付き合いとなった。この二人はキャンビー公演に駆けつけてきてくれた。ナタリーは国連のカンボジア事務所に勤務していた。そこからわざわざ帰国してきたのであった。うれしかった。
 キャンビー公演のジュニアメンバー達はナタリー・メラニーの授業を受けている世代である。この二人のヤンキー娘達との縁は姉妹都市へ向かった原動力の一つといっていい。この二人との付き合いは、同じ太鼓の仲間という付き合いとなった。それは外人ではなくてナタリーとメラニーである。私にはメンコイ教え子のヤンキー娘達である。
 二人とも日本の文化に触れたいと一生懸命だった。そしてチームにも溶け込んでくれた。ナタリーが『いい先生!』といってくれた。メラニーが『先生を忘れません』と書いた色紙を渡してくれた。
 海外に栗沢太鼓を一緒にしていたメンバーがいる。それだけで誇らしいではないか。・・・また再会したいものである。
参照:http://sun.ap.teacup.com/applet/nobu/200702/archive
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2010/4/17

親分登場  
 久しぶりに旭川から元親分が練習に顔を出す。練習には1名の欠席で、いつも通りの基本練習、曲練習となる。そのあとミィーティングで、久しぶりに見ての感想を言ってもらった。
 一○が見ているせいか、みんな緊張した演奏をしていた。失敗の無い無難な演奏なのだが、間違わないで演奏しようとしている風に見えた。案の定、一○の指摘は『上手にはなっているが元気が無い、声が出てない』であった。
 何も告げずに普段と違う顔が現れるのもみんなには刺激となる。今日は見学者も現れ会場の雰囲気はいつもと違っていた。
 目先の目標がないこの時期は、練習のテンションも低い。これから部活が本格的になれば、上級生達は疲れと重なり更に下がるだろう。そういう時は練習方法も変える必要がある。低学年を中心の練習に切り替えて盆太鼓なども取り入れたい。・・・その時その時で対応である。
 当てにしているお兄さんお姉さんも仕事か体調かで最近出席が少ない。その分、子供達の様子もだれ気味である。しかし、これで出演シーズンが始まる頃には戦闘モードとなるのだろう。
 練習でいろいろとテストをしている。それを見てシュミィレーションするのだが才能の無さか、どうもイメージが湧かない。今日も親分に感想を聞くが余りいい返事とはならなかった。また自信を失う。自分の能力は特別なものを持ってはいない。それは確かなのである。それは解かっているだけに悔しさが増していく。
 やれる範囲でやる。・・・これは自分に言ったことなのかもしれない・・・
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2010/4/16

夢の実現を再び・・・  
 兄弟チームの幌○太鼓が30周年を迎える。今年の秋に記念演奏会を開催する。その演奏依頼も来ている。
 幌○太鼓の20周年演奏会に『栗沢の四季』をリニューアルして演奏した。『栗沢の四季』は栗沢太鼓の10周年記念曲、栗沢町の開基百周年記念曲として作成された。オリジナルは20分を越え、途中でメンバー変更をしての長い曲となった。しかしその曲の特徴やメンバーの移動などで何回かの演奏後、お蔵入りしていた。
 お姉さん、お兄さん達のメンバーが揃い上達して来た頃を見越して、この『栗沢の四季』の復活を試みた。その復活には条件があった。途中交代をしていたオリジナルを交代せずに、そして20分を越える長さを短くした曲へのリニューアルだった。
 忘れかけてた我々大人達と中・高校生達とのプロジェクトとなった。ビデオや楽譜を活用し、出来るだけオリジナルを活用してその曲は一冬をかけて完成した。およそ17分の曲に編曲された。そしてその初演奏が兄弟チームの20周年演奏会だった。
 この曲の復活は大きな意味があった。夢と思っていた姉妹都市公演の可能性を大きく引き寄せたのである。この曲によって演奏プログラムは60分を越えることが出来る。それは独自公演を行う最低の条件と思っていた。
 その2年後、姉妹都市公演は実現した・・・。
 『栗沢の四季』をまた今のメンバーで再復活する。今年のコンクールが終わってからこの曲の習得プロジェクトを開始する。夢の実現を再びだ・・・。
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2010/4/14

成長の過程・・・  
 子供盆太鼓の基本リズム3種類をほぼ覚えた1年生の章○を小締太鼓の練習に入れた。みんなの演奏の一人にこの子も早く仲間に入れたい。そして、へたれ海○の刺激役もである。この二人に『チビーズ』という愛称を付けた。『チビ1号』『チビ2号』である。
 新高校生の亜○沙は新天地のプレッシャーで今日はお休みである。男子チーム、女子チームそして小締チームと回しの練習を入れる。私は『チビーズ』の間でひたすら基本リズムを打ち続ける。しかし、彼ら二人の音に引っ張られそうになり自分の力の無さを痛感する。『前を見ろ』『男らしい顔をしろ』・・・と注意を繰り返す。章○は今までとは違うという気持ちだったろう。・・・『チビーズ』のこのコンビ、学年は一つ違い性格も裏表ぐらいに違う。それも彼らを成長させていくことになるだろう。・・・『オレはチビでない!』という反旗を早く聞きたい。・・・
 4年生の隼○を誉めた。斜め台を打つ姿勢がすばらしかった。前回に続き二度目の誉め言葉である。暴れん坊将軍だった隼○も学年が上がるごとに変わって来た。しかしマイペースの6年生になった太○には辛口に批評した。最高学年になった太○には、もっと男らしく後輩達の見本になるような姿を見せて欲しい。本番の気合が入る時と、練習のふがい無さに余りにも差があるのである。これでは後輩達の見本とはならない。最上級生のプライドを持ってもらいたい。
 中学生となった男子の二人は、気が緩みだしている。男子の一番上の二人は、男子チームの親分的存在となっている。調子に乗ってしまうのも解かるが、彼らにはいいリーダーになってもらいたい。最近、自分本位な行動も出始めた。静観しながら目は離せない・・・難しい年頃になっていく・・・これも成長の過程である。
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2010/4/13

心強いパワー  
 昨年の今頃は回転資金に困って一時積立金を運営に回した。この時期は各会の会費を納めたり保険代など出費の多い時期となる。会費が順調に納入してもらわないと大変だった。何度も納入のお願いをしていた。今年は積み立てを崩さなくても何とかやりくりが出来そうである。しかし毎回の会場費はその都度支払っていて会費の納入が遅れるとやはり苦しくなる。
 会場費が安くなって一番変わったのは精神的な部分である。何より行政への不信感や嫌悪感が無くなった。実際にはまだいっぱいあるのだが、それまでは使用料を払うごとに頭がおかしくなっていた。ということは一週間に二度も腹を立てていたのである。血圧も上がる。身体も悪くする。それが無くなっただけで寿命も延びるというものである。
 使用料のこと、太鼓の皮の張替や衣装のことなど頭の痛いことが昨年、一辺に解消できた。それはメンバー達の活動を、沢山の人たちが理解をしてくれバックアップしてくれたからである。・・・よく耐えれたと思っている。
 プレーヤーとサポーターが一緒になって活動していく環境が生まれた。それは合併前には無かったことである。問題意識をメンバー達も父兄達も一緒に持ってくれた。それは大きな力を会が得たことになる。この力はこれからの活動に大きな影響力を持つことになる。
 これからの目標をメンバー達も父兄達も理解してくれなければ思い切った活動は出来ない。メンバー達や父兄達がバックにドカンといる。それがあって行動も起こせるのである。それは心強いパワーである。
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2010/4/12

目標の持ち方  
 基○スキーの検○主任を10年余り務めたことがある。検定会の運営から検定の内容までの総責任者である。それもスキーバブルの真っ只中であった。
 1級や2級を目指すスキーヤーが毎回の検定に押し寄せていた。もちろんその検定会だけでなく、その為の講習やスキー教室・スキー学校の受講生も多かった。その講習料も安い額ではない。それでも合格したいという生徒は絶えなかった。
 彼らの目標は1級である。それはスキーヤーのステータスであった。その取得に一冬を夢中でスキーに熱中するのである。今考えれば異常な世界であった。
 ス○ーの指導員は子供の頃からの目標だった。大人になってその目標は達成した。胸にインストラクターのネームを付けた時の喜びは忘れられない。しかし、ライセンスが指導員としての能力とはならないことを嫌と言うほど実感するのである。
 技術認定や指導員資格を目指す時は、それは一生懸命である。経費も時間も何とか用立てしてそれに向かう。それは取得したいという人間の嵯峨である。それは麻薬みたいなものであった。
 その方法は『スキーの底辺の拡大に成功しなかった』と今の実情でいえる。スキーの楽しさを逆手に取り、そこにステータスを与えるまではよかった。しかしそこにお金がからんだ。誰でも得られない技術、それに与えられるライセンスがあって本当のステータスがある。しかし組織の準備とその対応がブームを潰したといっていいかもしれない。
 目標は絶えずなければならない。1級を目標にしてそれを取得してしまったら、それで終わってしまうことが起きる。太鼓もそんな事をしようとしている。それはそれでいいが、我々の目標は1級や2級ではない。我々の目標に終着点は無い・・・。
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